第20話 一ノ瀬くんを慰めにきたの
ある日の夕方。
「なかなか上手く作れたんじゃないか?」
俺は夕食を作り終えたところだった。
おかげで少しずつ手際や包丁さばきがうまくなってきた気がする。
味に関してはお義母さんのレシピには及ばないが。
――ピンポーン
インターホンが鳴る。
「ん、誰だ?」
朝じゃないから
エプロンで手を拭きなら移動し、ドアホンの映像をみる。
そこには軽薄そうな優男が映っていた。
俺の友人で同僚の
『おう、
なにか面白がっているような含みある声がした。
嫌な予感がする。こういう時は大抵おかしなことを考えているパターンだ。
「どうした
『そうだろ。まあ、あとは頑張ってください』
あとは頑張ってくださいって、なにをだ?
そう疑問に思っていたとき。
『久しぶりね、
落ち着いたハスキーな声がする。
ワンレンのロングヘアをかきあげながら、妖艶に
「
俺の直属の上司で、アメリカの企業にヘッドハンティングされた
嫌な予感はあたっていた。
『元気にしてたかしら?』
◇ ◆
「おじゃまするわね」
「どうぞ」
わざわざ家に来てもらったので、俺は
大きなキャリーケースと手提げとともに入ってきた
タイトスカートから伸びる黒いストッキングに包まれた長い足が目にはいる。
その仕草ひとつとっても注目をしてしまうような、相変わらずの美人ぷりだった。
「あれ、
「彼ならさっき、急用ができたって帰ったわよ。いて欲しかったのに」
後続にいない
なに、急用だと。
つまり、俺と
となると話が違ってくる。
いつも
さっきも
もしかすると
「どうしたの
「いえ、そんなことはないです」
元上司に下手なことを言うわけにはいかないので、冷静に返す。
「そう」
腕に乗った胸が強調され、目線のやり場に困る。
「立ち話もなんですし、こちらへどうぞ」
リビングに
「ありがとう。座らせてもらうわ」
それだけで妖艶な大人の女性といった雰囲気がでている。
「それにしても
「え? どうしてですか?」
「だって、エプロンつけてるじゃない」
いわれて自分の格好に気づく。
元上司に日常的な部分をみられて少し恥ずかしい。
「まあ、その……最近料理始めたんです。それでこれは貰ったんです」
「へえ、いいじゃない。よく似合ってるわよ?」
平行二重のはっきりとした瞳がこちらをみる。
「あら、胸元の『I.A』の刺繍のドットのところだけど、ドットにしては少し形が違うんじゃないかしら?」
「え、そうですか?」
確認してみるとドットにしては
ドットかと思っていたそれは、とても小さなハートだった。
「よくみたらハートでした、今まで気づかなかったです。
仕事の時もそうだったが、誰も気づかないような細部に対して急に鋭い指摘が入るんだよな。
目のつけどころが違う。この人はやっぱりすごいな。
「いえ、何気なくみてたら気づいただけよ」
凝視してた気がするが、俺の思い過ごしだったか。
そういえば、この刺繍は機械のような規則正しさというより、人の温もりを感じられる。
お義母さんがわざわざ縫ってくれたのだろうか。
それにしてもドットの代わりにハートにするなんてお茶目なところもあるもんだ。
それよりもまずは
「
「それは、
「え?」
慈しむような表情に、俺は引き寄せられるような感覚を味わう。
「なんてね、冗談よ」
唇が妖しく弧をえがく。
こんな美人にそんなことをいわれたら勘違いしてしまいそうになるから困る。
――――
「どういうことですか?」
突然のことに頭が混乱する。
「詳しくは追々話すとするわ、今日はパーっと飲むわよ!」
そういってどこからともなく取り出したのは、大理石の
キャリー以外に持っていた手提げにそんなものを入れてたのか。
「もしかして、それって
「そうよ。しかもそれの原酒よ」
その中でも極は高く、それの原酒ということだからもっと値段は張るだろう。
そもそも手に入りづらい。
「おつまみも持ってきたの。
まてまて、思考が追いつかないんだが。
しかし、元上司をちゃんとおもてなししないと、と社会人だった頃の血が俺を動かす。
「はい、ご
「一ノ瀬くんが作った豚の角煮……」
思案顔で固まっている
「すみません。手作りとか苦手でしたか?」
「いえ、是非ともいただきたいわ」
予想外に満面の笑みがかえってきた。
いっぱい飲んだり食べたりするのにこの抜群のスタイルを維持しているのはすごいな。
それにしても長い夜になりそうだ。
◇ ◆
「ん、痛っ……」
頭の痛みで目が覚める。
こめかみを抑えながら昨日のことを振り返る。
あれから飲み食いしながらいろいろな話をした。
三年ほど顔を合わせていないなら話題にはことかかない。
それに
会社の人間と繋がりがまだあれば耳にすることもあるだろう。
アメリカに来ないかという話よりも、昨日はそっちの話がメインになった。
あんなに怒っている姿をみるのは二度目だった。
ヒートアップした
無理矢理飲まされたのではなく、俺もそんな気分になったんだ。
まあ、俺はお酒が強くないから飲んだのはほとんど
いきなり家にきて困ったが、慰めにきてくれたのは本当かもしれない。
そして酔い潰れた
前に一度、先輩の家でのんだとき俺が酔い潰れてそのまま家に泊まったことはある。あのときはかなり迷惑をかけてしまった。今回はそれの恩を返せたと思えばいいだろう。
しかし、その時と違って今日は
今、思えばなかなかな状況だな……。
空いている酒や、開封されたおつまみ、平げたお皿がいくつかテーブルに転がってるのを確認して、片付けないとな、なんてぼんやりと考える。
――ピンポーン
インターホンが鳴る。
『お義兄さん、おはよ』
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