第九話「何故、ボーナスは消えたのか」6/3


 確かにペアリングを買うとは約束した。ハイブランドでも良いとも言った。正直、値段のことをどうこう言うつもりはない。貴金属というものは高いもので、金を掛ければ掛ける程輝きが増すことも知っている。十万単位で金が飛ぶことが珍しくないことも知っているし、気に入ったものがあればそれを購入しても良いと思った。こいつとの為ならば、だ。

 だが、まさかオーダーメイドに手を出すなんて、誰が想像できる?

「僕達将来のこと考えててー。結婚はできないからせめて指輪はちゃんとしようって思って、この店にしたんです。男同士でも、大丈夫ですよね?」

「っ……もちろんです。私共にご協力できることがあれば、なんなりとおっしゃってください。全力を尽くします」

 先程から彼氏である拓真は、優利に仲睦まじげに寄り添いながら、しかし精神的には全く寄り添う気配が微塵もない。その人の心を丸ごと食ってしまいそうな引力の強過ぎる瞳はずっと、目の前で対面しているデザイナーに注がれていた。

 ここはブライダルジュエリーで有名な専門店で、その店内にある商談スペースに優利と拓真は並んで座っている。その対面の席では、受付担当から引き継がれたデザイナーの女性が、好奇心をいっぱいに浮かべたキラキラした目で自分達のことを見ながら頷いているのだ。

――めっちゃ見せもんにされてる気分やん。なんでわざわざ対面してオーダーメイドやねん。頭湧いとんな、この変態。これも羞恥プレイの一環ってか?

 付き合ったその日の深夜にディスカウントストアに向かったのは良かったが、彼が気に入るデザインのものがそこにはなく、それからはこれまで見向きもしなかったアクセサリーの広告に目を通すことが日課になり――このせいで“本命の彼女”に高いプレゼントを贈る羽目になった――つつあった優利に、拓真が数日前に『良い店見つけた♪』とメッセージアプリにて店の情報ごと送って来たのだ。正直、助かったと思った。これ以上粘られていたら、ネックレスだけでなく婚約指輪までねだられかねなかった。既成事実だけは、まだ勘弁だ。

 そんな裏話をわざわざ拓真に言う必要はないので、安堵感は己の心のみにひた隠しにして店の前まで一緒に来てみれば、今度はその気持ちを根本から吹き飛ばすような言葉を隣の男は口走ったのだ。オーダーメイドを考えてる、なんて、多分本当に結婚する時でもしないのではないかと優利は思った。

――こんなところで性的マイノリティにも理解のあるグローバルな企業ですって顔せんでええから。嫌そうな顔して一蹴してくれてええねんて。マジこっちが恥ずかしいわ。

 優利がそんなことを考えている最中にもどんどんと話は進み、デザイナーの女性はスラスラと拓真の話すイメージを紙の上に鉛筆で描いていく。柔らかな書き心地が見ていて清々しい程だ。多分、拓真の説明が上手いのだろう。話している内容なんて聞いてもいないが、それはわかる。こいつは本当に、口だけでも食っていけるような根っからの営業マンだ。

 シャッシャと小さく響いていた音が止んだ。音と同じく止まった鉛筆の先が紙から離れて、優利の角度からは見にくかったデザイナーの手元が露わになる。

「……何これ、めっちゃかっこええやん」

 そこに描かれていたのは、拓真の好きなブランドにありそうな三連リング……に似たデザインの、二連の部分だけを形にしたような指輪だった。シンプルながらも男性らしさは損なわれない程度の存在感があり、服装を選ばないデザインだ。おまけに、少しずらして交差するように描かれたその形に込められた真意を読み取り、優利は腹を抱えて笑いそうになった。

――こいつ、これ本命の女からの指輪の上につけて、最初っから二つ合わせてこんなデザインなんですーって見せかけるつもりか。

 眺めるだけだったアクセサリーの広告ページでも、婚約指輪と結婚指輪を重ねるデザインのものを見た。確かにこれなら重ねても単体でも、ある程度遊び心があるデザインで、しかも完全にメンズ向けのデザインのため、優利や拓真が何も言わずに日常的につけていても何も問題はないだろう。おそらくデザインが気に入ったのだろうと女共は勝手に納得する。もし仮に、そこに変な勘繰りが入るならば、拓真の方がわざとバラすだろう。「僕達の友情の証ー」とか適当なことを、あたかも真実のように信じ込ませる。そこにまさか愛情とも執着ともとれる、どうにもドロドロとしたものが渦巻いているなんて、表面的な付き合いの女共にわかるはずがなかった。

「刻印はイニシャルとー、どうする? 僕的には永遠って言葉は入れたいかなーって」

「あー……そういうんはええって。記念日ぐらいは入れたらええけど。永遠なんて言葉、わざわざ掘らな誓えへんのかお前は」

 皮肉たっぷりにそう言ってやったら隣で拓真は大笑いし、担当デザイナーは良い意味で勘違いをしたのか息を呑んで感動した表情をしている。客が他にいないタイミングで良かった。商談スペースとして少し奥まったところに通されたのは、店側の配慮のように感じるが。

「それではこのデザインで、材質はプラチナで、お見積りさせていただきます。少々お待ちください」

 にこやかに微笑んでからデザイナーが席を立つ。他のスタッフは入り口側のショーケースの傍にいるため、声を抑えれば聞こえることはなさそうな距離だ。

「えっへへー、優利くんも気に入ったみたいで嬉しー」

「お前アレを言葉だけでよお表現したな」

「三連リングみたいにして、敢えてそれを二連だけにしたいって言っただけやで? 理由は秘密ーって笑ったげたら、えーとか媚びる声出しおるからしばきそうになったけどー」

「お前、自分の女殴ってへんやろな?」

「優利くんこそ殴ってへんー? 気が短いとこも含めて僕ら似た者カップルやねー」

「おい、ちゃんと誤解すんなよ? 殴ってへんって部類で似たモンやからな?」

「わかってるってー。ふふーん」

 本当にわかっているのか怪しい笑みを浮かべて、肩に頬を乗せてくる拓真に冷たい視線を向けてやると、彼はその笑みをいつもの悪い笑みに切り替えてから問い掛けてきた。

「優利くんって三連リングに込められた意味って知ってる?」

「あー、なんかあんの? 女が好きそうな意味」

「僕も有名ブランドのページ見ただけなんやけどー、そこのブランドでは三色それぞれのゴールドに愛、忠誠、友情の意味を込めてあるんやって。なんかさー、僕らってこの全部がどっか歪んでもうてるから、ちょっと……今回はプラチナに逃げちゃった」

「逃げて金額上がっとるって、頭悪すぎやろ」

「それでも涼しい顔してカード出すんやろ? 優利くんさっすがー」

「おい、さすがにこの値段は割り勘やぞアホ。いつまでエンジン積み替え延期させる気やねん」

「やっぱりー? ま、僕も夏のボーナスあるし大丈夫やとは思うけどー」

「ホイールと服代我慢したら余裕やろうが」

「いやいやそれは必要経費でー」

 傍から聞いていれば前半はともかく、後半部分はカップルのじゃれ合いのように聞こえたのだろう。微笑みを浮かべて戻ってきたデザイナーと受付をしてくれた女性が、対面に座り、見積書を差し出して説明を始める。

――やっぱ高いなー。ま、でも……こいつとはどういう形にしろ“永遠”には一緒にいるような気がするしな。

 それは愛か、友情か、それとも忠誠か。いや、多分そのどれもを含んで、歪んでいる。そんな関係が、永遠に続けば良い。きっとそれは、幸せなことだ。

 そんなことを考えながら優利は書類にサインをし、財布からカードを取り出した。

 本日の支払い分は内金のみ。オーダーメイドのため指輪が出来上がるまでは時間が掛かる。出来上がったら連絡が入るので、それからまたこの店に取りに来て残りを支払う形になる。拓真が言ったように、夏のボーナスが支払いに間に合いそうだった。拓真への請求はその時で良いだろう。

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