頁弐拾参__疑問

 食事を済ませた後、僕達はそれぞれ個室に通されました。

 ……毒ですか? ありませんでしたよ。大変美味でした。


 紗凪さん曰く、彼女にはが好む味付けと、数百にも及ぶ献立が入魂されているそうです。

 そこから食材の在庫や各種栄養の事などを考えつつ、毎日違う食事を用意しているとの事でした。


「ご主人様がお留守の際には、いつも食材を届けてくださる方や時折訪れるお客様へ提供しています。お料理を無駄にしてしまうのは、農家の方々にも申し訳ない事ですので。なので、本日はご主人様がお帰りになられて、大変嬉しく思います!」


 部屋の隅に立ったまま、彼女は不変の笑顔で言いました。


「前に『ご主人様』が帰ってきたのは、いつ?」


「前回お帰りになられたのはおよそ二か月前の午前九時五十三分で、お客様は四名様いらっしゃいました。一週間ほど滞在したのち、お客様と共に午前十一時三十四分にお出かけになられました」


「それは……彼だった?」


 白咲さんが僕を指差しました。話の流れから、紗凪さんにとっての『ご主人様』は僕──つまり男性だと察したのでしょう。

 紗凪さんが僕の顔に目を向けた瞬間、唐突に笑顔から真顔になりました。

 体が小刻みに震え、体内からはキュルキュルという何らかの……おそらくは歯車が猛烈に回転している音が聞こえてきて、僕は何事かと肝を冷やしました。


「ご主人様は──ご主人様が──ご主人様──ご主、じ、じじじ、ささささっままーまーまー、は──」


 発言も壊れた機械のようになってしまい、まさか故障してしまったのではないかと心配していると、徐々にそれらの音は鳴り止みました。

 そして紗凪さんは再び笑顔に戻ると、


「──ご主人様は、ご主人様ですよ? 私にとってのご主人様は青瑞友知しょうずいゆうじ様だけですから!」


 と言ったのです。

 流石にそれ以上は何も聞けず、粛々と食事を済ませた後、先に述べた通りの状況になりました。



──────


 こっそり僕がいる部屋まで来ると、白咲さんは小さなため息を吐きました。


「私がいる部屋とは広さからして違うのね。これが『ご主人様』と『お弟子さん』の差かしら」


「そうなんですか?」


「ええ。客間が無いからって弟子用の部屋に通されたけれど──その部屋はもう少し質素だったわよ」


 白咲さんの言葉を聞いて、僕は改めて部屋を見渡しました。

 部屋は主にベッドのあるスペースと、書斎のようなスペースに分かれていました。


 ベッドは一人で寝るには広く、心地良い弾力の羽毛布団が敷いてありました。

 箪笥やクローゼットもあり、正に主人の私室と言った雰囲気です。

 家具の装飾は派手ではないものの、繊細な細工が施してありました。


 それとは対照的に、書斎のようなスペースは質実剛健を形にしたような所でした。

 壁は一面が本棚となっており、入った時に確認したところ、全てが錬金術に関する本でした。中心には机と椅子があり、机の上にも本が山積みになっていました。

 おそらくは、寝る前に研究をまとめるためのスペースだったのかもしれません。


「……確かに、立派ですよね……」


「一応、弟子の方の部屋も同じような造りだけれど。規模は段違いね」


「交代しましょうか?」


「いいえ、遠慮しておくわ。今は貴方が『ご主人様』のようだもの」


「……その事なんですけど、どうして僕が『ご主人様』なんでしょうか?」


 かれこれ疑問に思っていた事を口にすると、白咲さんは「そうね……」と考え込みながら答えました。


「彼女の目には、貴方がそう見えているのでしょう。確か、青瑞友知しょうずいゆうじ……だったかしら。彼は錬金術師で、おそらくは彼女を作った人。彼は弟子を複数人抱える程に優秀な錬金術師だったけれど、何時しかこの屋敷に戻らなくなり、彼女は故障で他人を『ご主人様』だと誤認するようになった──今分かっている情報で推測するなら、そんなところかしら」


「友知……名前の読みからして、おそらく男性ですよね。だから、僕が『ご主人様』に見えている……?」


「そして私は『お客様』。……ベッドは広いけれど、女性を見てそう思うという事は、彼は多分独身なのでしょう。……現在の情報で可能な予想はこの程度かしら。今日はひとまず誤解──もとい、ご厚意に甘えて休んで、明日屋敷を探索しましょうか」


「はい。おやすみなさい、白咲さん」


「ええ。おやすみ、春君」



──────


 翌日、紗凪さんの朝食に舌鼓を打ってから、屋敷の探索を始め──る前に、外から乾いた鈴の音が聞こえてきました。

 その直後に、紗凪さんの声と一緒に聞き覚えのない男性の声が聞こえてきたので、もしかしたら本物のご主人様が帰って来たのではないかと戦々恐々しながら、僕達はこっそり窓から様子を窺いました。


 するとそこには紗凪さんと、台車を引く初老の男性がいました。

 男性の台車の中には、野菜などの食材が詰まった箱がいくつか詰まれていました。

 はい、先日の彼女の話に出ていた「いつも食材を届けてくださる方」です。


 男性の視線で僕達に気付くと、紗凪さんは笑顔で大きく手を振ってきました。


「ご主人様-! 拍野土うのどさんがいらっしゃいましたよー!」


 男性──拍野土さんと話すために、僕達はダイニングルームと隣接したバルコニーから外に出ました。そして軽い挨拶と自己紹介を挟んでから、紗凪さんと屋敷の事について尋ねました。


「ああ。何も知らん旅人からしたら、謎だらけだよなあ……この屋敷は。……一先ず確認しておくが、お前ら泥棒はしねえよな? もしも何か一つでも盗んでたら、拳骨食らわした後に警察に突き出すぞ」


 拍野土さんの脅しに、僕は慌てて否定しました。


「そ、そんな事しませんよ!」


「ここまで素晴らしいおもてなしを受けておいて、そのような恩知らずな真似は致しません。──それに、同じ錬金術師としては、この屋敷のご主人に敬意を抱いているほどです」


「なんだ、嬢ちゃん錬金術師なんか。……あいつと会った事ないだろうに、何でそこまで言い切れる?」


「例の機械人形オートマタですよ。あの精巧さに感服しない錬金術師などいないでしょう」


「そうか……それを聞いたら、奴も──奴の一族も報われるだろうさ」


 白咲さんの返答に満足したのか、懐から取り出した煙草に火を付けると、彼は過去に何があったのか話してくださいました。


 曰くこの屋敷には代々、五色の開祖の一つ──青瑞の本流、本家と言うべき一族が住んでいたそうです。

 かの有名な流派の本家ですから、一時期は弟子も多く、森の中であるにも関わらず屋敷はとても賑わっていたのだとか。

 拍野土さんの一家は農家でありながら、先祖代々彼らと仲が良く、町の食堂などに食材を卸すついでに屋敷へその余りを持ってきているとの事でした。


 紗凪さんは、そんな一族の誰かが精魂込めて造り上げた機械人形オートマタだそうです。

 誰による作品かまでは伝わっておらず、嘘か真か、拍野土さんの祖父の代から今と変わらない姿でいたという噂まであったと。


 とても順風満帆に思われた青瑞の一族に異変があったのは、五年前。

 当時の当主である青瑞友知さんが流行り病に──そう、未だに謎多き病と言われる病気にかかり、闘病も虚しくこの世を去ってしまいました。

 天涯孤独で妻も子もなく、弟子達も一人残らず巣立ったせいで屋敷を相続する者は誰一人存在しない。

 遺書や遺言の類もなく、どうしたものかと困り果てた拍野土さんが相談するために紗凪さんへ主人の死を伝えると──


「あの子の体ン中から突然、軋むような音がしてよ……気が付いたら、あんな有様になっちまった。知らん奴を『ご主人様』だと思い込む、可哀想な機械人形オートマタがな。……俺のせいだ。俺が、あんな事言わなきゃあ……」


 悲しみからか煙草を深く吸い込む拍野土さんに、白咲さんが「こんな事を言っても慰めにはならないでしょうが……」と前置きした上で言いました。


「あそこまで繊細な造りの機械人形オートマタならば、何時かは内部に異変が生じてしまう事もあるでしょう。……それが、最悪の瞬間に重なってしまっただけで。だから、貴方がそこまで背負う必要はないかと」


「そうかねえ……。そうだと、良いんだがね……。おらぁ、毎日あのの飯を食うたびに胸が締め付けられるんだよ。もう必要ねえ飯を、健気に作り続けるあの娘が不憫で不憫で……。嬢ちゃん、見ず知らずのあんたに頼む事でも無いだろうが……錬金術師なら、紗凪ちゃんの故障ってやつを──……いや……」


 吸殻を捨て、拍野土さんは深く帽子を被り直し台車の持ち手を握り締めました。


「すまねえ、ちと感傷的になりすぎた。歳食っちまうとどうしてもな。……せめて、もうしばらくだけ、あの娘に付き合ってくれ」


 空の台車を引きながら去っていく彼の後ろ姿を見送りながら、僕は白咲さんに話しかけました。


「……白咲さん……」


「初めに言っておくけれど、修理は十中八九無理よ。あの規模の人型機械人形オートマタなら、内部の回路はさぞかし複雑怪奇な物になるでしょう。何も知らない他人が、おいそれと弄れるようなものじゃないわ」


「……そう、ですよね」


「──でも。やる前から否定しては、出来る事も出来なくなってしまうのも確か」


「それじゃあ……!」


 瞳を輝かせた僕に、白咲さんは無表情のまま──しかし、それでも僅かに口の端を上げました。


「ひとまず、予定していた屋敷の探索から始めましょう。あれほどの機械人形オートマタを造り上げる技術があるのだもの。故障した時の対処法くらい用意してるとは思わない?」


「はい!」


 かくして、僕達は屋敷の探索を始めました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る