file.03 : 失われた記憶

case01 : 記憶のない少年

 学院の全員が寝るという珍事から、2日が過ぎた。


 俺は……と言うと、一之瀬君が学院へ行けるよう、今も少しずつ準備を進めているところだ。学院での授業に必要な物は既に手元にあり、授業復帰の体制は整っている。


 しかし、学院側としても急な事案であるため、確認書類や事務的な作業がある。簡単に済むほど簡略化はされていない。


 昨日、藤森先生が訪れた際に、会議は順調に進んでいると報告を受けた。予定通りに行けば、来週からは学院に通えるようになるはずだ。


 そんな風に、ここ最近の問題はほとんどが収束へと向かっていた。


 ……が、一難去ってまた一難。厄介な事件はいつなんどき現れるか分からない。ようやく一つの問題が解決したと思えば、違うところから面倒事が舞い込んでくるものだ。


「す、すみません……あの、亮さん……」


 その日も、買い物へと出かけていた一之瀬君が、荷物を持って帰ってきた。


 その背後に、見知らぬ少年を連れて。


「おかえり。その少年は?」

「えっと……事務所の前で……」


 一之瀬くんの背後からひょっこり現れたやや茶髪気味の少年。背丈は一之瀬君より少し大きいくらいで、制服姿でネクタイ、背中のリュックは重量で底が膨れている。


 中学生……高校生か?


「突然すみません!僕は前郷まえさと菊雄きくおって言います。ここは探偵事務所……で合ってますか?」

「間違っていない。しかし、学生がこのような場所に何か用か?」

「はい!事件の依頼があります!」


 その少年は、元気な声でそう言った。


「……とりあえず、そこのソファに座りたまえ。話くらいは聞こう」


 少年の明るい振る舞いとは裏腹に、暗く、嫌な事件が待っているなどと、この時は夢にも思わなかった。


【――神谷探偵事務所――】


「改めて、僕は前郷菊雄です。前方の前に故郷の郷で前郷、高校2年生です!依頼というのは、その……僕の記憶についてです」

「記憶?」


 少年は己の頭に手を置いて、少し表情を陰らせる。


「はい。実は僕、二回も記憶を失っているんです」

「二回……それはまた、随分と多いな」


 彼の突拍子もないその発言に、俺は顔をしかめる。


 記憶とは、人間の人生において、最も価値のあるモノと言ってもいい。現代魔術の法律にも、人の記憶を変化させるような魔術の規制が厳重にされている。


 そも、普通に日常生活を送る学生が、記憶を失くすなどと言う奇怪な状態に幾度も陥るのは実に妙な話である。


 これが友達同士の会話であれば、俺は間違いなくその話を嘘だと聞き流したことだろう。だが、この少年とは初めて出会ったし、ただのイタズラにしては話が珍妙で、学生が一人でわざわざ探偵事務所などを対象にするとは考えにくい。


 ……既に、面倒事の香りが漂っている。


「…………依頼と言うのは、その記憶を取り戻したいという内容か?」


 俺は渋々と質問を投げかけた。


「いえ、欠けているのはある一定の期間だけですし、日常生活には影響が無いんです」

「ならば何を?」

「そ、その……最近ニュースにもなっている、れ、連続殺人……ご、ご存知ですか」


 また唐突な話題である。

 学生の口から連続殺人などという言葉が飛び出したことにも、違和感と驚きを感じてしまう。


「連続殺人……ああ、報道されている程度であれば」


 確か、警察の調べでは被害者の共通点も、殺され方も異なるという。連続殺人だと呼ばれているのは、死体の第1発見者がどれも同一の人物で、発見時の死体の状態が、全て腐敗がかなり進んだ状態だったから。

 今のところ、連続の殺人だと思われる死体は、ここ最近で三件目。初めの事件から数ヶ月が経過しているため、このように事件の内容が多く出回っているのだ。


 犯人は今だ捕まっていないらしく、気がかりではある。


 俺が知っている情報としては、この程度だ。

「あの……ニュースで言われていた第1発見者。実は僕なんです」

「………………?」


 さすがの俺も反応に困った。

 だが同時に、何故彼がここに来たのかを理解した。


「第1発見者というのは、警察の捜査において最も初めに疑われる存在。まして、それが三度連続となると……」


 自分の疑いを晴らして欲しいと。

 つまりはそういうことである。


 はぁ、……厄介極まりない。

 俺は弁護士では無い。頼む相手を間違えている。


「君は学生だろう?発見時はどれも夜遅い時間帯だと報じられていたが、何故そんな遅くまで外に?」


 しかし、学生の頼み、それも正式な依頼となれば黙って追い返す訳にもいかない。


 俺はひとまず情報を集めるため質問を投げる。


「三回とも丁度バイトの日でした。学校からバイト先までも、バイト先から自宅までも結構離れているので、普段とは違う道で帰宅するんです」

「バイト帰り……か。つまり、三件とも帰宅ルート上だったと。毎回同じ道を通るのか?」

「はい。寄り道する場所もないですし、いつも同じ道で帰宅してます。ただ、死体を見つけたのは、全て現場家の玄関先でして……」

「敷地内だと?」


 それはまた、妙な話が続く。

「帰路の道なりではなく、わざわざ建物……他人の家の敷地に入ったのか?何故?」


 やっていることは、さながら不法侵入である。

 玄関先という事は扉に鍵がかかっていなかった。


 そこまではいいが、それではまるでこの少年が死体の場所を分かっているようだ。具体的な理由が無ければ、警察が疑うのも無理は無い。


「えっと……警察にも話したんですけど、僕自身よく分かっていないんです。ただ何となく、その場所が"気になった"としか」


 少年の声が徐々に小さくなる。

 自分自身でも理解出来ていないことを人に説明して、信じてくれなどと、大声で言える内容ではないか。


「気になった、か。また随分抽象的だ。いや、記憶が曖昧である可能性も……分かった。その依頼、受けてやろう」

「ほ、ほんとですか!!あ……、依頼料は」

「それは、君の疑いが無事に晴れた時にでも、請求しよう」

「ありがとうございます!!」


 正確には、彼ではなく、きっと絡んでいるだろう厄介者――警察の方にでも、無理やり請求すればいい。


 困っている未成年に高額をふっかける悪どい真似はしない。


 俺はこの面倒な依頼を受け、今日のところはこちらで捜査するから帰るようにと少年に促した。


「明日また来ますね!」

「ああ。予定は特にないが、常識的な時間に来てくれ」

「??分かりました。お願いします」


 あの性格は経験上、何時でもいいと答えると頭のおかしい時間に来る可能性が極めて高い。

 朝早すぎるか、夜遅すぎるか。


 どちらにせよ、非常識に変わりはない。先手を打って少しでも俺の負担にならない選択肢を選ぶ。


 彼が事務所から出て行ったのを確認し、ため息混じりに情報端末を立ち上げる。


「あの……亮さん」


 すると、一之瀬君が声を抑え目にして尋ねてきた。


「どうした?」

「そ、その……大丈夫、ですか?」


 これは、俺が面倒事を嫌っている事を察した上での『無理していないか』と言った心配だろう。


 たった数日の関係の中で、俺の事を随分理解している。

 俺が露骨なだけかもしれないが。


「大丈夫だ。今回受けたのにはそれなりの理由もある。ま、榊原が聞いたら驚くだろうがな」


 あいつのことだ。

 俺が面倒事になると分かった上で、依頼を素直に受けるなんて有り得ないとか驚きそうだな。


 あぁ、面倒な相手の名前を口にしたせいで、余計な厄介事が増えそうな予感。


 いや、今回は俺が勝手に巻き込まれに行った……ってのは、個人的に認めたくない。やはり後で請求してやろう。


「り、理由……ですか」

「ああ、これを見てみろ」


 俺は手元の端末で調べていた画面を、そのまま彼女に見せる。


 内容は至って簡単。

 過去に起きたとある事件についての内容。

《十年前、ある家族の母親が何者かに殺害される、その数年後、今度は父親が殺害。犯人は未だ捕まっておらず……》


 怖い事件ではあるが、関係の無い者からすれば、情報が提示された数ある事件の一つでしか無い。


「これが……理由……ですか?………えっ?!」


 彼女が首を傾げた直後。

 その記事に記載された一家の名前を見て、声にならない小さな悲鳴をあげた。


《被害者: 前郷晴美はるみ、前郷貴明たかあき


「偶然……でしょうか」

「まえさとを"前郷"と書く苗字は、そう沢山は居ない」


 さらに、ここから分かる情報はこれだけではなく。

 母親と父親、つまり日を跨いだの事件。


「偶然ならば良いのだが……な。彼は両親の話を一切しなかった。もし、彼の二回の記憶喪失がこの事件の時期と重なるならば……」


 俺は渋い顔をして、その答えを口にした。


「今回の連続殺人は、十年前の事件と関わりがあるかもしれん」


 しかもこの場合、容疑者は恐らく、彼の周囲の人間か関係者……友人の可能性も有り得る。


 そして……

「彼もこの事件の容疑者候補だ」


 彼の疑いを晴らすための情報整理。

 だが、現時点で証明することは出来ない。


「そ、そんな……」


 あくまで可能性の話。

 無論、その可能性が極めて高いのが現状である。


 依頼を受けたからには、面倒事であってもきちんと捜査をする。例えそれが、最悪の結果を暴き出すことになっても。


「早速だが、俺は直近で起きた現場の捜査に行く。連続殺人であれば、現場にも何か共通点や証拠が残されているかもしれない」

「わ、私も……」

「着いてくるか?」

「だ、ダメ……ですか……」


 殺人現場に中学生を連れていくのは、さすがの俺も抵抗がある。……だが、本人が行くと希望するならば、拒む理由もない。


 まして、彼女が踏み出した一歩を、無理やり押し返す権利など俺には無いのだから。


「構わない。だが、無理だけはしないように」

「はい!」


 こうして俺たちは、解決すべく捜査に乗り出した。

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