case04 : 生前、思い出の場所へ
移動しながら、俺たちはその猫の話に耳を傾けていた。
「俺は生前、一般的な野良猫だった。その辺にいる猫と何ら変わらない、普通の野良。変わっていたとすれば、この真っ黒な毛並みくらいなもんだ。……だけど、そのせいで不吉だと恐れられ、人間からは良く避けられていたっけな。
ついでに、野良猫は生きていくのが大変でな。食べ物は山や川で獲物を狩るかゴミ箱をあさることでしか手に入れられなかった。野良の中には、人間に近づきお恵みを貰う……なんて賢いやつもいたが、避けられてた俺には興味のない知識だったよ。そんなんでも、俺は頑張って生きていた。20年は生きていたと思うぜ。長生きだろ?
ま、とはいえ年をとればその分食べ物をとることも難しくなってくる。ちょうど2年くらい前だ。つい限界を迎えて、俺は道端で動けなくなった」
黙って話に耳を傾ける。この猫は俺たちの想像よりも遥かに大変な道のりを歩いてきたことが、話しぶりからよく伝わってくる。
こちらの心に上手く入り込む力は、おおよそ一般的な人間のそれを遥かに超えている。
「もう終わりかと諦めた、そんな時だ。白髪の目立つ、杖をついた爺さんが通りかかった。大丈夫か、なんて死にかけの俺より悲しそうな顔をして、正直物好きな人間もいたもんだと思ったさ。なんたって、ただの野良猫に声をかけるんだからな」
「今思い出しても、やっぱりおかしな奴だよ」
そう、少し寂しそうな声を漏らす。
何となく、視線を足元の猫に向ける。そこには、どこか過去を懐かしむ、儚げな猫がいた。
「俺はそのまま、その爺さんに抱えられて、建物に入ったんだ。古いけれど掃除の行き届いた、小綺麗な爺さんの住処。俺はその爺さんに飯を食わせてもらって、体も洗ってもらって、まさに至れり尽くせり。もちろんその時はまだ猫だったわけだから、言葉なんか話せなかったけど……俺が不思議そうに見上げた時は大丈夫だと笑っていたよ。
人に施しを受けるなんて初めてだったが、すごく嬉しかった。こんな人間もいるんだなって。
んで、実はこの家には、もう一匹猫がいた。俺とは違い、真っ白な毛並みの美しい猫だったよ。初めは身体が言うことを聞かなくて、その猫の存在に気が付かなかった。
3日くらいで体調も回復して俺は普通に動けるようになって、家で飼われていた白猫……ライラって名前だったな。その猫とも仲良くなった。
だが、俺は飼い猫のいる家に長居するほど落ちぶれた猫じゃあない。元気になったからと家を出て行った。ほとんど家出に近い形だったがな」
そこまで話し、猫又は振り返ってこちらの表情を伺う。
「俺ばかりが話しちまって悪いな。退屈だろう」
実に心優しい猫だ。人間らしい……いや、人間よりも周りを気遣えている。この場合、人間らしいは暴言に当たるかもしれない。
「問題ない。話を続けていいぞ」
俺は続きを促す。
「そうか……。俺は家を出たその後、実はちょくちょくその爺さんの家を訪れていた。ただ暇だっただけで、特に理由はなかった。だけど、気まぐれで魚や木の実を持っていくと、その爺さんがとても喜んでくれる。それがまた、大層嬉しくてな。時には無理をしてでも、色とりどりのお土産を持って行った。
無理に出ていった俺を、爺さんはいつも歓迎して入れてくれた。そして、おそらく聞いて欲しかっただけなのだろうが、好きな物語を聞かせてくれるんだ。爺さんからすれば、暇つぶし程度に語りたかっただけ、……だったんだろうが、おかげで人の言葉をたくさん覚えられた。
そんな、猫と人間の不思議な関係は、つい最近まで続いていたんだ。たまには外出に付き合ったりもして、その時、そこの店主の店にも行ったことがあった」
それで、大輔さんの事を知っていたのか。
「……そうか。覚えてるぞ。随分前に猫を連れてやってきたあのお爺さん。一緒にいた猫の一匹は、お前だったのか」
「そうだ。覚えているなんて、嬉しいな」
縁とは面白いものである。
知らぬうちに関わり合い、それが巡って新たな縁に繋がる。同時に、不思議なモノでもあった。魔力も物理も関係なく、しかし間違いなくそれは存在する。
「俺みたいな小さい店を経営する者は、たとえ1度きりだったとしても客の顔は忘れない。無論、それが人間でなくとも、俺にとっては大切な
黒猫は足を止め、声を出して笑った。
その嬉しそうな表情は、とても妖怪だとは思えない。
大輔さんの言葉に喜び、そして話を続ける。
「これはつい2週間ほど前だ。俺は何日かぶりに、その家に行った。家の中に入ったらなんとびっくり、小さな2匹の子猫が、ライラのそばで丸くなっていた。本当に小さくて、可愛らしい白い子猫。少し灰色のこれまた小さい子猫。
驚いてキョロキョロしてたおれに、昨日に生まれたのだと、爺さんが説明してくれた。
俺は感動しちまったよ。新しい命を見たときに。そして他人事……いや他猫事ながら思った。こいつらには、絶対に幸せに生きて欲しいって。――だが」
話が途切れ、歩く足が再び止まる。しっぽまでが、強く逆立っている。
「次の日の朝、俺は珍しく2日連続で爺さんの元を訪れた。あの尊い命をこの目に焼き付けておきたくて……なんて、綺麗な言葉を伝えられたら良かったんだが、生憎その日はそんな美しい理由じゃない。
……嫌な予感がしたんだ。何となくな。
いつもの通り窓から家に入ってみると、やけに静かだった。俺は急いでリビングに向かった。すると、そこでは変な髪の男が二人が佇んでいて、すぐ横で爺さんが縛られていたんだ。ライラも隣で震えていた。男たちはキラキラ光るナイフみたいなものを持っていた。
俺はこっそり爺さんに近づいて、脇をつついた。お爺さんは驚いたようにこっちを見たよ。ただ、直ぐに小さな声で、この子達を頼むとだけ告げた。縛られた後ろの手には、二匹の子猫が震えてて……、その子猫二匹を俺に託したんだ。正直驚いたさ。けど、俺は考えるより早く、子猫二匹を
……一瞬だった。赤い血しぶきと、お爺さんのうめき声だけが、頭に不思議とこびりついて剥がれない。あの時感じたのは恐怖よりも怒りだ。頭の中で、ぐるぐると回り続けて止まれない怒りの矛先を、どこかへ投げ出さなければ居られなかった。
その時、俺は頭が真っ白になって、男の首元にかみついた。だが、猫である俺が人間に勝てるわけもなかったよ。まるで蚊を潰すように、壁へ押し潰されて……あっさり殺された」
突然の話の展開に息を飲む。
己の死に様を語る猫又に、どのような声をかければいいのか分からなかった。呆然と、かける言葉に悩みながら視線をさまよわせる。
「殺された……はずだったんだがな……」
猫又は歩くのをやめ、こちらに振り返って、自嘲気味に笑った。
「何故か、こうしてここに戻ってきた。何かするべき事があると、そう問いかけるようにな」
その猫が足を止めたその場所は、とても古びていて今にも壊れそうな、大きな家の前であった。白い壁も穴だらけで、ほんの数日前まで人が住んでいたとは思えない様相のお屋敷。
「……俺の、思い出の詰まった場所……だった」
小さな首を傾けて、その猫は屋敷の入口をただ見つめるばかり。もはや猫又の話に出てきたような、美しい景色はどこにもない。
その背景も相まって、猫又特有の二つのしっぽが様々な感情を携え、大きく揺れたように見えた。
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