頁拾伍__父娘
「……!」
僕と白咲さんは、一気にその少女を注視しました。
外見の年頃は六歳ほど。腰まで伸ばした黒髪と丸い青緑の瞳は、おそらく父親譲りなのでしょう。飾り気のない白いワンピースを着た、華奢な子でした。
「……あの子は?」
警戒していたのでしょう。少し鋭い声で白咲さんが尋ねると、栄犠さんは穏やかな笑みを崩さないまま答えました。
「ああ、娘の明百合だよ。ほら、明百合。そんな所に隠れていないで、お客様に挨拶しなさい」
「はあい」
少女はおぼつかない足取りで歩いてくると、僕達に軽く頭を下げました。
「明百合です。……六さい、です」
そこまで言うと、少女はすぐに栄犠さんの後ろに隠れてしまいました。
そんな少女の頭を撫でながら、彼はやれやれと言った様子で笑っていました。
「すまない、この子は引っ込み思案でね」
「……いえ。可愛らしいお子様ですね」
白咲さんは、表向きは全く動じないように振る舞っていましたが、それでも先程と比べて動きが硬いのが見て取れました。
対する僕は、あまりの衝撃で一言も発する事が出来ませんでした。
そこにいた少女は、どう見てもただの人間だったからです。
父親の背後からこちらを窺う瞳の瞬きも、さらりと流れる黒髪も、呼吸に合わせて上下する肩も。
その全てが、人間としか思えませんでした。
……それに僕達は予め、町で明百合ちゃんの写真を見せてもらっていたのですが。
目の前の少女は、どう見ても明百合ちゃんそのものでした。
瓜二つ、などという次元ではありません。
こんな事が可能なのは、双子の姉妹か、あるいは──
本当に、明百合ちゃん本人の錬成に成功したか。
そうとしか、考えられない事でした。
では、栄犠さんはそんな神の御業のような奇跡的な錬成を成し遂げたのか?
……結論から言うと、否でした。
これから僕達は、この奇跡の裏に隠された、更なる闇を見る事となったのです。
──────
その後、僕達は栄犠さんの工房を見せてもらう事になりました。
工房は二階にあるので、栄犠さんが先頭で次に明百合ちゃん、その次が白咲さん、最後が僕という順番で階段を上りました。
……何か意図があった訳ではなく、単純に階段から近かった順ですね。
それはともかく、僕が階段の一段目に足を乗せた瞬間、何かがぶつかるような音がしました。
見上げると、明百合ちゃんが転んでしまったようでした。
「大丈夫かい!?」
明百合ちゃんを受け止めようと前のめりになると同時に、ごろりと細長い物が僕の横を転がってきました。
唐突な落下物が気になったのでそれに目を向け、正体を確かめて──
「うわあああああああっ!?」
僕は絶叫して腰を抜かしました。
落ちてきた細長いもの……それは、明百合ちゃんの右脚でした。
膝から下が、そのままの形で転がってきたのです。
しかし、人の脚のようでいて根本から血が流れている様子はなく、まるで力任せに折られた枝のようになっていました。
おそるおそる明百合ちゃんに視線を戻すと、彼女は呻き声を上げながらも、必死に立ち上がろうと藻掻いていました。
ですが、片足がない状態で立ち上がれるはずもなく、何度も失敗しては尻餅をつくだけでした。
白咲さんもその光景を見て、流石にショックを受けたのでしょう。
何も喋れず、微塵も動けていませんでした。
「た、たすけて……おとうさまあ……」
明百合ちゃんが、助けを求めて栄犠さんに手を伸ばしました。
栄犠さんはそれに「大丈夫だよ」と答えると──その細い首を掴んで、へし折ってしまいました。
「え? え? な、あ?」
混乱して言葉もまともに発せなくなった僕と違い、白咲さんは声を震わせながらも
「……何を、しているんですか?」
と尋ねました。
「何って……、壊れたから造り直すんだよ。錬金術師ならば当たり前だろう?」
事もなげに答えると、栄犠さんは落ちた脚を拾い上げ、半目開きで動かなくなった明百合ちゃんを抱え直してから階段を上がりました。
そしてその先にある扉を開けて、「どうぞ」と僕達を工房に招き入れたのです。
──────
僕が錬金術師の工房を見たのはそれが初めてでしたが、それでもはっきりとそこが異常な空間であると理解しました。
部屋の両脇に三槽ずつ並べられた水槽には透き通った緑の液体が満ちており、そのうち五槽には、目を閉じて揺蕩う明百合ちゃんの姿がありました。
それはまるで、母親の胎内にいる赤ん坊のようでした。
部屋の奥には紙や本で散らかった机があり、何らかの数字や理論があちこちに書き連ねてありました。
「三十四号、十日目に右脚破損……と。やはり、階段の上り下りは関節部に対して、大きな負担を招いてしまうな……。おかげでこの部分の破損が絶えん。ここは最初のように、『骨』と『肉』を一体化させるべきか? いや、それだと……」
ぶつぶつと呟きながら紙に走り書きすると、栄犠さんはこちらに振り返りました。
「おっと、君達を放置してすまない。こうした実験結果は早めに書いておかないと、すぐに忘れてしまうからね。……それで、何か質問はあるかい?」
「……貴方は、一体何の研究をしているんですか?」
「研究と言うほどでもないよ。私はただ、かつて流行り病に侵されて死んでしまった娘を甦らせたかっただけだ」
空いた水槽に、先程首を折った明百合ちゃんと彼女の右脚を入れると、栄犠さんは遠くを見つめながら語りました。
愛していた妻の死と、妻の忘れ形見である明百合ちゃんの死。
最愛の存在を二度も失ってしまった絶望。後を追ってしまおうと何度も自殺未遂を試みた事。
そして、絶望の果てに至ったのが、
「──だから、私は
その狂気でした。
「これらは、通常の
喜々として語る栄犠さんの表情に不死者のような狂気は微塵もなく、却ってそれが僕を恐怖させました。
彼にとっては、異常である事こそが普通なのです。
「森に住んでいるのは、この子を錬成するために?」
「町は空気が汚れているから、明百合の毒になってしまう。それに、他の子と遊んでいる時に壊れてしまったら、皆を怖がらせてしまうだろう?」
だからこそ、己の行いが一体どれほど悍ましいものか、その発言がどれほど常識を逸脱しているのかが分からないのでしょう。
おそらくは、あれが人が狂い果てた姿というものなのかもしれません。
「最後に、一つだけ」
白咲さんはそう前置きすると、水槽の明百合ちゃん達を眺めながら尋ねました。
「──この子達に、自我はありますか?」
栄犠さんは少しだけ呆気に取られた後、満面の笑みで「勿論!」と答えました。
「だって
──────
栄犠さんの家を後にして、僕達は無言で来た道を辿っていました。
確かに、栄犠さんは不死者ではありませんでした。
しかし僕にとっては、ある意味不死者よりも恐ろしい人物でした。
「……白咲さん。あの人は──栄犠さんは一体、これからどうするんでしょうか」
「一生あのままなら、これからも娘を造り続けていくのでしょうね。……自分が何をしているのか、まったく気付かないまま……」
「あの、今すぐ引き返せば明百合ちゃんを助け……」
「無理よ。──そもそも、貴方はあの中のどれを助けるつもり?」
「っ、それ、は……」
言い淀む僕に、白咲さんは淡々と告げました。
「あんなに脆い体では、この森を出る事さえ不可能に近いはずよ。本当にあの弱さは克服出来ないのか、あるいは……いえ、これはただの邪推ね。止めておきましょう」
「そう、ですね……」
肩を落とす僕に、白咲さんがふと思い立ったように
「ねえ、春君。父親……に限らず、親というものは、必ずああなるものなのかしら」
と尋ねてきました。
横目で見た彼女の顔は何処かの痛みに耐えているようで、その様子を気にしつつ、僕はしばし考えてから答えました。
「……僕には、親の気持ちは分かりません。ですが、もしも仮に、彼と同じ技術力を持っていたとしたら──僕も、両親の錬成を試みていたかもしれません」
……そうですね。僕があそこまで彼を恐れた理由はきっと、彼の狂気を理解出来る側に、自分がいると分かっていたからでしょう。
それ程までに「肉親の死」という出来事は、その先の人生に長く暗い影を落としてしまうものなのです。
「……そう」
彼女は僕の答えをどう思ったのか……今となっては、もう分かりませんが。
目を伏せると、白咲さんは先を急ぎました。
その次の日、後ろ髪を引かれつつも、僕達は町を後にしました。
あの
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