file.番外

case1 : 懐かしき一戦

【――神谷探偵事務所――】


 俺たちは帰宅してから、コンビニで買ってきた弁当で遅い昼飯を済ませた。


 今日はいろいろあって疲れたようで、一之瀬君はすぐに部屋で眠ってしまった。


 現在、リビングには俺と榊原の2人だ。


「それで?お前はいつまでここにいるつもりだ」


 未だしれっと居座っている榊原に不満を唱える。


「今日は仕事があるのだろう?」

「いや、今日はお前に付き添うと伝えてあるから、今日はもう暇なんだよ。せっかくの休みに、移動で時間を使うのは勿体ないだろ」

「その貴重な時間と空間を奪われているこちらのことも考えて欲しいな」

「いつものことなんだし、いいだろー!」


 ソファでぐだっとして答える。

 人の家で良くもまぁそんな風にくつろげるものだと、半ば強引に感心した。


 もはやこうなっては話を聞かないので、放っておく。


 俺は気まぐれにテレビのボタンを押した。今週のニュース一覧と称して、キャスターがコメンテーターと一緒に一週間の出来事を振り返っている。


 強盗に空き巣、不正政治に連続殺人。

 特に目立つのは、その全てに魔術が絡んでいるところか。精神に影響を与える魔術や、人に大きな危害をもたらす術が日常として根付いている以上、どう転んでも切り離せないのが魔術という存在である。


「なんだか暗いニュースばかりだよなあ」


 榊原が、その報道に愚痴っぽく呟いた。


「魔術は痕跡が残りにくく、偽装や隠滅が容易い。魔術が進歩していくほどに、犯罪は増えていくのが現状だろう」


 悲しいことだが、これが現実である。犯罪者は当然捕まりたくはない。そこに、捕まる可能性が下がる魔術(手段)があれば、縋りたくなるのが人間という生物だ。


「そうだよな……魔術は便利な反面、危険も一緒に伴うわけだから。魔術師が善人ばかりじゃない以上、犯罪は増える……かぁ」


 警官として、榊原は現状に納得がいかないようだ。

 榊原には珍しく、少し空気が重たくなる。


 普段なら無視しても気にならないが、今回の件ではこいつにいくらか頼ってしまった。その精算も兼ねて、俺は気分転換を提案してみる。


「榊原、……久しぶりに、一戦やるか?」


 突然の提案に一瞬驚いた榊原だが、みるみるうちに表情が明るくなる。単純なヤツめ。扱いが実に簡単だ。


「いいな!さっきは少ししか動かなかったから、実は消化不良だったんだ!!神谷からの誘いなんて珍しいな!」


 騒がしい反応が返ってくる。


 ただでさえ声がでかいのに、表情までうるさいとなるともはや避けようがない。


 耳と目を守るためやや足早に部屋を抜け出し、階段の裏側の通路に足を進める。この事務所には地下への階段があるのだ。


 下っていくと、体育館ほどの大きなスペースに出る。


「相変わらず、家の地下にこんなものがあるなんて信じられねぇぜ」

「研究には実際に試すことほど重要な手順は無い。身近に魔術を試せる場所があるのは、研究者にとっては便利だぞ」


 この部屋は魔術の試し打ちなどができるよう、業者に頼んで造った特注部屋だ。壁には魔力を通さない特殊な素材が使われている。並の攻撃ではヒビひとつ出来やしない。


「俺は研究なんてしないからなぁ……」


 昔から、榊原は勉強よりも運動派だった。部活動の代わりだとか言って、広い空き地を見つけては榊原とよく模擬戦をしていた。


 思い出を探ってふと、今も昔も榊原は変わっていないと笑いが出た。とにかく相手より早く動き拳で殴る。遠距離魔術は殴って相殺する。殴り合いは正々堂々正面から張り倒す。


 どう見ても脳筋以外の何者でも無いのだが、どうもこいつとの相性は良かったらしく、極めた結果が今の榊原である。


「さて……と。今日はどうする?制限ありの訓練にするか?」


 俺は榊原に尋ねる。


 こうして模擬試合をする時は、互いに目的を持って行う。近接相手の立ち回り、魔術に対する動き、近接同士の格闘など、目的に合わせて制限を設けている。


「そうだな。好きなように……ってのは俺が無理だ。中級魔術までの縛りってとこでどうだ?」

「いいだろう」


 中級となると、火属性魔術ならば相殺どころか腕ごと吹き飛ばせる威力のものがある。生身の人相手に正面からぶつける事はしないが、牽制に使える上に爆風で動きを止めることもできるのだ。さすがに自重はするが脳筋の榊原からでは不利でしか無い。


 であれば、俺は魔力を上手く調整して的を絞った形で、魔力操作の練習でもしよう。


 魔術とは、ただ無造作に放てば良いものでは無い。

 味方が近くにいる所へ何も考えず中級魔術を放てば、味方を巻き込むことになる。


 日頃から魔力操作に慣れていれば、どのような状況下になっても冷静な対処ができるようになる。


「だが手加減はしない。昔のままでは痛い目を見るぞ」

「問題ないぜ!!試したいこともあるしな!」


 そう意気込む榊原は、いつの間にか両手に手袋をはめていた。どこかで見たことのある、茶色の手袋だ。


「なんだ。お前が持っていたのか」

「あの事件は、最後まで俺が担当したんだぜ。ついでに痕跡消すのも手伝っていたんだ」

「そうか」


 俺は適当に相槌を打ちながら、少し距離をとる。


「では――行くぞ」

「おう!」


 榊原は始まったとたん強化魔術を使い、正面から突っ込む。


――水刃


 初級水魔術“水刃”。

 限界まで薄くした水を刃のように飛ばす水属性の魔術。


 それを両サイドから放ちつつ、横によける。


「――おらあぁぁぁぁぁぁぁっっっ!!」

 榊原は水刃に向かって、魔力で強化した拳で殴る。水刃ははじけ飛び、水がしたたり落ちる。


 相殺したようだ。


「やはり脳筋は相変わらずだな……」


 念のため補足しておくが、いくら水とはいえ、その辺の樹木程度ならば容易く切断できる。無論人体にも有効で、普通正面から拳で受けるものじゃない。


 強化魔術もここまで来ると、脳筋ここに極まれり。


 俺は呆れつつも、同じように水刃を放ち続ける。


「どうした神谷!これじゃあ俺には効かないぜ!」

「そうだな」


 榊原は加速魔術を併用して物凄い勢いで走ってくる。

 強化魔術も健在である。


 つまりは二重構築。こいつも成長はしているらしいな。


「はあぁぁぁぁぁっ!!」

 榊原の殴りを真上に飛んで回避。


――水爆弾


 中級水魔術“水爆弾”。

 指定した位置に大きな水の球が現れる。


 そして……


――ボンッ


 極限まで圧縮された水球が、榊原の頭上で弾ける。


「強化魔術をなめるなあぁぁぁ!!」


 圧倒的な水と空気の圧力を前に、一切速度が落ちることなく強化魔術だけで受け切る。全身に直撃したはずだが、止まる気配も避ける気配もなし。


 他人から見たらただの脳筋バケモノである。


 そもそも、一般の魔術師はこれを生身で受け切る頑丈さは持ち合わせていない。もはや強化魔術無しでも中々の防御力があるのでは?


 多少は筋肉バカにも関心できる。


 まぁ、おかげで動きが単調で読みやすい。


――放電


 俺は向かってくる足元に設置型の陣を張り、数歩後ろへ下がる。


「――?!」


 榊原は勢いを殺せずに、魔法陣を踏み切る。


 初級雷魔術“放電”。

 普通は身体が痺れる程度の雷が発生する魔術だが、ここは見事に水浸しだ。しかも、正面から受けた榊原は、全身濡れている。


 つまり……

「ぐああぁぉっ」


 しっかりと電気に感電し膝をつく。

 これはそれなりに効いたことだろう。


 何も考えずに水魔術を選択していた訳では無い。

 当然、怪我をしない程度の魔力に抑えてある。


 ……しかし、しばらく榊原が動かないので、これ以上は無理かと集めていた魔力を消滅させる。


 念の為に大丈夫かと近づき……俺は驚いた。

 榊原の手が少し光を帯びている。


――活力の光


「なっ!?回復魔術……だと」


 あの脳筋が?回復……?

 物理で殴るしか脳がなかったあの榊原が?


 なるほど、あいつなりに勉強をしていたという事か。

 ようやく足らない頭を使ったともいえるが。


「まだまだいけるぜ!」


 復活した榊原は、俺の心配を他所に加速魔術で突っ込んでくる。さらには、またしても意外な事をする。


――分身体


 榊原の横にそっくりの分身が出てきた。


 幻惑魔術まで使えるようになっていたのか。

 再現度も高く、幻術団体の性能も悪くない。あの脳筋が脳みそを使っているという点も加味して相当驚くべき進歩だ。


 急接近してきた二人の榊原が、両側から同時にパンチを繰り出す。


――障壁


 俺は二つの障壁を同時に展開し、拳の勢いを殺す。


 ……ゴンッと、鈍い音を立てて拳が障壁に当たる。


「それを待っていたぜ!」


 叫ぶ榊原は、そのまま拳を押し込み手袋に魔力を流した。通常の障壁ならば無属性で無意味なのだが……


「ち――っ」


 俺はすかさず上に飛びつつ距離をとる。

 理由は単純。今の障壁は改造を加えたもので、重力魔術による物理的力の反転を引き起こす罠であったからだ。


 無属性でなければ、反魔術は発動する。


「お前にしては、随分と勉強してきたようだ」


 素直に褒めておく。

 今回は流石に焦った。


 ここまでの戦闘で一切反魔術の効果を発動させず、こちらから手袋への意識を逸らしていた部分も含め……、油断させられていた。


 まったく……バカの成長は底がしれないな。


「あれでも攻撃できねえのか……判断早すぎるだろ」

「……仕方ない、すこしはお前を見習おう」


 もはや会話が成り立っていないが、気にしては負けだ。


――加速アクセラレーション身体強化ブースト


 俺は加速魔術と強化魔術の二重構築を発動させる。


「なんだ神谷!お前も近接の良さが分かってきたのか!」

「あほか」


 足に力を込め、一気に踏み込む。


 俺以外の視点からは、きっと消えたと錯覚することだろう。何せ、あの近接バカが追えなかったのだ。


 一瞬にして榊原の懐に飛び込み、正面から殴る。


「な、ちょっ」


 榊原は速さに驚き、正直から拳を受ける。近接慣れ故の勘か、手を交差し防御はしたようだ。


 しかし衝撃までは殺せず、勢いよく壁まで吹き飛ぶ。


「そ、それは……強すぎるぜ」


 何とか立ち上がったものの、既に全身ボロボロである。


「まだ続けるか?」


 俺は後ろから迫ってくる分身を打ち消し、榊原に尋ねた。


「参った、降参だ。まったく相変わらずの強さだぜ」


 負けたと言うのに、どこか嬉しそうである。

 ……バカの考えはよく分からん。


 その後、かすり傷などの手当のため、回復魔術を使っていた時、榊原が不思議そうに尋ねてきた。


「さっきの速さはなんだよ。同じ魔術を使っていたのに、見えなかったぞ」

「魔術を重ね掛けしていたからな」

「重ね掛け?」

「そうだ、加速魔術を二回使うと効果が重ね掛けされる。ただの二重構築だ」

「そんなことができるんだな……ちょっと待てよ!?あの時お前は、三重構築をしてたのか?!」

「そうなるな」


 すると、がっくりと肩を落とした榊原が、次いで笑みを浮かべ、天を仰ぐ。


「そりゃ勝てねえわけだ……」


 笑ったり落ち込んだり、忙しないやつだ。


「実際、そこまで追い詰められていたと言うことだ。結構危なかったぞ。あの魔道具も、お前との相性が良さそうだ」


 俺は慰めも兼ねて称賛の言葉を贈る。事実、多少制限はしていたものの、あそこまで焦ったのは久しぶりだった。


「まあな!俺も成長しただろ!」


 すぐに立ち直る。

 切り替えが早い奴だ。


「さて、それなりに動いたし、戻るとするか」


 調子に乗りだす前に、早めに会話を切る。


 そして、俺たちは1階に戻ってきた。


「シャワーなら貸せるが、浴びていくか?」

「いいのか!遠慮なく使わせてもらうぜ」

「タオルは左の2段目に入っている」

「了解!助かる!」


 俺は……戻ることにしよう。


 リビングの扉を開けると、その奥のキッチンに一之瀬君の姿があった。


 入ってきた俺に気が付いた彼女は、エプロン姿でキッチンから出てくる。


 近くまで寄って、何やら不思議そうな顔で見つめくる。


「あの、……えと」

「すまんな。少し地下で訓練をしていたんだ」

「地下……ですか?」

「そういえば話していなかったな。この事務所は地下があるんだ」

「そう、なんですね」

「今度案内しよう」


 気になっていると思い、そう提案したのだが……一之瀬君は少し赤くなる。


「は、はい」


 何故そんなに赤くなるのか。


 まぁ、彼女が来てからこの事務所やその周辺の案内をあまりしていなかったな。


 そんな暇がなかったとも言えるが。


「一之瀬君の方は……料理の準備中だったか?」


 キッチンを覗きつつ、エプロン姿を見て尋ねる。


「はい。今の内に夕飯の準備をしておこうかと」

「助かる。俺は料理には疎くてな」

「い、いえ……大丈夫です。私、料理は得意ですから」

「それは楽しみだ」


 彼女はパタパタとキッチンに戻っていく。


 俺は壁際の本棚から本を一冊取り出し、ソファに座って読書を始める。時間があれば、読書をするに限る。


 しばらくして、榊原がタオルで頭を拭きながら戻ってきた。その様相は、まるでトレーニング後のおっさんである。


「いやー、シャワーサンキュー!おっ!結衣ちゃん料理中か?」


 当然のように声がでかい。

 集中力を削がれたので本を置き、視線を向ける。


「お前はいつまでいるつもりだ?」


 時刻はもう夕方。

 まさか今日もここで飯を食べていく気だろうか。


 威嚇と呪いを込めて睨みつけたところで、何も気が付かない榊原が、置いてあったスマホを手に取り、電源を入れる。


 すると、――ティロンと音が鳴った。

 どうやらメッセージが来ていたようだ。


「如月からだ。何かあったのかな」


 榊原がスマホを開く。

 そして、慌てた表情でこちらを向く。


「やべぇ!本部から連絡来てた。電源切ってたから気づかなかった。やらかしたぜ」

「知らんわ。さっさと本部にかけたらどうだ」


 俺の言葉に、榊原は慌てて電話をかけ始める。


「榊原です!す、すみません。ちょっと電源を切っていて。はい、……はい、今?問題ありませんぜ!ちょうど近くにいるので、……では!」


 電話を切ったやつは、ほっとしたように胸をなでる。


「呼び出しか?」

「ああ、近くで事件だってさ。人が足んないから頼めるかってさ」

「そうか」


 早急に準備をして、「じゃあまた」と手を振りあっという間に出て行った。


 風というか、嵐というか……本当に忙しない。


 やかましさの原因がいなくなると、後に残るのは穏やかな静寂である。


「うるさいのがいなくなると、随分静かだな」


 何となく口に出す。


 聞こえて来るのはキッチンからの料理の音だけ。

 何もない時間だ。


 俺は閉じた本を再度開き、文字の静寂に視線を落とした。


 今は平穏なこの時間を、大切に使うとしよう。

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