頁拾漆__通名
「いやー、あそこで君達が来てくれて本当に助かったよ! あの頑固オヤジめ、私を一目見ただけで、『しっしっ』て野良犬みたいに追い払いやがったんだぜ? だからもう、心底腹が立ってたんだ。ざまあみろ!」
部屋に入ると、隣の部屋から彼女が訪ねてきました。
何処から持ってきたのか酒瓶を抱えており、豪快にラッパ飲みする始末です。
そのざっくばらんとした態度に、僕は思わず閉口してしまいました。
「こちらこそ礼を言うわ。おかげで宿代が節約できた。……やり方こそ、褒められたものではないけれど」
「そう? 私にしては穏便に済ませたつもりなんだがね。──おっと。私とした事が自己紹介を忘れてた」
酒瓶を近くのテーブルに置くと、彼女は胸を張って名乗りました。
「私の名は
「白咲立華よ」
「明哉春成と申します」
「立華に春成ね、良い名前じゃないか。羨ましいこった」
若干投げやりな様子で言うと、女性──燐さんは軽くため息を吐きました。
「私の師匠もこう、もうちょっとまともな
「燐さんも錬金術師なんですか?」
「そうだよ? 貰えたのは名だけで、流派の方は『未熟者が名乗るんじゃない』って一蹴されたけどね! いいなぁ立華は、『白咲』とかいう名門を名乗れてさ」
自棄酒と言わんばかりに酒瓶を呷ると、燐さんはそう言い捨てました。
「……名ではなく、流派の名乗りを禁じられる方が珍しいと思うのだけれど。でも、その様子なら納得ね」
「はぁ!? 喧嘩売ってんの!?」
「ま、まあまあ……。錬金術師同士、仲良くしましょうよ……」
次第に険悪な雰囲気になってきた二人を止めるため、僕は話題を変えるつもりで
「……あの……ところで、なんですけど。……
と発言しました。
……ええ。あの時ほど、気まずい時間はありませんでしたね。
一瞬で空気が凍り付き、白咲さんにも燐さんにも信じられないようなものを見る目で見つめられて、思わず身が竦んでしまいました。
「──春君、冗談でしょう?」
「いや、流石に冗談でも引くぞ、私は……。なあ立華、彼は君の弟子じゃないのか? そんな事も教えてやってないわけ?」
「弟子じゃなくて、成り行きで一緒にいるだけなのだけれど……。貴方、本当に
「え、はい……その、実はあの本には、一部破り捨てたような跡がありまして……。それについて尋ねてもはぐらかされてしまい……」
あの本、というのは判道さんから頂いた例の本ですね。白咲さんから『時代遅れ』と称された錬金術書です。
僕の答えを聞くと、白咲さんは眉間に皺を寄せてしまいました。
「あの男、そこまで性根が腐っていたのね……。仕方ないわ。長くなるけれど、
「え、何で私が? 君達の因縁とか全然知らないけど、私は別に関係ないよね?」
「一から説明するとなると、本当に話が長くなるからよ。あんな三文芝居にわざわざ付き合わせたのだもの、貴女も誠意を見せなさい」
「……それを言われちゃ仕方ないか。いいよ、無知な青年に英知を授けてやろう!」
こういった流れで、白咲さんと燐さんによる特別授業が始まりました。
ところで、これまで常識のように語ってきましたが、貴方は
……えっ、今は歴史や科学の授業で習う!? 本当ですか!?
そうですか、今の普通学校はそこまでちゃんと教えてくれるのですね……。
──はっ、思わず放心してしまいました。すみません……。
では、
ならば、その辺りを重点的に説明しましょうか。
まず
この通名は通常の氏名と同等に扱われ、公的な書類などにも用いる事が出来ます。
白咲さんならば、「白咲」が流派で、「立華」が師匠から貰った名という事になりますね。
何故そんな通名が必要なのか? ですか?
これは必要性があっての事ではなく、どちらかと言えば伝統に近いでしょうか。
まだ錬金術ではなく魔術が世界の中心であった頃、魔術師達は他者からの呪いから自らを守るため、本名を知られないように表向きの通名を用意したそうです。
その時の仕来たりが形骸化した状態で、錬金術師達にも伝わったのだとか。
まあ、この国には元から落語家や刀工のように通名を用いる職業が多かったので、そういった流れで受け入れられたのかもしれませんね。
ちなみに、錬金術師には多くの流派がありまして。
今まで語ってきた中で出てきた錬金術師の方々の名を思い出せば、それが分かっていただけるでしょう。
しかし、その数多の流派の中でも特に有名であり、なおかつ重視されている流派が五つあります。
それが、「
「この五つの流派以外は名前に色を用いてはいけない」という決まりがあるほどに重視されており、そのうち黒張と白咲は日本に初めて錬金術を齎したという事で、『
だからこそ、白咲さんに会う錬金術師達が彼女の
以上が、白咲さんと燐さんから教わった
……やはり、結構長い話になってしまいましたね。
当時も、説明が終わる頃には夜が更けていましたから。
「やれやれ、くたびれた! ……でもまあ、久々に長話が出来て楽しくはあったよ。じゃあ、おやすみ!」
説明を終えると、燐さんは酒瓶を置いて自らの部屋へと戻っていきました。
「あの酒瓶は、明日突き返してやりましょう。……それはともかく、春君」
「は、はいっ」
「前に『貴方の師匠をするつもりはない』と言ったけれど……。これからは、どんな些細な疑問も尋ねて構わないわ。師弟関係を結ばないにしても、せめて今日みたいに恥を掻く事がないようにはしてあげる」
「……ありがとうございます!」
これ以降、白咲さんの態度が次第に軟化してきたので、結果的にここで恥を掻いて良かったのかもしれませんね。
ともあれ、こうして都市を訪れた最初の日は終わりました。
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