case06 : 過去からの裏切り

【――住宅街――】


「恵那森先生、こんな時間までありがとうございます」

「いいえ。私は教員です。生徒の心配をするのは当然ですよ」

「でも、わざわざバイトが終わる時間まで待たせるなんて……、申し訳ありません。明日からは警察の方がご一緒してくれると思うので」

「えぇ、分かっています。こうも疑われていては辛いでしょうが、先生は前郷君の味方ですからね。相談があればいつでも来てください」


 時は夜9時過ぎ。辺りは真っ暗で、街灯の光がやけに強く感じられる。

 前郷菊雄は、恵那森先生と共に自宅への帰路を歩いていた。


 バイトの日に決まって巻き込まれる彼を、恵那森先生が心配して付き添っている。


 バイト先から自宅までは徒歩で20分弱の道のり。

 二人は今日の授業の話や、学生生活についての他愛もない話をしながら、前郷家まで歩く。


「もうすぐ自宅です。今日は何事もなくて良かった」

「ありがとうございます先生。僕は両親がいませんから、実はここ数日は少し不安だったんです」


 前郷菊雄には両親が居ない。


 とある事件に巻き込まれ亡くなったと警察から聞いてはいるが、当の菊雄にはその当時の記憶がすっぽり抜け落ちていた。


 自宅で倒れているところを発見され、病院で目を覚ました時に両親が亡くなったことを告げられている。

 彼は長い間苦しみ、泣いて、ようやく立ち直ったところに今回の事件。不安でないはずがない。


「あ、ここまでで大丈夫です。ありがとうございました」

「両親が居ないことでさぞ苦労してきたでしょう。今回の事件も大変なことと思います」


 頭を下げて、十字路を一人で去ろうとする菊雄の背中に、先生はふと声をかけた。


「ですが、それも今日までです。君はここまで充分に苦労してきましたから。、苦しまずに……ね」

「せ、先生……?」


 街灯の光が恵那森先生の背中を照らし、その表情を隠す。


 菊雄は先生の妙な雰囲気に震え、咄嗟に1歩後ずさる。


「安心してください。あなたのお母さんもお父さんも、とても良き人でした。そこに君が加われば、彼らもより強くなるに違いありません」


 恵那森が彼を追って1歩前に。


 街灯の明かりが彼の表情を映し出す。


「せ、先生……な、なんで」

「はい?」

「どうして――笑ってるの」


 そこに浮かんでいたのは、不気味な笑顔で菊雄を睨む、歪んだ表情の男であった。


「大丈夫、安心してください。大丈夫、何も心配いりません。怖くない、痛くない。私は、君の教師ですから。菊雄君――夜行世界おやすみなさい


 掌の魔法に視線が吸い込まれ、闇に飲み込まれる感覚が菊雄を襲う。周囲が急に暗転し、夜が世界に追いつく。


「た、たす……」


 彼は夜から逃げようと、必死になって走った。

 いや、走っているのかも分からない。何も見えない。


 ただ、無我夢中で夜から逃げる。


 走って、走って――そして


「うわっ?!」


 柔らかい何かにぶつかって尻もちを着く。


「おっと、ここにいたのか少年。無事で何よりだ」

「な、なに?誰……」


 何も見えない。だが、頭の上から誰かの声がした。

 見えなくて、不気味なはずなのに、どこか聞いたことのある声。


「……?あぁ、なるほど。君は随分と抵抗力が強いようだ。おかげでギリギリ、助けられる。――抵抗領域アンチサイド


 暖かな光が菊雄を包み、暗闇だった視界に朝が来た。

 無論、目が覚めたところで時刻は夜。


 少年にとっての希望は、目の前に立っていた。


「よく頑張ってくれた。ここからは我々大人の仕事だ」


ーーーーーーーーーーーーーー


【――住宅街 神谷亮――】


「さて、説明してもらおうか。恵那森和哉。何故こんな夜中に生徒を襲っていたのか」

「…………あなたは、確か」

「名乗りが先か?俺は神谷亮、彼から依頼を受けた探偵だ。昼間に名乗ったばかりだろう?」


 地面に倒れたままこちらを見上げる前郷少年。

 彼を守るように俺は一歩前へ、犯人である恵那森と対峙する。


「実験対象以外に興味はないのか。研究者というのは、どうも歪んだ者が多いらしい」


 俺はため息を吐き、感想を口にする。

 背後では、倒れた前郷少年を一之瀬君が手当している。


 彼女の回復魔術の腕はかなりのものだ。


「何故ここに?」

「なぜ?分かりきっているだろう。お前のような犯罪者に未来ある少年が傀儡にされる様を、黙って見ているわけが無い」

「……どうしてそれを」

「質問ばかりで退屈だ。お前は上手く情報を隠したつもりだろうが、あまり現代の警察を侮らない方がいい。もう種は割れているんだ、白状したらどうだ――犯罪者」


 呼びかけた声は、静かな住宅街に消えて行く。

 やけに濃い静寂に、果たして彼は気がついているだろうか。


「は、ははは……そうですか。どうやら、思っていた以上に優秀な探偵のようですね」


 口元に歪んだ笑み、明かりに照らされた虚ろな瞳は、既に腐りきった性根を映し出す。


「全く、あなたがた親子は最後まで手こずらせてくれますね。似たもの同士、いえ、血縁なのですから当然ですか。やはり……興味が湧いてきます」

「少年の両親を殺したのもお前だな」

「えぇ、その通りです。彼の父は優秀な研究者でした。そして私の友であり、立派な裏切り者です」


 喜び、悲しみ、妬み、怒り。

 コロコロと変わる表情には不気味さが付きまとう。


「そうですとも。あれは裏切ったのです。菊雄君、あなたという子供が生まれ研究から離れて行った彼は、ついには我々の研究の道を阻むようになりました。死霊術が禁忌?命の冒涜?ははっ、それこそ心理ではないですか!」

「狂っている」

「あなたに分かりますか?!長年追い求めてきた物を、憧れた相手が、目の前で踏み潰さんとしているその光景が!どれだけの絶望であったかが!」


 大声で叫ぶ。

 もはや夜中であることは気にしていない。


「ですが、それが私の研究の転機でもありました。かつての友、そしてその家族。これ以上無い実験動物が手に入ったのです!!ですから感謝しています。あそこで、私に殺意を抱かせてくれた彼には」


 顔に手を当てて、不気味な笑いを響かせる。

 なんと醜い姿だろうか。真理という名の化け物に取り憑かれ、追い求めることだけが生きがいになった、哀れな人の末路。


 もはや慈悲も容赦もありはしない。


「しかし、またしても邪魔が入りました。ですが良いのです。せっかくですから、私の研究成果を、今この場で、発表して見せましょう。あなたは運がいい!!この崇高な力によって、死を迎えるのだから!そうです、あなたの死後は、私の役に立ってもらいましょう」


 こちらの反応など関係ない。

 ハイになった彼の脳は、一人語りに夢中である。世界が自分を中心に回っていると、勘違いを押し付けている。


「さあ!!これが死霊術です!!――死儡群生ネクロマンス

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