第28話 おにいさんならできます!



 朝、顔を洗って歯を磨く。

 寝巻きではない部屋着に着替えて髪の毛をバームでセットする。


 今日は少し早めに起きれたので昨日買ったコーヒー豆をミルで挽く。

 電動もあるが、手動の方が俺は好きだ。


 

「うん、良い香りだ」


 

 沸いたお湯をほんの少しだけ冷ましてからドリップする。

 豆が膨らんでポタポタとコーヒーが抽出されていく。


 

「朝にこれを待てる時間があるなんて、少し前までは思いもしなかったな」


 

 垂れるしずくをみながら物思いにふける。

 コーヒーをカップに注いでから時計に目をやる。

 

 そろそろ寧々ねねちゃんが来る時間だ。

 昨日の夜に作った料理を寧々ねねちゃんの分を準備してテーブルの上に並べて待つ。


 

 しかし、待てど暮らせどインターホンは鳴らなかった。


 

「まあ、遅れることもあるか」


 

 いつも決まった時間に家に来ていたのだが、こういう日もあるだろう。

 それからコーヒーを飲んで待っていたのだが、寧々ねねちゃんがいま来たとしても学校に間に合わなくなる時間になったので、今日は来ないのだろうと思い至った。


 

 俺は料理を温め直して自分で食べることにした。

 寧々ねねちゃんのお箸をしまって、自分の箸と入れ替える。

 昨日の夜、自分で食べた時よりもなんだか美味しくない気がした。



 次の日も、その次の日も寧々ねねちゃんが家に来ることはなかった。


 

 来なくなった初日はなにかあったのかと心配したのだが、そのときに寧々ねねちゃんの連絡先を知らないことに気づいた。

 毎日、朝に家に来ることが当たり前になっていたし、出かけるときも寧々ねねちゃんが迎えにきていたからそれでも問題なかったのだ。



 次の日もインターホンが鳴ることはなかった。そこで俺はもう来ないのだろうと気づいた。

 まあお弁当を作らないようにおかあさんに頼んでいたのは自分だし、寧々ねねちゃんがわざわざ持ってくる必要はもうない。

 

 だからいつかは来なくなって当然で、こうなることを俺は最初の頃に望んでいたのだった。

 藤咲家との関係性はこれが正しいんだろう。



 それから日々は一日が長く感じられるようになった。


 

 朝は一人でご飯を食べて、昼はアニメを観てから趣味でプログラミングを組んで、夜はスーパーで買い物をして料理をする。

 会社に勤めていた頃とは違って、激務から解放されて悠々自適に過ごしているから充実しているはずだが、なんとも味気なかった。



 そんな日が数日続いたとき、気分を切り替えようと思った俺は街に繰り出すことにした。



◇ ◆



「ああ、まただめだ……」


 

 カラフルな店内には賑やかな音楽が流れてる。

 俺は以前、寧々ねねちゃんときたショッピングモールのゲームセンターに訪れていた。


 

 そして、クレーンゲームを前にして何度目かの失敗にうなだれていた。

 『でかかわ』のぬいぐるみは大きくてアームで掴んでも、すかっとすっぽ抜けて微動だにしなかった。



「気分を変えるために来たのに、どうして俺はここにいるんだろう」



 自問自答してみるが、答えはなんとなく分かっていた。

 ぬいぐるみが取れなくて口を尖らせて落ち込んでいた寧々ねねちゃんの横顔。

 『次は取ってみせるよ』と、俺が軽く約束したことをとても喜んでくれたこと。


 

 寧々ねねちゃんの顔が頭に浮かんで、足が自然とここに向いていたのだ。

 


 次に、お金を入れてプレイしようとしたそのとき。


 「あ、あの……」


 声を掛けられて俺は振り返る。

 そこには制服を着た大人しそうな男の子がいた、初めてみる顔だ。


 

「ごめん、独占してしまっていたな。代わろうか?」


 

「い、いえ! そうじゃないんです」


 

 俺がさっきからここの台に張り付いていたから変わって欲しいのかと思って提案したが違った。

 だったらどうしたのだろうと疑問に思っていたら、


「突然話しかけてすみません。さっきからみていたのですがそのやり方がじゃ取れないと思って、さしでがましいようですがつい声をかけてしまいました……」

 

 彼はとても丁寧に理由を話してくれた。

 

「なんだと?」


「ご、ごめんなさい!」


 俺の言葉に彼は驚いて萎縮してしまう。

 この図体にこの目つき、今日はメガネをつけていないから怖がらせてしまうのも無理はない。

 


「ごめん、ごめん。怖がらせるつもりはないんだ。ただやり方があるなら教えて欲しいと思ってな。教えてくれないだろうか?」


「は、はい! ポイントやアドバイスで良ければお教えさせていただきます!」

 

「ありがとう。むしろそれが助かる。自分の手で取りたいんだ」

 

「そうだと思いました。さっき店員さんが位置を変えようとしてても断ってましたもんね」


 そんなところまでみられていたのかと少し恥ずかしくなる。

 まあ平日の昼間にこんな図体の男がいたら少々目立つのだろうか。


「それに自分で取ったときの喜びは格別ですから」


 彼は気持ちの良い笑顔をしていた。

 取るのではなくて方法を伝えることが人への助けになることを彼は知っているのだろう。


 藁にもすがる思いで彼のレクチャーを受けることにした。


 

「それではいいですか。このアームというのはとても弱く設定されています、だから掴んでもすぐにすっぽ抜けてしまうんです」


「なに、そうだったのか。どうりで持ち上げないわけだ」


「はい。確率機といって何回かに一度アームが強くなるタイミングがあるのですがそれは今回は考えずにいきましょう」


「分かった」

 

 彼は俺の知らないことを教えてくれる。

 クレーンゲームを前に目が輝いていて活き活きしているようだった。


「この『でかかわ』のぬいぐるみは頭が大きくなっています。ですが、そこを掴んではいけません」


「なんだと……」


 俺は新事実に衝撃を受ける。


「掴みやすいところを持つのがいいと思っていた」


「そう思いますよね。ですが最初にお話しした通り、アームで掴んで持ち上げることはできないんです。だから軽い方を掴んで少しずつ動かしていきましょう」


 目から鱗が落ちるとはこのことだった。

 俺は彼にいわれたように軽い方の体をアームで掴む。

 すると、さっきまで持ち上げることのできなかったぬいぐるみが、重い頭を中心にして動いた。


「おお!」


「その調子です! それで手前のシールドまで持ってきましょう」


 それから徐々にではあるが確実に動かして、手前まで持ってくることができた。


「ではここからが正念場です。シールド部分が若干低いので、ぬいぐるみのしっぽのあたりにあるタグのあいだにアームを通して持ち上げて落としましょう!」


「なに、あんな細いところにアームを通すのか?!」


 できるのだろうかこの俺に。


「おにいさんならできます!」


 悩んでいるところに声援を受け、背中を押される。

 欲しいタイミングで欲しい言葉をくれるのはなかなかできることじゃない。


 俺は意を決して、レバーとボタンを操作する。

 何度かやってきてアームの開きや、落ちるときのブレが分かってきた。


「よし、通ったぞ!」


「まだです!」


 奇跡的に一発でタグのあいだにアームが通る。

 そこで気を抜きそうになった俺に、彼はげきを飛ばしてくれた。


 そう、落ちるまでがクレーンゲーム。

 俺と彼は固唾を飲んで行く末を見守った。

 

 持ち上げられた『でかかわ』はシールドを越えて頭の方から、がこん、と落ちた。

 少しの静寂のあと二人のあいだに歓喜の声があがる。


 

「やった! 取れた!」


「やりましたね! おにいさん!」


 

 そして店員さんが駆け寄ってきてベルを鳴らしたあと、袋に詰めて渡してくれた。


 

「ありがとう、君のおかげだ」


「いいえ、おにいさんの成果ですよ」


 謙遜する彼の姿にとてもいい人だと思った。


「それにしてもこの『でかかわ』ってなんだかおにいさんに似てますね」


「そうだろうか?」


「はい! なんだか黒くて大きくて一見怖い感じがするのに、よくみれば優しい雰囲気があるところとか……」

 

 

 なに、そんな風に思われていたのか。

 突然のカミングアウトに俺は驚く。



「ああ! 失礼なこと言ってすみません」



 自分の発言に気づいた彼は慌ただしく何度もお辞儀をしていた。


 

「いや、気にしなくていい。むしろ嬉しいかもしれない」


 好きなキャラに似ているのは悪い気はしないので、俺は素直に感想をいう。

 突如、店内に明るい女の子声が響く。

 

「オタクくーん、どこ行ったのー?」

 

「あ、やばい。中村さんのこと忘れてた!」


 どうやら彼の友達のようだった。


「僕、もう行かないといけないので失礼します!」

 

「いや、俺のためにすまない。アドバイスありがとう」


 彼は走り去っていった、その背中越しに俺は感謝の言葉を告げる。

 彼は金髪の美少女に駆け寄っていき頭を下げていた。


「ご、ごめん。中村さん!」

 

「もう、オタクくんどこ行ってたの! 罰として今日はオタクくんの家でオールでアニメの鑑賞会に決定だから」

 

「え! 今日はソシャゲのイベントしなくちゃ行けないのに!」


「なに? そんなことより、うちと過ごす方が楽しいっしょ?」


「まあ、最近はそうだね……」

 

「はーい、じゃあ決定! てか中村さんじゃなくて陽葵ひまりでいいって言ってるのにいつになったら呼んでくれるの?」


「それはその……」



 一見、混じり合わない二人にみえるがとても仲が良くて、いい雰囲気だった。

 彼は俺のような男にも手を差し伸べてくれる優しい男の子だからそんな彼に惹かれるのもどこか納得がいった。



 

 人のことばかり見てはいられないので俺は家に帰ることにした。

 そして手に持った袋に目をやる。

 

 寧々ねねちゃんがもし家に来て、これをプレゼントしたら喜んでくれるだろうか。

 ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめて愛でている様子を想像する。その姿はとっても可愛いだろう。


 『でかかわ』のつぶらな瞳が俺をみつめていた。



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