第八話「雨の帰り道」8/2(2)


 兄の案内で車を走らせた後に到着したのは、個室のある焼き肉屋だった。市内に何店舗もあるチェーン店だが、個室がある店舗は限られている。食べ放題メニューの看板が目立つがお値段は少しお高め設定だったので、昌也はまだデートで使用したことのない店だった。

 平日のためか店は空いており、受付にて兄は当然のように個室を希望。プラス料金なんて全く意に介していないその態度に、大人の余裕を見せつけられた気分だった。予約なしの行き当たりばったりだったが、空いている個室にそのまま通される。

「なんで個室なん? なんか、やらしー話?」

 四人掛けの個室に通されたので、二人で対面して座る。男女のカップルだったら横並びでも問題ないだろうが、こういうところではちゃんとした“振る舞い”ができる兄は、当然のように対面して座り、「え? だって俺らやらしー仲やん?」ととぼけてみせた。

 店員がいないタイミングを狙って完璧に挟まれる、見せつけるような欲望の笑み。普段の大きな声が潜められるだけで、こんなにも官能的に感じるなんて。

「……さっきの動画……何なん? 相手、誰?」

 昌也の問いのタイミングで、店員が水とおしぼりとトングを持って来た。それに爽やかなお礼を返して、兄は店員をさっさと下がらせる。

「お前の知らんヤツ」

「知らんヤツとなんか、あんなんすんなよ……」

 にっと笑ってこちらの反応を面白がっている兄には――敵わないので敗北を認める。はいはい、オレは妬いてますよー。兄貴の……優利のアホ。

 でも、やっぱり素直には全部言えなくて。知らんヤツなんかじゃなくて、誰とも……他の男となんて、あんなことして欲しくない。

 気持ちの半分くらいを白状したのが伝わったのだろう。兄はその笑みの種類を微笑みに変え、自身のスマホを操作してSNSのページを見せてきた。

「相手、こいつな。あと、お前が思ってるようなことはしてへんで。全部、『演技』でさっきのは動画投稿のための『練習』やから」

「……は?」

 言われたことが上手く飲み込めず、とりあえず差し出されたスマホ画面に目を落とす。そこには、いかついVIPカーと共に映る大柄な男の姿があった。

――こいつ……確かイベントで何回か見たことあんぞ。めっちゃ下品な弄り方……拓真さんといいこいつといい……兄貴、友達には下品な車乗ってるヤツがええんか? 兄貴と趣味、全然ちゃうやん。

「なんやな。なんか感想ないんか?」

「……下品やなーって」

 昌也の返しは正解だったのか、優利は手を叩いて大笑いした。個室にしていて本当に、正解だったかもしれない。

「人間の感想言うたれよ。そりゃ確かに下品が過ぎるとは俺も思うけど、こいつこれで、自走で持ってきおったんやで? 気合入っとるやろ?」

「え、マジ? 搬入いけんの?」

 先程までのマイナス気分なんて吹き飛ぶ話題にすり替えられて、ある程度乗せられてからそれに気付く。仕事の上でも大いに役立っているであろうトークスキルの高さには、とても太刀打ちできないと強く思わされた。



 調子よく肉を網の上に並べる兄によると、『さっきの動画』の相手は一希という名前で、これから一緒に動画投稿を始める『練習』のために、先程の『おふざけ』動画を撮ったらしい。

「んで? なんでそんな背中にいろいろ背負ってる人と、兄貴と拓真さんとで動画投稿始めようってなったん?」

 まだ心の中の小さなモヤモヤは取れないので、反抗心のつもりで一希と兄の名前を呼ばなかったのだが、そんな些細なことですら、この男の前では見透かされてしまう。

「カズのことはどうでもええけど、俺のことはちゃんと名前で呼んでもらいたいなー」

「……優利がやりたいって、言ったわけちゃうやろ?」

「……まーな。拓真のアホが金欠なんやわ。そんで動画投稿でもして収益得たいとか言い出して――」

「――いやいや、収益化なんてそんなすぐできるもんちゃうって。オレらでも何か月も掛かってやっとやのに。確かに三人共かっ……」

「んー?」

 動機があまりにも浅はか過ぎて慌てて反論したのがマズかった。思わず滑らしてしまった口を閉じることはもうできない。ニヤニヤ笑う兄の目の前で、言いたくもない言葉を言う羽目になる。

「……三人共、かっこええから……顔出したら違うやろうけど……」

「けど?」

「……そんな『カップルみたいにイチャついてる』ん、顔出してなんて……撮らんといて欲しい」

「可愛いやっちゃな」

 熱せられた網を避けながら伸ばされた手に撫でられて、やっぱり個室で良かったと確信。尻のポケットで震えるスマホが、とっくの昔にぶっ飛んでいる理性を叫んでいるが、気付かないふりをする。兄と一緒だ。なにもかも。

「食べたら家、帰りたい」

「どっちの?」

「……優利の」

「じゃあ、さっさと食べて帰ろか」

 ちょっとトイレと言いながら席を立つ兄に“もらった猶予”は理解している。昌也は着信を告げるスマホを取り出し、通話ボタンをタップした。

『っ……昌也』

 繋がった途端、愛しい恋人の急いたような声が聞こえて、昌也は少し動揺する気持ちを抑えて答える。実の兄と一緒だったのだ。何もやましいことはない。

「良? どしたー?」

『ううん。なんでもないよ。そろそろお兄さんの家から帰らないと、明日の仕事に支障でるかなって心配になって。ごめん、なんか俺……うざいよね』

 力なく笑う恋人の声からは、ここのところよく感じる不安が垂れ流されている。その原因も打開策も、何もかもわかっているというのに、昌也は今日もその不安が流れるままに垂れ流す。

「ええんちゃう? それだけ想ってくれてるん、オレは嬉しいし。ごめんな、寂しい思いさせて。もうちょい、我慢できる? 今週末はオレのことだけ考えさせたるから」

『もう、またそんな調子のいいこと言って……まだお兄さんの家? もしかして外?』

「あー、今焼き肉屋おるねん。兄貴が……あ、今トイレから戻ってきたわ。代わろか?」

『あ……う、うん』

 不安の原因はまだ手放すことができないが、今この時を安心させてやることはできる。目配せだけで昌也の意図を理解してスマホを受け取る兄は、さすがは遊び人の先輩といったところか。

「どうもー。良くん久しぶりー。弟使っちゃってごめんな? お詫びに今度なんか奢らして? 弟の運命の人、俺も兄として早く直で見たいし……うんうん……ええってええって……はいはーい」

 ドヤ顔でスマホを返してくる兄に、溜め息をわざと聞こえるようについてから電話を代わる。

「ごめんな。兄貴これで酒まだ入ってへんから、ヤバいやろ?」

『ほんと、明るいお兄さんだよね。いや、ほんと……良い意味で凄い圧が、うん……』

「声がデカいな。言っとく。つか殴っとくから。じゃあ……」

『うん。日付が変わるくらいまでは起きてるから、また帰ったら連絡して』

「了解」

 欲望を隠そうともしない瞳に貫かれながら通話を終えて、ついでにスマホを操作。着信音もバイブレーションも全て消して、それから尻のポケットに戻した。

「やーらしー。良かったな、ヤッてる時やなくて」

 スマホ越しに聞かせた『外面の良さ』という武器を外した本来の声が、揶揄うように笑う。いや、違う。多分自分にしか聞かせていない、特別な声だ。きっと、そう。

「演技は多分、優利の方が上手い……ってか……」

「ん?」

「動画の方向性、ファンつくまでどうするか悩んでたやん? オレ、やって欲しい企画リクエストしてもええ?」

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