第22話 新さん、……だめ?




寧々ねねちゃんはすうっと息を吸い、覚悟したかのようにふっと吐いた。

 その瞳は揺れるのをやめてただ真っ直ぐをみつめていた。



「まず私の姉であるあの人はお義兄さんに多大なご迷惑をおかけしました。取り返しのつかないことだと思います。本当にごめんなさい」



 寧々ねねちゃんは俺に体を向けて頭を下げた。



「謝らなくていい。前にも言ったが悪いのは寧々ねねちゃんじゃないんだから」



「それでも、ごめんなさい」

 



 それから顔をあげて三好みよし先輩に向き直る。

 



「お義兄さんと藤咲家のあいだに関係がないのは認めます」


 

 ですが、と言葉をはさんで続ける。


 

「関係というのは戸籍やそういったものだけでなく、これまで接してきた時間だと私は思います。三好さんは職場での仕事などを通じてお義兄さんとのいまの関係がおありですよね?」

 


「ええ、そうね」


 

 寧々ねねちゃんの問いかけに、三好みよし先輩は肯定をしめす。


 

 たとえ戸籍や血の繋がりがあってもそこに時間がなければ、誰であったとしても遠い存在だ。

 俺はそれを父親であるあの人を通じて痛いほど理解している。

 

 

「では職場が変わってしまえば他人になるのでしょうか。いえ、なりませんよね。現に三好さんとお義兄さんは関係は良好に続いています。いまでも家に泊めてしまうくらいに」


 

 にっこり、と寧々ねねちゃんに顔を向けられる。

 笑顔なのになぜか寒気がするんだが。


 

「私は元婚約者の妹という立場ですごく遠い位置にいますが、姉の婚約中に家族交えて会食をしたり出かけりしたことだってあります。その時点でもう他人ではありません」


 

 一度関わった以上、本当の意味で他人に戻ることなんてないと俺は思う。

 離れたり関わらないという選択肢を取ることはできるが、薄くて細くても繋がりはそこにあるのだ。


 

「あの日、式場で自分が悪いわけじゃないのに何度も頭を下げて謝ってる姿をみてお義兄さんが深く傷ついているの感じました。それで藤咲家とは関係がなくなったいま関らないほうがいいとも考えました、でも……」



 言葉が詰まる。

 喉元に出かかった言葉をどうしようかと悩んでいるようだった。



 

「でも、私個人として傷ついたお義兄さんを支えてあげたい、慰めてあげたい、そう思ったんです。だから私はここにいます」




 寧々ねねちゃんは三好みよし先輩を向いたまま言い切った。

 その言葉を聞いて三好みよし先輩がゆっくりと口を開く。



 

「そうだったのね。話してくれてありがとう」



 三好みよし先輩の表情が緩む。



「私はなにもあなたたちの関係を否定するつもりはないの。本当にただ藤咲ふじさきさんがどういうつもりなのか聞きたかっただけ」



 そして、ひと呼吸置いて続ける。 



「でも第三者である私がづけづけと無遠慮に聞いてしまったのは良くなかったわね。言い方も感情的になってしまって大人気なかったと反省しているわ。藤咲ふじさきさん、本当にごめんなさい」



 

 寧々ねねちゃんに向かって三好みよし先輩は深く頭を下げた。



 

「あ、あの、頭をあげてください。元婚約者の家族がきてなにをしてるんだって、先輩である三好みよしさんが心配するお気持ちも十分わかりますから」



 

「ありがとう、そういってくれると助かるわ。でも本当にごめんなさいね」


  

 

 張り詰めていた空気がなくなる。

 なんとか場が丸く収まったようだ。



 

 というか寧々ねねちゃんさっき私個人としてって言ってたよな。

 お義母さんに頼まれて嫌々きてるんじゃなかったのか……?


 


あらたさん」


 

「え?」


 

 突然名前を呼ばれたことにどきっとして、思考が手放される。



 

「お義兄さんじゃないから、呼び方かえる。これからはあらたさんって呼ぶ」


 

「いや、それは」



あらたさん、……だめ?」



 

 こてん、と首を傾げてきいてくる。

 そんな風にいわれたら断れるわけがなかった。


 

「いいよ」



「ありがと」



 あらたさんか、いつもお義兄さんだったから聞き慣れないな。



 それにしては寧々ねねちゃんの方はやけに言い慣れている気がする。

 呼び方を変えたときは、もっとこう呼ぶのにためらいとかあると思うのだが。




「ちょっ、ちょっと! 私もあらたくんって呼んでもいいかしら?」


 

 髪をかきあげながら三好みよし先輩がきいてくる。



 

「え、なんでですか? 理由ないですよね」



「そうです、三好みよしさん。便乗やめてください」



「そ、そんな……」


 

 三好みよし先輩の髪がはらりと顔にかかる。


 

「だ、だったら三好みよし先輩じゃなくて結衣ゆいさんって呼んでくれないかしら? ほ、ほらもう会社が違って先輩後輩でもないでしょ?」


 

 なるほど、それなら理由があるか。

 いいですよ、と言いかけたそのとき。


 

「だ、だめです!」


 

 大きな声がしたかと思ったら、ぷくっと頬を膨らませた寧々ねねちゃんがいた。


 

「どうして藤咲ふじさきさんが断るのよ」



「だって、だめなものはだめなんです」



「あなた、名前で呼ばれてるじゃない。しかもちゃん付けで。私だって本当だったら結衣ゆいちゃんって呼ばれたいのを我慢して、結衣ゆいさんって呼んでくれるようにお願いしてるのよ?!」




「下の名前で呼んでもらうのは寧々ねねだけ。そうだよね、あらたさん?」



「そんなのずるいわ。私のことも名前で呼んで欲しいの、いいでしょあらたくん?」



 

 二人の顔がずずいっと寄ってくる。

 寧々ねねちゃんのぱっちりとした赤い瞳、三好みよし先輩のくっきりとした力強い瞳が目の前までくる。

 美少女と美女だと迫力がすごいな、圧倒されてしまう。



「あ、いまどさくさに紛れて名前で呼んだ!」



「べ、別にいいじゃない!」



 

 それにしてもなんだこの状況は、俺の入る隙がない。

 どうすればいいんだ、と狼狽うろたえてるしかなかった。


 


 ――ピンポーン



 

 突如、インターホンの音が家に響いた。




「おっと、だれか来たようだから出てくるよ」



 

 俺は二人を残して、そそくさとその場を離れた。

 宅急便だろうか、なにかを注文した覚えはないが助かった。




 ドアホンのディスプレイをみると見知った顔があった。

 

 


『おはようございますセンパイ、朝早くに突然の訪問申し訳ございません』



 

 ショートヘアをなびかせ、いつものスーツ姿とは違う綺麗目なファッションに身を包んだ女性がいた。

 元部下の北川きたがわ伊吹いぶきだ。


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