第七話「ゲーム実況のための動画編集(勉強会)」8/2(1)
ようやく編集を練習するための『元』となる動画が撮れた。
水曜日の夜に早速弟を呼びつけた優利は、仕事帰りに家を訪れた昌也をパソコンの前に座らせて、その耳に後ろからヘッドホンを装着する。弟が家に来るのは――“アレ”から少し、頻度が増えた。耳元にヘッドホンを添えて、そのまま、指先で僅かにはみ出た耳朶をなぞってやる。
優利の家のパソコンはデスクトップ型のため、窓際のラックに設置されている。ゲームはもっぱら据え置き機派なため、このパソコンではゲームはしていない。そのためこの度、久しぶりに起動、からの活躍だ。
「っ……兄貴? どうしたん? もしかして、そんなに大声で騒いでるやつ?」
やや困惑気味にこちらを振り返ろうとした昌也だったが、優利の纏う雰囲気を察して、結局振り返ることはしなかった。
しばらく躊躇った後、その手が動画の再生ボタンを押す。既にパソコンには編集画面が開いているので、後は場面を確認しながら編集していく作業になる。
だが、元の動画を知らない弟は、仕方なく最初から再生するほかない。
動画は問題なく進んでいく。ゲーム画面は操作キャラが拠点から戦闘フィールドに移動したが、操作中のトークは昌也のヘッドホンにしか流れていない。
昨夜新しくキャラクターを作り、マルチプレイができるクエストまで手早く進めた動画用のデータだった。ちなみにキャラクターは男性キャラで、名前はもちろん被害者チックなあの名前である。
「……っ」
何度かクリックのために動いていた昌也の手が、ある瞬間から止まった。
この動画は昨日――というよりも今朝、一希と共に撮ったものだ。ゲーム画面も“音声”も、何も手を加えてはいない。
パソコン上に映し出されたゲーム画面が、ロードのために暗転した。
大きく見開かれた目が、その暗闇越しにこちらを見ている。その表情に優利は背筋をゾクゾクと快感が這うのを自覚して、思わず昌也の肩を後ろから背もたれごと抱いていた。
動画は進む。昌也のヘッドホンからは、何も漏れ聞こえることはない。
「っ!!」
そんな優利の腕を振り払って昌也は荒い息で立ち上がり、ヘッドホンをラックに叩きつけるようにして外すと、そのまま荷物を引っ掴んで部屋から出て行った。
予想通りの可愛い可愛い弟の行動に、優利は笑いが止まらなくなる。一人残された部屋では未だ、パソコン上にて動画が再生され続けていて。
拾い上げたヘッドホンから、小さな音声が漏れ聞こえる。
甘い喘ぎが零れるそれを耳にあて、胸を引き裂く狂おしいまでの欲望を反芻する。
『カズ……そこっ……』
グチリと耳に響く甘美な水音を、いったい“どこからの音”だと思ったのだろうか。
可愛い可愛い弟に、少しだけ……悪戯が過ぎてしまったかもしれない。でも、仕方がないだろう。『初めて』というのが可愛いものであることは、男なら誰でもわかっているのだから。
――お前の『初めて』、全部欲しい。
それが自分に『初めて<同性との行為>』を“教えて”くれた弟に対する、独占欲<愛情>だった。
溺愛する弟の恋人が女だったら、きっとこんな気持ちにはならなかっただろう。きっとこんな――『取られた』、なんて気持ちには。
優利は、自分が浮気性であることは自覚している。それなりにクズなことをしているし、考えていることも自覚している。
二人きりの時だけで良い。ただ、『その時』だけは、自分だけを愛しているのだと、信じさせて欲しいのだ。自分だってそう信じさせると誓うから。それだけは――クズみたいな嘘だけは誓うから。
未来のない自分達<兄弟>だ。それくらい……
――エエとこ取りでもエエやないか、か。
同じ想いを抱いていても表向きだけは楽しそうに笑う、そんな大切な彼氏の言葉を思い出し、優利は昨夜の“未遂”動画をストップした。
――俺らはほんま、同じ穴の、やな。
昨夜。
海鮮居酒屋から出た優利と一希は、店内での約束通り、そのまま優利の家へと向かった。運転は優利で、ちゃんと通勤の段階で車で来ていたのが功を奏した。なんとなく、今夜、こうなるような気がしていたから。
普段は“下”の人間が運転手を務める車で移動している一希だが、優利や拓真との時間では、そのガードが薄くなる。薄くなるだけでいなくなっているわけではないということは、“こういう関係”になってから一希に教えてもらった。
どうやら一希はカミングアウトをしていないようで、会社――と外では一希は言っている――内で彼の性的指向を知る者はいない。そのため『親しい男友達とよく遊んでいる、年相応の若』という、なんだかほっこりするプライベートに首を突っ込むような輩は皆無らしい。
ちゃんとお互い、カモフラージュのために適当な女を定期的に抱いているのも大きいだろう。ゲイ寄りのバイだと言っている一希と違い、優利の性的指向は基本的には異性なのだが、結婚願望の絡んだ恋愛関係にはほとほとウンザリしているのだった。気軽にセックスできる相手がいるだけで充分で、その相手が親友というのはとても都合が良いものだった。
市内にある会社近くの居酒屋で飲んでいたので、優利の家までは車で二十分程掛かる。今は帰宅ラッシュの渋滞にも掛からない時間なので、信号待ち以外はスムーズだ。
優利の愛車は深い青色のスポーツカーで、一応カタログでは四人乗りとなっているのだが、後部座席はとてつもなく狭い。そのため普段から二人乗りが限界だと悟っており、後ろのスペースはもっぱら荷物置き場と化している。観音開きのドアも相まって、まるで開かずの扉のようになっていた。ちなみにフィルムを張っているので後部座席の惨状は見えないようになっている。
「相変わらずクセある車やな。ロータリー信者はよおわからんわ」
くくっといつものように笑った一希は、優利とは車の趣味が全く合わない。そんな彼と、それでも仲良くこうやって連んでいるのは、性的対象が同じ――だったからではなく、ある出来事がきっかけだった。
一希と出会ったのは毎年開かれている車のイベント会場だった。お互い自慢のカスタムを意気揚々と展示していたのだが、『特に車種の規定のない自由なイベント』だったため、方向性の真逆な二人の車が、あろうことか横並びする形となったのだ。
普通だったらお互いスルーか、下手をしたらいちゃもんのつけ合いにもなりかねない状態だったのだが、愛車のドアを開けて優利が脱いだ上着を座席に放り込んでいた――秋だというのにこの日はとても暑かったのだ――ところ、隣から「お兄さん、めっちゃええ筋肉してるやん」と……そうだな、今から考えればナンパだろう。うん、ナンパされたのだ。一希に。
流れる汗を拭いながら優利が振り返ると、隣のスペースに停められた車――コッテコテのVIPカーだ――に寄り掛かるようにして立っている一希と目が合った。かなり身長が高い。一目でハイブランドのものだとわかるジャケットを涼しげに羽織っており、残暑の勢いが残る日差しの下だというのにどこか異質な空気を纏っている。口元こそ薄っすらと笑みを浮かべたままだが、その上の鋭すぎる視線のためか、とても先程の言葉がこの口から流れ出たようには思えなかった。
今から考えれば、絶妙に計算された長さだったとわかる七分袖のジャケットから伸びた鍛えられた腕はほんのりと日に焼けていて、優利は赤くなりやすい自分の肌と比べて羨ましいな、などとどうでもいいことを考えながら返事をした。「いやいや、それ、お互い様でしょー?」と。
その後、まさか自分が……異性愛者の自分が、鍛えられた彼の腕に抱かれる未来がやってくるなんて。人生とは本当に、何が起こるかわからないものだ。彼のおかげで毛嫌いしている車種が一種減ったのも事実だし。
「俺の愛車はカズも好きって言ってくれるやろー?」
揶揄い半分でそう返してはみたものの、まるで面倒くさい女のような物言いになってしまったと思い至り、優利は慌て――たところでもう無意味だと悟った。助手席で一希はいつもとは違う、欲望を隠そうとすらしない笑みを浮かべている。
「ロータリーなんか絶対、興味ないって思っててんけどな……優利が好きなもんは、俺も好きやで」
切れ長の瞳のとっておきの流し目でそんなことを言われたら、落ちない奴なんていないと思う。それはもちろん男女共にだ……って思いたいのだけれど、やっぱりそう思う自分のような男は少数なのだろうか。
「カズってさ……そういうこと、その……本命にも言ってるん?」
なんだか不安になる疑問を払拭したくて問うたのに、その質問の意図がなんだか誤解を生みそうで更に不安を煽る形となってしまう。案の定助手席の察しの良い男は、困惑した表情を微かに浮かべて言った。
「俺の本命、優利にはまだ話してへんかったな。幼馴染でタメの男なんやけど、カミングアウトもしてへんから、まぁ……お前らと一緒で親友みたいなもんで今は落ち着いとる。『好き』なんて言葉……お前らにしか、怖ぁて言えんわ」
最後の方は優利へのフォローというよりは、想いを告げられない自分に対する自嘲のような響きがあった。
「……遊びの女には散々言うて捨てるのにー?」
一希の纏う雰囲気が変わったのを察知して、優利は素早く話題を逸らす。女に困らない一希だが、その女共の相手を嫌々していることぐらい優利にもわかっている。優利の意図を今度はちゃんと理解した一希が「それはお前らやろが」と苦笑して、この話は終わり。これでおしまい。それでいい。女に愛を囁く姿を、想像なんてしたくなかった。
今だけは。今夜は優利だけのものなのだから。
「……ドラッグストア、寄る?」
大通り沿いのドラッグストアの看板が目に入った優利は、そういえば何も“用意”をしていなかったと思い出し、その道の先輩である一希に“必要なもの”を買わなくて良いのかと確認した。
まだ回数としては少ないが、ネコの経験は優利にとって嫌なことばかりでもなかった。だが肉体的にはまだ、快感を得ることはできていない。むしろまだ異物感の方が強いくらいで、気分が昂った時だけ拓真相手に許しているという状況だ。けっこうな頻度で拓真とはお互いの家を行き来しているが、挿入までは至らない行為の方が多い。
「ふっ……無理せんでええぞ? ゆっくり、な」
挿入への不安が声に出ていたのだろうか。一希は薄く笑ってからそう言って、優利の頭をくしゃっと撫でてくる。歳下のくせに、すっげー色気。
「正直言うと、まだ……ちょっと怖い。言い方としては正しないし、語弊しかないの覚悟で言うけど、なんか……挿れられると『男じゃなくなる』ような気持ちになってもうて、苦手なんやわ……」
「……拓真に無理強いされてるんか?」
すっと、一希の声のトーンが下がった。その低い声にゾクリと――優利の腰が疼いてしまった。一希の声は普段から低いのだが、こんな『男』を感じさせる声を、こんな……まるで優利を守るように、こんな声を出されたら……
「無理強いはされてへん……あいつと“する”んは”どっち”でも、まぁ……楽しめるし」
「……俺には無理せんでええから」
「……悪い。カズには甘えてばっかやな……」
添えられた手に甘えるように頭を寄せると、珍しく隣からは溜め息のような声が漏れた。ちょうど赤信号に引っ掛かったので、視線を溜め息の主に向ける。
「優利こそ、誰に対してもそう、ちゃうよな? 俺、今お前の本命なんかなって誤解しかけたんやけど?」
声こそいつものように笑いながら、しかし返された視線は妙に熱を帯びていて。まるで誤解してしまいそうにさせているのは、いったいどちらなのか。
「カズには本命、おるやん。俺かて……カズのことは好きやし、セックスだってしたい。でもさ……男同士<俺ら>は結局、結婚もなんもできんやん。実際問題、それがある限り、いつかは結婚は“しなあかん社会”な限り、俺の本命<将来を誓う相手>は女じゃないとあかんねん。そこにほんまの愛も情もなかったとしてもな」
「意外やな。お前と結婚観について語る日が来るとは」
「茶化すな。俺かてすぐ結婚したいわけちゃうわ。でもな、いつかは親に孫の顔見せなあかんやん。今の時代は結婚が全てじゃないっていくら言ってもさ、やっぱ俺は、親には孫の顔見せたいねん。いつかは、な。それは多分、揺るがんと思う。養子とかじゃなくて、嫁よりも自分の子供が欲しいから結婚“は”したいねん」
恋愛の末の結婚願望なんてものは、本当に皆無である。ただ、自分の遺伝子を引き継いだ子供は欲しいのだ。それがとてつもない我儘な考えであることはわかっている。だから、今付き合っている女にも絶対に言わないし、もしもこのまま結婚するということになったら、ちゃんと幸せにはするつもりだ。
優利の心の奥底の想いまでもは、縛ることなどできないのだ。誰であろうと、どんな存在であろうと。
未来を約束したい存在が同性でも、入籍できるようになれば良い。この希望はいつか実現する可能性がある。だが、子供は多分……無理だ。SF作品だとか夢物語の範疇から、優利が死ぬまでの間に出ることはないだろう。
「結婚な……男に恋した時、真っ先に考えることよな」
「付き合ってからやなくて?」
「アホ、俺に落とせん相手がおるとでも?」
「本命、まだ付き合ってへんのやろ?」
呆れ半分に言ってやると、いつもの大笑いが返ってきた。ひとしきり笑った後、一希は真面目なトーンで話し出す。
「俺にとって子供って、問答無用で跡継ぎになる可哀想な存在なんやわ。だから俺は絶対子供なんて作らんって決めたし、その点は優利と違って悩みではないな。好きなモン同士、一緒に住むだけならなんとかなっても、確かに子供は……それこそ離婚なりなんなりで、産ませるだけ産ませて奪い取るしか方法ないからな男には」
「流石にそこまでしてまで欲しいとは思わんわ。犯罪スレスレってか、倫理観的には大罪人やし」
「まーな。拓真が読んでたBL漫画みたいに、優利が子供産めたらええのにな」
「……そんなん実現したら、それこそ苗床やん俺」
最低の名付けを思い出して呻いていると、隣のサディストはそれでテンションが上がったのか、「種付けしたるから俺の子供産めよ」と十数秒前の記憶なんてぶっ飛んだような台詞を吐いていた。
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