第21話 お義兄さん、このハイヒールだれの?




「おじゃまします」


「どうぞ」


 

 寧々ねねちゃんが玄関でローファーを脱ぐ。

 プリーツスカートから伸びた細く白い足が目にうつる。


 突然、寧々ねねちゃんの動きが止まる。


 

「……お義兄さん、このハイヒールだれの?」

 


「ああ、それは元職場の上司のだ。昨日家に来て一緒にお酒を飲んでたんだ」


 

「へえ、そうなんだ」


 

 聞いたことのないような冷たい声が返ってくる。

 冷房つけていないはずなのに、部屋の気温が少し下がったような気がする。



「上司だけど昨日はかなり酔ってしまったみたいで、今は寝室で横になってるから静かにな」


「寝室で……」

 

「いやあ、料理しているところに突然来て参ったよ。そういえばエプロンつけたままだった」


 

 急な来客に、エプロンをつけたままっだったことを思い出す。

 そのまま寝てしまったから少々しわになっている。あとで洗濯してアイロンしないとな。


 

「ふうん、その料理一緒にたべたの?」



「まあ、そうだな……」



「そう」


  

 寧々ねねちゃんの声色がさらに沈む。


 

「えっと、まだ余ってるから寧々ねねちゃんも食べていくか?」



「え、いいの?」



「ああ、もちろん。本当は寧々ねねちゃんのために作ったんだ」



「私のため?」



 ぱっと声色が戻る。

 朝だからさっきは声の出が悪かっただけだろう。



「ああ、寧々ねねちゃんは俺の料理の先生だからな。腕があがったか判断して欲しくて」


「じゃあ、食べる」

 

 それにいつも俺だけお弁当を食べていて、寧々ねねちゃんはそれをみているだけだったので少々気が引けていた。

 食べるものは違うけど一緒に食べたほうが美味しいしな。


 

「「いただきます」」



 寧々ねねちゃんが豚の角煮をその小さな口へと運ぶ。

 俺は不安気にそれをみつめていた。



「柔らかくって味が染みてて美味しいよ。合格、花丸あげる」


 

 寧々ねねちゃんは俺の手のひらに指で花丸をかく。

 なんだがこそばゆい感覚になるが、料理を褒められるのは素直に嬉しい。


 

「ありがとうございます。これからも精進します」


 

「ふふ」


 

 俺が本当の生徒のように真面目に返したら、寧々ねねちゃんは笑ってくれた。



「そうだ寧々ねねちゃんさえよかったら、俺が作ったものをこれからもこうして食べてくれないか?」

 


「いいよ」

 


 意外にも即答だった。

 これで俺の料理の腕が問題なく一人で健康的な生活が送れることが分かってもらえれば、お義母さんがお弁当を作ったり、寧々ねねから料理を教わることもなくなるだろう。



 かちゃり、とドアの開く音がした。

 寝室から頭を抑えながらおぼつかない足取りで三好みよし先輩が出てくる。


 

「うう、頭痛い。一ノ瀬いちのせくんおはよう、悪いんだけどなにか食べるものないかしら?」


「昨日の残りならありますよ。二日酔いならあとでお味噌汁でも作りましょうか?」



「ありがとう、助かるわ」

 


 寝ぼけながら歩いていた三好みよし先輩の足が止まり、


 

一ノ瀬いちのせくん、この子はどなた?」


 

 そのくっきりとした瞳を見開き、ハスキーな声で俺にたずねる。

 

 

「初めまして、藤咲ふじさき寧々ねねです。お義兄さんの元上司さんですよね? お義兄さんがいつもお世話になっています」


 

 俺が紹介するよりも早く、寧々ねねちゃんはさっと立ち上がり自己紹介をした。

 お辞儀がなんとも綺麗で藤咲ふじさき家の御令嬢ということを実感させられる。


 

「初めまして、三好みよし結衣ゆいです。ご存知かもしれないけれど、一ノ瀬いちのせくんの元上司よ」


 

 三好みよしは髪をかきあげ、寧々ねねちゃんは微笑む。

 それから互いをみつめあってしばらく黙ったままの二人だった。


 

三好みよし先輩も一緒にご飯どうですか? 寧々ねねちゃんもほら、座って」

 

 二人とも立ったままだったので俺は、三好みよし先輩をテーブルに促し、寧々ねねちゃんにも席につくようにいう。


「ありがとう、一ノ瀬いちのせくん。藤咲ふじさきさん、同席させてもらっていいかしら?」


「ええ、構いませんよ」


 寧々ねねちゃんは人見知りしそうだけどそんなことはないようだった。

 

 朝食を三人以上で食べることなんて初めてだな。

 いつもは母と二人きりで、大学卒業してからはずっと一人だったから。

 


 人数が多い方がごはんも美味しくなるだろう。


  

 ◇ ◆


 

藤咲ふじさきさん想像できるかしら、一ノ瀬いちのせくんは入社時はまだまだで私がいないとなにも出来なかったのよ? それからずっと私と二人三脚で一緒に頑張ってきたの。今でこそ彼の努力のかいあって仕事が出来るようになってるけれど」

 

「へえ、そうなんですね。でもそれ少し想像できるかもしれません。お義兄さんの料理今でこそとても美味しいけど、初めて作ったのは黒こげだったんです。私と一緒に頑張って上手になってきたんです。お義兄さんって努力家ですよね」


「ええ、そうね。努力家なのは私が一番よく知ってるわ」


「私も今一番近くにいるのでとてもよく知ってます」


「それにしても初めての料理、ねえ」


「ずっと二人三脚、ですか」


 

 二人のことを知っている俺が場を回さないといけないと思っていたのだが、そんなことはなかった。

 俺の話題ではあるあが、俺そっちのけで二人の話はどんどんと進んでいく。


 


 なごやかに思えた空気が、三好みよし先輩の発言により一変する。



 

「気になっていたのだけれど。あなた、藤咲ふじさきさんっていったわよね? もしかして一ノ瀬いちのせくんの元婚約者のご親族の方?」



「はい……、そうです」



「だったら言わせてもらうけれど、もうあなたの家と一ノ瀬いちのせくんは関係ないわよね? だってあなたのお姉さんが婚約破棄したんですもの」



三好みよし先輩、これには事情が……」



一ノ瀬いちのせくんは黙ってて、私はこの子に聞いているの。今も家に来て、まだお義兄さんだなんて呼んで、あなたは一体どういうつもりなの?」


 

 力強い眼差まなざししとともに鋭い指摘が入る。

 ハスキーな声がさらに低くなり、聞く人へ圧を感じさせる。

 

 

 寧々ねねちゃんの赤い瞳が揺れていた。

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