頁拾__忠告

 次の日、白咲さんに頼まれて買い出しに出た僕は、再び南呑さんに出会いました。


「お、白咲は?」


「白咲さんは武器の整備と情報収集に。そう言う南呑さんは何を?」


「俺は……ちと散歩だ。今日は休業日なんで暇潰しにな。……そうだ、ここで会ったのも何かの縁って事で」


「? ……うわっ!?」


 突然肩を組まれて目を白黒させていると、南呑さんはニヤリと笑いました。


「奢るからついて来いよ。あの仏頂面女の愚痴でも語り合おうぜ!」


 返事も聞かず、南呑さんは僕を近くのミルクホール──今で言うと喫茶店のような場所でしょうか──に半ば突き飛ばすような形で入店させました。

 ただ、当時の僕はまだ田舎者から抜け出せておらず、ハイカラな店の様相に戸惑うばかりでした。

 そんな僕の戸惑いを一目で察したのでしょう。南呑さんは窓際の席に座ると、軽く手招きしてくれました。

 注文も彼が二人分済ませました。何と言うか……、「もしも兄がいたらこのような感じなのかもしれない」と思うくらい世話を焼いてくれて、僕は昨日のお調子者との差にただ驚くばかりでした。


 初めて食べたカステラの味に感動したり、その様子を思い切り笑われて恥ずかしくなったり……そうやって僕の戸惑いもある程度落ち着いた頃、ふと南呑さんの笑みが消えました。先日僅かに見せた、あの真面目な顔になったのです。

「これは何か大事な話があるのかもしれない」と身構えると、南呑さんはあくまでも雑談の延長のように、自然体で問いかけてきました。



「それでさ、何で……白咲アイツと旅をしようと思ったんだ?」



「それ、は……その……」


「ああ、安心しろよ。アイツの旅の目的は知ってるから。……と言うより、目の前で見た……助けられたって感じだ」


「え……南呑さんも、ですか?」


 問い返すと、南呑さんは「やっぱりか」と苦笑しました。


「例の洋館の噂、あれは白咲の仕業だろう? そして、あんたはそこに居合わせた」


「はい、その通りです……。凄いですね、そこまで推理できるなんて……」


「こんなもんは推理でも何でもない。情報と状況を照らし合わせりゃ、簡単に分かる事だ……って、これは白咲の受け売りだがな!」


「白咲さんがそんな事を……」


「ああ。……それはそうとして、かつてお前の先輩だった者として忠告しておこうと思ってな」


「忠告?」


「おうとも。同行のきっかけやそうすると決めた理由、アイツに抱く想い……それが何であろうとも、大切な事だ」


 いつの間にか、周りの喧騒が耳に入らなくなっていました。

 世界に空白が出来たような静けさの中、南呑さんの言葉が



「入れ込むな。深入りするな。……いつか別れがあると、自覚しろ」



 空白を侵す墨のように、僕の心に広がりました。


「……え?」


「何だ、まさか最後まで付き合うつもりだったのか? 止めとけ止めとけ! 何処にいるかも分からん復讐相手を探し続ける奴に付き合っても、ただ虚しいだけだぜ?」


「そ、それは……」


 その時になって、僕はようやく気付いたのです。

 白咲さんの旅に同行する確かな理由も、旅が終わって──白咲さんと別れた後に、自分がどうするかも。

 そういった大切な事、最初に考えるべき事を、ずっと後回しにし続けていた事に。


 答えられず茫然とする僕を見かねたのか、南呑さんはぽつりぽつりと、何故自分が白咲さんと共に旅をしていたのかを語ってくれました。


 曰く、南呑さんはかつて、恋人と共に故郷で暮らしていたそうです。

 家族との関係も良好で、諸事情により結婚は出来ないものの、良好な関係を築いていたと。

 ……しかしある日、南呑さんのお姉さんが殺されてしまいました。連続殺人事件に巻き込まれた形だったそうです。

 傷心の南呑さんを、自らも傷付いているであろうにも関わらず懸命に慰めてくれる恋人に対し、彼は死んでも恋人を守ろうと決意しました。


 ──変貌した恋人に彼が殺されかけたのは、そう誓った日の夜の事でした。


 そう、彼の恋人こそが、連続殺人犯にして彼の姉の仇でもあったのです。

 それを知り放心する南呑さんを助けるため……正確に言うと、不死者を殺すために乱入したのが白咲さんでした。


「アイツを見た時──、アイツが俺の恋人だったヤツを殺し、去ろうとしたその時。俺は自分でも気付かねえうちにアイツに縋っていた。……別に、恋人を殺されて腹が立ったからじゃないさ。殺されかけたのを救われといてソイツはお門違いだからな。ただ、何て言うか……」


 一拍置くと、彼は今彼自身も気付いたかのように言いました。


「……


「変わり、たい……」


「ああ。俺は変わりたかった。腑抜けで、間抜けで、どうしようもねえ自分からな。俺の日常を粉々にしたヤツらと同じ側にいるアイツに付いて行けば、何かが変わるんじゃないかって……そう思ったんだ。──なあ。お前だって、そうだろう?」


 僕は、南呑さんの言葉に共感も、かと言って否定も出来ませんでした。

 何しろ僕は、まだ己だけの理由を見つけていなかったのです。ただ、彼の言葉には納得出来るだけの説得力がありました。


「その、僕は……」


「言っておくがな。俺もお前も、偶然白咲にのさ。一つ違えば、邪魔者として見捨てられてもおかしくなかったはずだ。アイツが俺達を助けたのはあくまでも気まぐれ。アイツの手が届いたから、俺達がアイツの手を掴んだから、叶った事だ。ソイツはきっと、とんでもない奇跡に違いねえ。だが──」



「──奇跡は、そう簡単に起こらないからこその、奇跡なのさ。降って湧いたそれに縋っても、何も変わりゃしないんだよ」



 そう語る彼の目は、僕ではない遠くを見ているようでした。


「白咲は独りで平気な性分だ。他人が入り込める余地なんかありゃしねえ」


 だから、最初から入れ込まない方が良い。

 入れ込まないのなら、深入りもしない。

 自分が「ここで旅を終わって良い」と思えるまで、関係は最小限に。


「そして、いつか自分が腰を据えても良いと思えた場所……あるいは故郷に帰るのも良いだろうさ。ともかく、そこに辿り着いたらスパッと別れて清々する。アイツとの付き合い方なんて、これくらいで丁度良いんだよ」


「ですが、それだと……」


「薄情? もしくは寂しいんじゃないかって? ……いやいや、最初に言ったろう? 忠告だってさ。先輩からのありがたい経験則、聞いておくべきだぜ」


 代金を大雑把にテーブルへ投げると、南呑さんは席を立ちました。


「もしもそういった気持ちで白咲と一緒にいるのなら、それはきっとお門違いだぜ。だってそういう奴じゃないからな。アイツの強さの前じゃあ、誰だって弱者さ。俺もお前も、誰だって等しく。夏の虫になりたくなきゃ、早く正気に戻るんだな」


 去っていく彼の背中を見ながら、僕はその言葉を反芻していました。

 それはまるで、喉奥に詰まった石のようでした。

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