case06 : 日常に触れる

【――ラーメン屋佐藤――】


 ここは住宅街の一角。大通りから少し奥へ移動したところにある、小さなラーメン屋だ。


『ラーメン屋佐藤』


 なんとも甘そうなラーメンが出てきそうな店名だが、ここのラーメンは驚くほどうまい。実は週に1回は通っている。


 少し古びた引き戸を開けると、

「へいらっしゃい!って、おお!神谷の兄ちゃんじゃないか。こんな時間に珍しいな」


 気持ちの良い大きな声で迎えてくれるのがここの店主。

 佐藤大輔さんだ。


「あー亮さん!こんにちは!」


 なれなれしくそう呼ぶのは、大輔さんの娘、優香君だ。


 たまに家の手伝いをしているらしい。初めは敬語で丁寧な子だと思っていたが、慣れてきたのか、いつの間にか距離感が近くなっていた。


「その子は?」


 優香君が、俺の隣にいた一之瀬君を見て尋ねる。


「ああ、助手の一之瀬君だ。これからもたまに来るだろう。よろしく頼む」


 俺は一之瀬君に挨拶を促す。


「こ、こんにちは……」


 かなり緊張した声色で挨拶する。

 やはり初対面の人はまだ駄目か。


「助手?へー、亮さん助手いたんだね!探偵って助手いるのー?」

「優香!敬語で話せと何度言ったら分かる!」


 大輔さんが怒る。

 最近ではこのやり取りも定番となりつつある。


 そんな微笑ましいやり取りを横目に、カウンター席に座る。一之瀬君も隣の席についた。


「いつものを頼む。この子にも同じものを」

「まいどー。それよりその子、どうしたんだ?こう言っちゃ悪いが、兄ちゃんは助手を取るような性格じゃ無いだろう?」


 大輔さんが世間話とばかりに尋ねる。


「いろいろあって、事務所で世話をする代わりに助手として働いてもらうことになった」

「……そうか。大変だなぁ探偵ってのも。あまり無茶はし過ぎるなよ」


 適度な距離感に親切な心遣い。善人というのはこういう人を言うのだ。


 話していると優香君が、水を持ってくる。


「そういえば、優香君は今日、学校はないのか?」


 ふと気になったので、声をかける。


「違うよー!今日は学校休み。創立記念日なんだ」

「創立……なるほど。それで今日は学生らしき人を良く見かけるのか」

「そゆこと、何?亮さんどこか行ってきたの?」

「買い物だ。そんなに意外か?」

「いいや、別に……亮さんが昼間に来るなんて珍しいなーって」


 そんなに意外か?確かに基本的に昼間は外出しないが、来たことくらいはあったと思う。


「おまちどー!」


 大輔さんがラーメンを前に置く。なかなかに早い。しかもこの早さでこの美味さだ。これで文句のあるやつはいないだろう。


「いただきます」


 俺は手を合わせてから食べ始める。横で同じように一之瀬君が食べ始める。


「んっ!」


 一口食べれば美味さが口いっぱいに伝わる。

 彼女も美味しそうに口を動かす。


「相変わらず素晴らしい味だ。これでは他所のラーメンを食べる気にはならんな」

「うれしいぜ。毎回そう言って食ってるお客さんは兄ちゃんくらいなものよ」


 この美味さがわからんとは、ラーメンを一から学んでこいと叫びたくなる。


 あまりの美味しさに、黙々と箸を進めてしまう。麺はちょうどいい硬さで、スープも絶品。器が空になるまでしっかり食べ終え、一息ついた。一之瀬君はまだ食べているようだ。


「そういえば、優香君は第六学院だったな」


 俺は、待っている暇つぶしにと優香君に声をかける。


「そうだけど……それがどうしたの?」

「いや、聞いただけだ」


「なんだそれー」と、優香君は笑いながら奥へと入っていった。


「確か高校生だったよな彼女」


 大輔さんに尋ねる。


「そうだ。早いものだよまったく。ちょっと前まではあんなに可愛かったのに、生意気に育ちやがったもんだ。誰に似たんだかな……」


 溜息交じりにそう言う大輔さんに俺は苦笑した。なんだかんだで仲がいいのがこの親子なのを知っている。


 すると、一之瀬君が横から裾を引っ張る。どうやら食べ終わったらしい。


「それじゃあ今日はこの辺で、ごちそうさまでした」

 俺は会計を済ませ、大輔さんに挨拶をする。


「あ、あの…」


 一之瀬君が、もじもじとしながら何かを訴えてきた。


「嬢ちゃん、トイレならこのおくだぜ」


 気がついた大輔さんが彼女に声をかける。一之瀬君はペコと頭を下げると奥へ走っていった。


 それと入れ替わるように優香君が戻ってくる。


「ねえあの子……」

「なんだ、知っているのか。確か同じ学院のはずだが」

「やっぱり!」


 何か知っているみたいだ。


「なんだ、あの子について何か知ってるのか」


 俺は尋ねてみる。


「亮さんは、学生論文コンテストって知ってるよね?」

「ああ、少し前にも今年の賞が発表されていた。金賞は、確か回復魔術の未来性について書いていたな。あれはとても良かった。読んでいて感動したからな」

「そう……ところで書いた人は知ってる?」

「いや、最後まで読む前に少し試したくなってな。書いた人の名前まで読んでないんだ、それがどうかしたのか?」


 そう尋ねるが返事が来ない。

 横を見ると一之瀬君が帰ってきていた。


「戻ってきたか、それじゃあまたな」


 そう言って店を出た。優香君が最後に何か言いたそうにしていたが、なんだったのだろうか。まあ今度会ったときにでも聞けばいいか。


「どうした?なんだか嬉しそうだな、美味しかったか?」


 帰り道、少し笑顔な一之瀬君に尋ねた。店を出てからずっと嬉しそうだ。


「あっ……いえっ……美味しかった、です」


 チラッとこちらを見るが、目が合うとすぐに前を向いてしまった。


「?」

 よくわからないが、機嫌がいいのは良い事だ。

 機会があれば、また連れてきてあげよう。

 

【――神谷探偵事務所――】


 帰ってきた俺たちは、早速部屋の掃除から始めることにした。


 窓を開け、新鮮な空気を部屋に入れる。


 一之瀬君には、物置部屋から掃除機を持ってくるように言ってある。魔術がある世界でも掃除の技術に関しては、昔とさほど変わっていない。もちろん掃除機の性能はけた違いによくなってはいるが。

「遅くなりました。すみません」


 そう言って彼女はほうきと同じくらいの大きさの掃除機を抱えて部屋に入ってきた。


「大丈夫だ、あの部屋にはたくさん物が置いてあっただろう。分かりにくかったな」


 あの部屋、というのは、俺の研究部屋の隣。新しく制作したり改良・改造をした魔道具がそこに詰め込まれている。


 使わない部屋なので中はかなり散らかり放題である。


「いえ……掃除機はこれであってますか?」

「そうだ、多分それが一番効率いいだろう」

「だろう……って改造してあるんですか?!」

「そうだ、使ってみるといい」


 彼女は、大丈夫でしょうか……と小さくつぶやく。


 店から帰ってきた後から彼女は少し明るくなったようで、普通に会話が続くようになっていた。


 やはり誰かと話すというのは楽しさがある。特に彼女は話しやすい。もとは、明るい子だったのだろう。


「そこの赤いボタンで起動する。ついでに下の筒の部分は魔力を込めると伸びるから、ベットの下などはそれを使うといい」

「タンスや窓枠は拭いたんですか?」

「まだだな」

「でしたら、そちらからやった方がいいと……思います。掃除は上からやるといい、らしいです」


 なるほど。とてもしっかりした子だ。


「そうか、ならば雑巾を出さないとな」


 俺はデパートで買ってきたタオルの一枚を取り出し、魔術で厚めに縫い合わせた後、半分に切り落とす。そして半分を彼女に渡す。


「これを使うといい。バケツはベットの横に置いてある」

「は、はい。用意がいいんですね……亮さん」

「昨日この部屋の掃除をしようといったではないか」


 そのために、デパートで買ってきておいたのだから。


「それに、また俺の布団で寝るのは嫌だろう?早く掃除をして、部屋を使えるようにしなければいけないしな」


 俺は窓を拭きながらそう言う。


「その……、亮さんの布団でも、いっ、いいですけど」

「何か言ったか?」

「な、なんでもないです!」


 そう言って焦ったようにタンスの上を拭き始めた。


「次は電球だな」と天井を見上げ、俺も掃除を続ける。


 用意しておいた脚立を使い、電灯の下に設置する。

 この世界の電灯は、ほとんどが魔力を込めることで発光する魔電石が使われている。スイッチを押すことで魔力が伝わり、魔電石が光る仕組みだ。


 使っていない部屋だったこともあり、一応異常がないか確認する。特に問題はなさそうだが、魔電石の代えは準備しておこう。


「そっちは終わったか」


 俺が尋ねると、一之瀬君が振り返って


「終わりました!」


 明るい声で返事をする。


「次は掃除機ですね。あ、私がやります」


 掃除機を手に取るも、彼女のやる気を評価して掃除機を渡す。


 彼女はスイッチを入れると、手早く掃除を始めた。

 掃除機と言うより、掃除そのものに慣れている。これなら時期に終わるだろう。


 暇になった俺は、バケツを持って一階に下り、風呂場で水を流す。そして汚れたタオルを洗い、ベランダに干しておく。今日はいい天気だからすぐに乾くだろう。


 部屋に戻ると、彼女も掃除が終わったようだ。


「あとは家具を置くだけだな」

――空間収納ディメンション


 最後の仕事として、買ってきたものを部屋に出していく。テーブルに机、絨毯、ベットに布団、シーツなど、買っていたものを彼女の望むレイアウトに従い設置する。


 他の買ってきた服などは、彼女が自分でしまった方がいいだろう。畳んでベットの上に置いておく。


「これで全部だな。私物は警察から戻ってくるのを待つとして、他に必要そうなものがあれば遠慮なく言うといい」

「はい、ありがとうございます」


 今日は天気も良く割と気温が高かったためか、少し額に汗が見られる。掃除もこれだけきちんとやれば、かなりの運動量に相当する。


「今日は疲れただろう。一之瀬君は少し休むといい。俺は基本的に事務所となっているリビングにいるから、用があれば顔を出してくれ」


 そう言い残し、部屋を出る。

 彼女にも、少しは一人の時間も必要だろう。

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