第29話 母さん、今年は早く来れたよ

 


「母さん、今年は早く来れたよ」



 俺は墓の周りを掃除しながら墓石に語りかける。


 

 今日は母の命日だ。

 母が亡くなってちょうど三年が経つ。


 

 これまで命日だからといって仕事を休めることはなかった。

 けれどその日のうちに手を合わせることにしていたので、来るのはいつも夜だったのだ。

 だからこの日初めて日中に墓参りできたことになる。

 


  

 そして、ひとつ気になっていたことがある。

 母の身内は俺しかいないのにも関わらず、墓参りに来たときには花が添えられているのだ。

 鮮度がよくその日のうちに供えられたものだと推測される。



 それがこの二年続いていた。


 

「今日は俺の方が早かったみたいだな。それにしても誰なんだろうか」


 

 母にも親しい友人などがいるのだろうが俺は母の交友関係は知らなかった。

 そして、いつも俺が来た時にはある花が、まだ供えられていなかった。



 

 墓石まで掃除が終わり、お線香をあげてお供えものを供える。


 

「ほら、母さんの好きなたまご焼きだ。今年は持ってくることができたよ」


 

 お供えものは今朝俺が作ったたまご焼きだ。

 それをタッパーに入れて持ってきた。

 

 

 たまご焼きは俺の得意料理で、母さんが生前に教えてくれた料理だ。

 小さい頃、いつも帰りが遅くなる母さんのために作った思い出がある。


 

 初めのうちは上手く焼くことができなくて、スクランブルエッグみたいになってしまった。

 ようやくある程度の形になって、いま思えば焼き目が強すぎて焦げていたりもしたけれど、母さんは褒めてくれた。


 

 褒められるのが嬉しくて次の日に何個も何個も玉子焼きだけを作って、食卓が玉子焼き一面になったことがある。

 そんな俺を母さんはしかることなく「玉子焼きパーティーだね」なんて言って楽しそうに笑っていた。



 寧々ねねちゃんには初めてといったけれど、あれは身内以外に出すのは初めてという意味だった。

 母さんが教えてくれた料理を寧々ねねちゃんが「美味しい」と言ってくれたのは嬉しかったな。

 

 

「俺、たまご焼きだけじゃなくて肉じゃがとか豚の角煮とか色んなものが作れるようになったんだ。母さんにも食べて欲しかったよ」



 もし母さんが食べたのなら褒めてくれるだろうか、なんて考える。

 そして寧々ねねちゃんと一緒に料理を作ったことを思い出す。


 

 背後で、からん、と木があたるような軽い音がした。

 それが誰かの足音だと気づくのに時間は掛からなかった。


 

あらたさん」


 

 まさかと思って振り返る。

 


「来ていらっしゃったのですね」


 

 そこには寧々ねねちゃんの母である藤咲ふじさき智子ともこさんが着物姿で花をたずさえて立っていた。


 

「おかあさん、お久しぶりです」


 

 想像と違ったことに少し落ち込みながらも、俺は一礼する。


 

「まあ、おかあさんとまだ呼んでくれるのですね」


 

「すみません。おかあさんではなくて、智子ともこさんですよね」


 

「いえ、あらたさんにおかあさんと呼んでもらえるのは嬉しいことです。ですが、もう違いますものね」


 

 俺はそれになにも答えることができず、智子ともこさんはどこか遠い目をしていた。


 

あらたさん、改めて謝罪致します。私たち藤咲ふじさき家が大変ご迷惑をおかけしました」


 

 智子ともこさんが深く頭を下げる。


 

智子ともこさん、頭をあげてください。謝罪ならすでにあの日に受けました。それに誠司せいじさんを通じてその後の処理も済んでいますので謝られることはもうありませんよ」


 

「ですが、本当に申し訳ありません」


 

 俺が大丈夫だと告げても、智子ともこさんがしばらく顔をあげることはなかった。

 見かねた俺は空気を変えるために声をかける。


 

「もしかして智子ともこさんは俺の母の墓参りに来てくれてたんですか?」



「ええ」


 

 俺の質問で智子ともこさんはようやく顔をあげて答えてくれた。

 

 

「ありがとうございます。ですが、そのままだとせっかくのお花がしおれてしまうので供えてはくださいませんか?」



「……それもそうですね」

 


 墓石の前に移動して智子ともこさんは花を供えてくれた。

 そして線香をあげて手を合わせる。


 


 所作がとても綺麗だと思った。



 

「ありがとうございます。母も喜んでいると思います。だけど智子ともこさんがお墓参りに来てくださってるなんて知らなかったです。もしかしてこれまでも智子ともこさんが?」


 

 改めて俺は確認した。

 


「ええ、あらたさんからお母様についてお伺いしてからは毎年来ています」



「そうだったんですね。言ってくだされば良かったのに」


 

「いえ、わざわざ言うことではありませんよ。それにあらたさんに感謝をされたくてきているわけではありません、私が来たくてここにいるのですから」




 言ってくれればお礼ができたのにとも思ったが、智子ともこさんの言うことにもどこか納得した。


 俺の家の事情については、姫乃さんとその両親である智子ともこさんと誠司せいじさんに婚約する前に話していた。


 俺がめかけの子であることも、そして母が亡くなったことも。

 以前、智子ともこさんに母のお墓の場所について尋ねられたことはあったのだが、まさか来て下さっているとは思わなかった。


 

「そう言っていただけると嬉しいです。ですがどうして母の墓参りに来てくださっているんですか? 母と智子ともこさんには面識はありませんよね?」



 そう、俺が気になっていたのはそこだ。



「面識はありませんが、あらたさんのお母様なのですから私がご挨拶に来るのは当然のことでしょう?」

 


 ごく自然に、当たり前と言わんばかりに智子ともこさんはいう。



「そうなのでしょうか……」

 

「そうですよ。それにあらたさんをこんなに良い人に育ててくれたのですからいつもお礼を言いに来ていました」

 


 墓石をみつめながら智子ともこさんは続ける。


 

「ですが、今日はお母様に謝りに来ました。あなたの大切な息子さんを娘が傷つけて申し訳ないと……」



「大丈夫です。母ならそんなことで怒りませんよ。むしろ謝られて困ってしまうと思います」



「そうですか……。あらたさんのその優しさはお母様譲りだったのですね」


 

 智子ともこさんは目尻に溜まった水滴をハンカチで拭いていた。

 俺は母に似ているのだろうか、そうだと嬉しいなと思いながら墓石をみつめた。




「気になっていたのですが、このたまご焼きはあらたさんが作ったのでしょうか?」

 

「そうですよ。良ければ召上がりますか?」



 供えものはそのままにしておけないので誰かに食べてもらえる方が助かる。



「え、いいのですか?」



 さっきまでの張り詰めた空気が緩んで智子ともこさんが明るくなる。

 もともとこの人は陽だまりのような優しい人だ、これまでかしこまっていたのだろう。



 自分で食べるためにも割り箸を用意していたので、智子ともこさんにそれを渡す。

 それから智子ともこさんはたまご焼きを口へと運んだ。

 


「このたまご焼き美味しいです」



「はは、ありがとうございます」


 

 ひとくち食べるや否やお褒めの言葉が出てきた。

 その様子に、寧々ねねちゃんと似ているんだなと、思わず笑みがこぼれた。


 

「なんなら全部食べてもらって構いませんので」



「本当ですか? ありがとうございます」



 それから智子ともこさんはたまご焼きを食べ進める。

 こういうところも親子なんだなと思った。



 それにしても、こうしてみると俺と同い年くらいにみえるな。

 とても二人の娘の母とは思えないほど若く可愛らしい印象を受けた。


 

「ありがとうございます。ごちそうさまでした」


「いえ、お粗末さまでした」


 

 食べ終えた智子ともこさんは満足そうにしていた。自分が作ったものを美味しそうに食べてもらう姿をみるのは嬉しい。



あらたさん料理お上手なんですね、焼き加減が程よくてだしの香りが上品で冷めててもとても美味しかったです」



「いえいえ、智子ともこさんに比べればまだまだですよ」



 何気なく返した俺の言葉に智子ともこさんは固まる。



「それはどういうことですか……?」



「え、えっと。智子ともこさんが作ってくださったお弁当のなかに小ネギ入りのたまご焼きありましたよね? それが美味しかったので自分ももっと頑張らないとなって」



 話が飛躍して伝わらなかったのだろうかと、俺は説明を付け加えるが、聞いている智子ともこさんの顔はますます困惑する一方だった。


 

「私が作ったお弁当? すみません、あらたさんがおっしゃっていることが分かりません」 


 

 智子ともこさんが首を傾げて続ける。


 

「そもそも私、料理できませんよ?」



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