第20話 一ノ瀬くんを慰めにきたの



 ある日の夕方。


 

「なかなか上手く作れたんじゃないか?」


 

 俺は夕食を作り終えたところだった。

 寧々ねねちゃんに料理を教えてもらう以外にも、自分で調べたものをこうして作っている。


 

 おかげで少しずつ手際や包丁さばきがうまくなってきた気がする。

 味に関してはお義母さんのレシピには及ばないが。

 


 ――ピンポーン


 

 インターホンが鳴る。



「ん、誰だ?」


 

 朝じゃないから寧々ねねちゃんではないよな。

 エプロンで手を拭きなら移動し、ドアホンの映像をみる。

 


 そこには軽薄そうな優男が映っていた。

 俺の友人で同僚のおおとり恭平きょうへいだ。

 


『おう、あらた


 

 なにか面白がっているような含みある声がした。

 嫌な予感がする。こういう時は大抵おかしなことを考えているパターンだ。

 


「どうした恭平きょうへい? お前が家にくるなんて珍しいな」



『そうだろ。まあ、あとは頑張ってください』


 

 あとは頑張ってくださいって、なにをだ?

 そう疑問に思っていたとき。


 

『久しぶりね、一ノ瀬いちのせくん』


 

 落ち着いたハスキーな声がする。

 ワンレンのロングヘアをかきあげながら、妖艶に微笑ほほえむ美人が恭平きょうへいに代わって、ディスプレイに映った。


 

三好みよし先輩!?」


 

 俺の直属の上司で、アメリカの企業にヘッドハンティングされた三好みよし結衣ゆいさん、その人だった。

 嫌な予感はあたっていた。



『元気にしてたかしら?』



 ◇ ◆


 

「おじゃまするわね」


 

「どうぞ」


 

 わざわざ家に来てもらったので、俺は三好みよし先輩たちを招き入れることした。

 

 

 大きなキャリーケースと手提げとともに入ってきた三好みよし先輩が玄関でピンヒールを脱ぐ。


 

 タイトスカートから伸びる黒いストッキングに包まれた長い足が目にはいる。

 その仕草ひとつとっても注目をしてしまうような、相変わらずの美人ぷりだった。



「あれ、恭平きょうへいのやつはどこに行きました?」


 

「彼ならさっき、急用ができたって帰ったわよ。いて欲しかったのに」


 

 後続にいない恭平きょうへいのこと尋ねると、そんな返答が返ってきた。

 なに、急用だと。


 

 つまり、俺と三好みよしさんの二人っきりか?

 となると話が違ってくる。

 いつも恭平きょうへいがいるけれど三好みよし先輩と二人なの何気に初めてだ。

 


 三好みよし先輩は俺と二人になることは避けるようにしている節がある。

 さっきも恭平きょうへいにいて欲しかったといっていたし。



 もしかすると恭平きょうへいに気があるのか、なんて邪推じゃすいしたこともある。

  


「どうしたの一ノ瀬いちのせくん、もしかして意識しちゃってるのかしら?」


 

「いえ、そんなことはないです」


 

 元上司に下手なことを言うわけにはいかないので、冷静に返す。


 

「そう」


 

 三好みよし先輩は俺を見定めるように腕を組んでいた。

 腕に乗った胸が強調され、目線のやり場に困る。


  

「立ち話もなんですし、こちらへどうぞ」


 

 リビングに三好みよし先輩を案内することでやり過ごす。


 

「ありがとう。座らせてもらうわ」


 

 三好みよし先輩はソファに腰掛けて足を組み、シートをなでる。

 それだけで妖艶な大人の女性といった雰囲気がでている。


 

「それにしても一ノ瀬いちのせくんって家庭的なのね」



「え? どうしてですか?」



「だって、エプロンつけてるじゃない」


 

 いわれて自分の格好に気づく。

 元上司に日常的な部分をみられて少し恥ずかしい。


 

「まあ、その……最近料理始めたんです。それでこれは貰ったんです」



「へえ、いいじゃない。よく似合ってるわよ?」


 

 平行二重のはっきりとした瞳がこちらをみる。



 

「あら、胸元の『I.A』の刺繍のドットのところだけど、ドットにしては少し形が違うんじゃないかしら?」



「え、そうですか?」


 

 確認してみるとドットにしてはいびつになっているように感じる。

 ドットかと思っていたそれは、とても小さなハートだった。


 

「よくみたらハートでした、今まで気づかなかったです。三好みよし先輩よく気づきましたね」



 仕事の時もそうだったが、誰も気づかないような細部に対して急に鋭い指摘が入るんだよな。

 目のつけどころが違う。この人はやっぱりすごいな。

 



「いえ、何気なくみてたら気づいただけよ」



 

 三好みよし先輩は素っ気なく答える。

 凝視してた気がするが、俺の思い過ごしだったか。



 そういえば、この刺繍は機械のような規則正しさというより、人の温もりを感じられる。

 お義母さんがわざわざ縫ってくれたのだろうか。

 それにしてもドットの代わりにハートにするなんてお茶目なところもあるもんだ。

 


 それよりもまずは三好みよし先輩に聞かないといけないことがある。



 

三好みよし先輩、どうして俺の家を訪ねてきたんですか?」



「それは、一ノ瀬いちのせくんを慰めにきたの」



「え?」


 

 慈しむような表情に、俺は引き寄せられるような感覚を味わう。


 

「なんてね、冗談よ」


 

 唇が妖しく弧をえがく。

 こんな美人にそんなことをいわれたら勘違いしてしまいそうになるから困る。

 三好みよし先輩は一呼吸おいて、続ける。


 

 ――――一ノ瀬いちのせくん、アメリカに来ない?

 


「どういうことですか?」


 

 突然のことに頭が混乱する。


 

「詳しくは追々話すとするわ、今日はパーっと飲むわよ!」


 

 そういってどこからともなく取り出したのは、大理石のかめだった。

 キャリー以外に持っていた手提げにそんなものを入れてたのか。


 

「もしかして、それって甕雫かめしずくきわみですか?」


 

「そうよ。しかもそれの原酒よ」


 

 甕雫かめしずくは芋焼酎で少々高いお酒だ。

 その中でも極は高く、それの原酒ということだからもっと値段は張るだろう。

 そもそも手に入りづらい。


 

「おつまみも持ってきたの。一ノ瀬いちのせくんはその様子だと今からご飯だったんでしょ? 一緒に飲みながら少し話でもどう?」


 

 まてまて、思考が追いつかないんだが。

 しかし、元上司をちゃんとおもてなししないと、と社会人だった頃の血が俺を動かす。



「はい、ご相伴しょうばんにあずかります。さっき豚の角煮と他にも細々とした副菜を作ってたんですけど召し上がりますか? 芋焼酎に合うと思うのですが」


 

「一ノ瀬くんが作った豚の角煮……」

 


 思案顔で固まっている三好みよし先輩。



「すみません。手作りとか苦手でしたか?」



「いえ、是非ともいただきたいわ」



 予想外に満面の笑みがかえってきた。 

 三好みよし先輩はおつまみだけでなく、しっかりとしたおかずがあったほうが酒がすすむタイプだもんな。

 いっぱい飲んだり食べたりするのにこの抜群のスタイルを維持しているのはすごいな。


 

 それにしても長い夜になりそうだ。



 

 ◇ ◆




「ん、痛っ……」


 

 頭の痛みで目が覚める。

 こめかみを抑えながら昨日のことを振り返る。



 あれから飲み食いしながらいろいろな話をした。

 三年ほど顔を合わせていないなら話題にはことかかない。


 

 それに三好みよし先輩は俺が元婚約者と破談になり、仕事をクビになったことなどをなぜか知っていた。

 会社の人間と繋がりがまだあれば耳にすることもあるだろう。

 アメリカに来ないかという話よりも、昨日はそっちの話がメインになった。


 

 三好みよし先輩は俺以上に元婚約者やあの人に対して怒ってくれていた。

 あんなに怒っている姿をみるのは二度目だった。



 

 ヒートアップした三好みよし先輩はどんどんとお酒をのみ、俺もそれに付き合った。

 無理矢理飲まされたのではなく、俺もそんな気分になったんだ。



 

 まあ、俺はお酒が強くないから飲んだのはほとんど三好みよし先輩だったが。

 いきなり家にきて困ったが、慰めにきてくれたのは本当かもしれない。


 

 そして酔い潰れた三好みよし先輩を介抱して寝室まで運んだあと、俺はひとりでソファで寝たんだったよな。



 前に一度、先輩の家でのんだとき俺が酔い潰れてそのまま家に泊まったことはある。あのときはかなり迷惑をかけてしまった。今回はそれの恩を返せたと思えばいいだろう。



 しかし、その時と違って今日は恭平きょうへいがいない。

 今、思えばなかなかな状況だな……。



 空いている酒や、開封されたおつまみ、平げたお皿がいくつかテーブルに転がってるのを確認して、片付けないとな、なんてぼんやりと考える。


 


 

 ――ピンポーン


 インターホンが鳴る。

 

『お義兄さん、おはよ』


 寧々ねねちゃんだ。

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