第五話『心無きモノの恋』
頁弐拾弐__洋館
こんにちは、本日もよろしくお願いします。
……と言っても、今日も特にお手伝いを頼むような事はありませんけどね。
ええ、お手伝いさんを雇っているのは確かですが、お願いしているのはこの屋敷の掃除や買い出しくらいですよ。
暮らすだけなら僕一人でもやっていけますが……流石に屋敷全体の掃除となると、老いぼれには骨が折れます。
ああ、掃除なら先日やっていただいたので、まだしばらくは大丈夫ですよ。
毎日やった方がいい、ですか? それはごもっともですが……いや、本当に大丈夫ですって!
お手伝いさんに任せているのはあくまでも屋敷全体の掃除で、普段使用する部屋は自分で毎日していますから……。
……何と言うか、貴方って存外……人の世話を焼くのが好きだったり?
やはりそうでしたか。だけど、本当にもう良いのです。
どうせ、僕が亡くなった後は誰も相続しないでしょうし──
……すみません、縁起でもない事を口走ってしまって。
やはりこの歳になると、そういう事を嫌でも意識してしまいますね。
そうですね。まだ先の話ではなく、過去の話をしないと。
今ちょうど、屋敷──洋館にまつわるものが一つあったのを思い出しました。
それでは、始めましょうか。
──────
あれは秋も過ぎ、冬の初めに差しかかった頃の事です。
僕達は次の町への近道だと教わった森の中を歩いていた……のですが、辿りづらい獣道と葉のない樹木ばかりの景色に惑わされ、いつの間にやら迷ってしまいました。
「何が『分かりやすい道』よ。まったく、とんだガセを掴まされたものね。……この調子だと、今日は野宿かしら」
「そうですね……」
互いにため息を吐きながら仕方なく野宿の拠点を探していると、ふと香ばしい匂いが漂ってきました。
焼き立てのパンのような、食欲を誘う香りです。
……はい、僕も最初は気のせいだと思いました。こんな森の中でそんな匂いがするはずがないと。
「……春君、貴方も気付いた?」
しかし白咲さんからの問いかけで、それが気のせいではない事が分かりました。
「良い匂いがします、よね……。何も見えませんけど……」
「とりあえず、匂いのする方向へ行ってみましょうか」
匂いを頼りに歩き始めて、およそ十分ほどでしょうか。
突如、目の前に立派な洋館が現れたのです。
それも、ここよりも一回りくらいは大きな屋敷が。
あまりにも不釣り合いな光景に一瞬幻覚を疑ったのですが、隣の白咲さんも驚いているようだったので、少なくとも僕だけに見えている物ではない事は把握しました。
「……どうしましょう?」
尋ねると、白咲さんは「一晩だけでも泊めてもらえないか、聞いてみましょうか」と洋館の前に踏み出しました。
「行くんですか!?」
「立ち往生しても仕方ないし、一か八かよ。住民が底抜けの善人である事を期待するしかないわ」
「そ、それなら……せめて、僕が行きます!」
白咲さんを追い越し、僕は扉の前に立ちました。
玄関の扉は僕の背よりも大きく、威圧感すら感じるほど立派でした。
少し深呼吸をした後に意を決して扉を叩くと、
『はーい、少々お待ちください!』
すぐに頭上のスピーカーから女性の声が聞こえてきて、僕は心臓が飛び出るくらい驚きました。
何しろ、当時のスピーカーはまだまだ貴重品でしたからね。
大きな町でいくつか町中に設置しているような事はあっても、一個人の家が玄関に取り付ける事はまずなかったはずです。
だからこれは、今で言うインターホンのはしりと言えるかもしれませんね。
……そのせいで、更に屋敷の謎が深まったのも確かですが。
とりあえず言われた通りに待つ事、数分後。
ゆっくりと開いた扉から、一人の女性が出てきました。
三つ編みにした紺色の髪と白藍の目という珍しい色彩を持つ人で、白いエプロンと黒いロングワンピースの……そう、メイド。
メイドのような恰好と相まって、まるで人形のように見えました。
彼女はワンピースの裾を摘まんで丁寧にお辞儀すると、にこやかに言いました。
「お帰りなさいませ、ご主人様!」
……ええ、僕達もかなり困惑しましたとも。
見ず知らずの人から、突然『ご主人様』と呼ばれる機会なんてありませんから。
戸惑いから立ち止まっていると、何を思ったのか、彼女は「ご遠慮なさらずに!」と僕達の背中をぐいぐい押して屋敷に入れてしまいました。
「お外は寒かったでしょう? 気温が例年より低いと聞いていたので、およそ一時間ほど前から屋敷全体の暖炉に火を入れておきました! きっと温かいですよ!」
「ちょ、ちょっと待ってください!」
「はい?」
コートを預かろうとする所で声をかけると、彼女はやっと静止しました。
「何か追加のご命令でも?」
「いえ、そうではなく……。えっと、その……」
「まず、貴女は何者なの? そして、この屋敷は一体何?」
聞きたい事が多すぎて戸惑う僕に代わり、白咲さんがそう質問しました。
「……おや、お客様でしょうか? それとも、新しいお弟子さん? ご主人様以外の人物を検知したので、自己紹介が必要だと判断しました。──それでは、自己紹介を開始します!」
もう一度お辞儀すると、彼女は朗らかな笑顔で自己紹介しました。
「はじめまして、私の機体名は自律思考型
「おっ、
僕は思わず、まじまじと彼女──紗凪さんを見つめてしまいました。
一見、彼女は普通の人間にしか見えません。……あの明百合ちゃんよりも。
しかし、よく観察すると、彼女の方が機械然としている事に気付きました。
例えば表情。彼女は瞬き一つせず、笑顔もほとんど固定された状態でした。
表情が変わらないという訳ではなく……僅かな筋肉の動きと言いますか……。
そう、揺らぎのようなものが一切と言っていいほどにないのです。
体の方も、呼吸の際に生じるであろう僅かな動きすらありませんでした。
喋らなければ、あるいは動きさえしなければ──「精巧な人形」だと思ってしまうくらいに。
そして、一番の違いは彼女の手です。
紗凪さんの手は、関節部分が全て球体になっていました。
つまり球体関節人形と──白咲さんの義手と同じ物です。
……なるほど、貴方も白咲さんの義手と義足を見た事があったのですか。
なら、イメージはしやすいですかね。
当時は、
栄犠さんのお話の中で「義肢と
他にも色々と共通点はあるのですが……これも話が脱線しすぎてしまうので、また別の機会に。
「追加のご質問が一定時間発生しなかったので、質疑応答を終了します。……本日のご夕食はビーフシチューです! お客様の情報は頂いておりませんが、『おかわり』の分で代用可能だと推測します。お客様は、何か好き嫌いなどはございませんか?」
「……ないわ」
「ああ、良かった! それでは、これから食事室へのご案内を開始します。どうぞ、ご一緒にお越しください!」
歩き始めた紗凪さんの後ろをついて行きながら、僕は白咲さんに耳打ちしました。
「あの、本当にこのまま付いて行って良いのでしょうか……? 何かの罠では……」
「ここまで大袈裟な罠を仕掛けて、一体何をするって言うの?」
「それは、そうですけど……」
「もちろん、夕食の様子によるけれど。毒物を見分ける道具を持ってるから、それで確かめてみるわ。貴方はその間、彼女の気を引いておいて。毒が入っているようなら逃亡、毒がないようなら……」
「ないようなら……?」
一息置いた白咲さんに対し、何を言うのかと覚悟して聞くと
「頂けるものは頂いてしまいましょう」
そんな拍子抜けする答えが返ってきて、僕は思わず足を滑らせかけました。
「……何よ。どうせ、春君だってもう野宿する気なんかないでしょう?」
「た、確かにそうですけど……」
「まあ、野宿になるかどうかはこれから次第だけれど」
「こちらが食事室になります! ……いかがなされましたか?」
ドアの前で首を傾げる紗凪さんに「何でもない」と返すと、僕達は食事室……今で言うダイニングルームへと入りました。
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