第7話 恋う

時代は明治初期のお話



身分違いの男性に

届かぬ思いを抱くも、

誰にも言えずに苦しむ

身寄りのない貧しい女性



男性の御屋敷に

下働きとして何年も仕える女性だが、

最初の出会いの時以来、

近くに行くことも

目を合わす事も

言葉を交わすことも

決して許されなかった



自分はここを追い出されたら

一人では生きていけない


どんなに辛くとも

旦那様のおそばで生きられる



それだけが彼女の生きる意味でもあった



しかしそんな女性の思いも知らず、

男性も身分違いの恋と知りながら

屋敷で働くその女性に思いを寄せていた



こんなにも近くにいるのに


手を伸ばせば届く距離なのに



身分というどうにもならないものが

二人を苦しめお互い思いを交えることも

出来ない




それでもたった一度だけ

会いたいと願い、

男性が手紙を出し



必ず渡すと

受け取ったお屋敷の

別の仕用人の女性。



しかしその女性は彼女の美しさを妬み、

一人だけ幸せになるなんて許さないと

毒薬を飲み物に入れてしまったのだ



気付いた時には遅く

声が二度と出なくなってしまった女性は

その場を追い出され

旦那様のおそばにいられないなら

生きていても苦しいと

身投げをした



そこへ偶然通りかかった墨屋の主人に助けられ

回復したあとに声が出ないことが分かっても、



『ここで働けばええ。

 わたしは妻も亡くして、娘も嫁入りして

 のんびり炭家をやっている。

 ここはあんたの家だ。』



そう言うだけでそれ以上

何も聞いてくることもなく

仕事を与えてくれるご主人に

恩返しがしたく

生きる希望が持てていた。




約束の日の夜



愛しい人を手紙が記した場所で

ずっと待つあの男性は

想いを寄せる人の不幸すら知らず

ずっと待ち続けるも

来る日も来る日も

現れることはなかった



何年か過ぎたある日

女が偶然町で

男性を見つけ必死で追いかけたが、

声を出して呼ぶことすら叶わない。



そもそも

下働きをしていた女が現れたところで

私のことなど忘れているであろう

旦那様のご迷惑になるだけ



旦那様‥‥

あなたに会えて幸せでした


どうか

どうかお元気で



そしてどうかお幸せに‥‥



女は出ぬ声を殺して泣き

溢れそうな想いを懐へしまったのだ




届かぬ想いが交差する




現代はスマホやメールなんて

便利なものが沢山あるけれど、


この時代に生きる人がする恋の深さ

この本には行き場のない想いが詰まってる




止めたくても止まらない涙と、

苦しい想いで口に手を当て

嗚咽を押さえる




『立花………

 感情移入し過ぎだから

 ‥‥‥‥‥‥おいで』


「‥‥瀬木さ‥‥‥」



物語は結末を残して終わっていたが

私は目から溢れる涙を止められずにいた



瀬木さん‥‥こんなお話書けるなんて‥

私は初めて瀬木さんの作品を読んだけれど

心からすごいってそう思える。



この人は

本を書くために

ここに生きてるんだって



肌寒い軽井沢の夜に

瀬木さんの腕の中は、本に囚われた私の心を

ゆっくりと落ち着かせていく



『立花は昔から変わらないな……

 感情豊かでほっとけない』



また仕事の邪魔をしてしまっているのに、

もう少しだけこうしてて欲しい。

でないと、行き場のない感情が溢れて

いつまでも現実に戻れないから



泣く私の髪を整えていく長い指が

頬を包み込むと

優しくこめかみに唇をよせた




「………‥‥ごめん‥なさい」



『どうして?

 それが立花の正直な気持ちなら

 書き手はこの上ない幸せだけど?』






「‥‥瀬木さん

 すごく素敵なお話に

 出会わせてくれてありがとう。

 私‥頑張って書いてみます」




『どういたしまして』



そっと影が降ったあと

泣きながら笑う私の唇に落とされたキスが

今までで一番長くて優しいキスだった



----------------


次の日の朝



爽やかなここ軽井沢の別荘に

何かが乗り移ったかのように

具合の悪そうな

大人が三名いる



『日和ちゃ……水』



『立花ほっとけ。

 おら自分で歩け!

 飲みすぎなんだよお前らは。』



「瀬木さん!!

 ……高城さんたち

 ちょっと待っててくださいね」



二名は作品が書き上がるまで自由時間なため、

旅行気分でテンションが上がり

開放的な場所で

朝方まで飲み続けた結果らしい



一番機嫌の悪い残りの一人は

執筆を朝方まで行い

寝不足の為こんな感じだ。



二人にお水と仲さんが用意してくれた

二日酔いの薬を渡すと

昼まで寝るとまた寝室に行ってしまった




『何しに来たんだアイツら‥‥‥』



「きっと毎日忙しいから

 楽しいんだよ。

 瀬木さんもお疲れ様。

 少し休めそうなら寝れますか?」



昨日瀬木さんの仕事部屋を出たのが

夜中の一時



まだラストを残してるって

言ってたから

私も気になってたけど

寝不足からか部屋に戻れば

爆睡できた。



瀬木さんに眠いなら

ここで寝ていいと言われたけど、

落ち着いて寝られないと断って

部屋に戻った



『ん‥‥シャワーいく。』



「ふ、服着てきてね!」



『…クス……考えとく』



考えなくても普通に着て欲しい‥

私が慌てるのわかってるから

からかわないでほしいのに‥



みんなのお世話をしていたら

すっかり時間が経ってしまい、

風が気持ちいいテラスで

遅めの朝食を食べることになってしまった



凄くいい天気



もっと都内にも

近くにこんな

素敵な場所があればいいのに




『立花さん

 絞りたてのミルク貰ったから

 後でカフェオレ淹れてあげるわね』



「ほんとですか!

 嬉しいです。」



ここに来てすっかりハマってしまった

仲さんの特製カフェオレ。

あれ飲むと何だか

やる気が沸いてくるんだよね



昨日瀬木さんの本を

読ませて貰えて本当に良かった‥‥



漠然ではないにしろ読まないよりは

イメージが頭に浮かびやすいから



あの素敵な作品に

瀬木さんが思うようなメッセージを

似合わせることができたらいいな…




シャワーを終えた瀬木さんは就寝中の為、

ウッドデッキでカフェオレを飲みながら

目の前の白樺の木々を

眺めていた



本当に真っ直ぐ伸びていて

高い位置から枝が出ている不思議な木だ



まるで

交差しないあの二人の思いが

細い枝でかろうじて繋がっているように



駄目だ……

あの物語を思い出すだけで

どうしようもなく胸が切なくなる




『日和ちゃん何してるの?』



「わ、和木さん!!びっくりしました!

 もう起きてて大丈夫なんですか?」



数時間前に寝ると言っていたのに

フラつく事もなく腰掛けた和木さん



朝のようなグダグタ感はないから

多少は二日酔いよくなったのかな‥



「瀬木さんに課題を頂いて瞑想中なんです。

 あ、でも、風が気持ちいいから

 ここにいるんですけどね」



軽井沢も完全に涼しい訳じゃないけれど、

ここは緑も多いし風も気持ちいいから、

都心よりかなり過ごしやすい



都内なんて風を感じても

アスファルトの熱さに負けちゃうから




『‥課題ねぇ……

 隼人厳しいでしょ?』



「そうですね……

 でもそれぐらい真剣さも伝わるので

 私も答えたいんです。」



『そっか‥

 日和ちゃんってさ

 小さいけど真は真っ直ぐな所が

 ギャップがあっていいよね。』



………真っ直ぐかなぁ。

結構勘違いもするし

道は相当踏み外してる気が

してるけどどうなんだろ。



「そう言えば

 和木さんは瀬木さんといつ

 出会ったんですか?」




あんなに若くして本を出版出来たのは

私も昨日読んだから才能には

勿論納得できるけど、

瀬木さんにあんな態度を

とられてるからこそ

二人の関係性が少し気になっていた。




『五年くらい前、

うーん、営業成り立ての頃かな‥‥

自費出版でいいから本を出したいと

掛け合ってきたのが高校三年生のアイツ。

勿論名前も知らない一般人だし

応募しろって最初は断ったんだけど、

かなりしつこくてね』



愉しそうに笑いながら目を細めて

ゆっくりと空を見上げた



『断っても断ってもしつこく来たから

どうしてそんなにその本が

出したいって訪ねたら、

大切な人と本でしか繋がってないから

何処かでその人が読んで

自分のことを思い出してくれればいいなんて

生意気なこと言ったんだよ』




本でしか繋がってない………?

それってもしかして‥‥‥‥



あんなに若くして本を出版出来たのは

私も読んだから納得できるけど、

瀬木さんにあんな態度をとられても

見放さず構うのが分からない




和木さんは

愉しそうに笑いながら目を細めて

ゆっくりと空を見上げた




『それでどんなものか試しに読んだら終わり。

 必ずこれは売れるって思ったから

 俺が負けた』



「………そうだったんですね。」



五年前から

先輩のことを思い出したくなくて

本を読まない日々がかなり続いた



進路を決める時に

お兄ちゃんと話して

それからまた少しずつ

図書館で本を読み始めたから

本屋に行ってたら瀬木さんの本

読めたのにな‥‥



和木さんは

瀬木さんの本に賭けたんだね。



そんな瀬木さんの素敵な作品に

私が挑戦していいのか

評価が下がらないか怖くなった。



瀬木さんは私でいいって

言ってくれたけど、

多くの人が楽しみにしてるからこそ

たまらなく不安になる




『アイツは今までで一番の物を

 書くと思うよ。

 何故だか分かる?』



俯いて首を何度も横に振った



『君が隼人の側にいるから』



えっ?



私が瀬木さんの側にいると

どうしていいものが書けるのだろう



「私は何にもしてないし、

 寧ろ邪魔をしてるだけなんです。

 瀬木さん優しいから甘えてしまってて」



『そこだよ』



和木さんは立ち上がると

大きく伸びをして、

私にニコリと微笑む



『隼人は甘えてくれる人も

 甘えられる人も居なかったから

 日和ちゃんがそうすることで

 バランスがとれてる。

 前は暴言しか吐かないだけだったから

 柔らかい顔してるの見て驚いた。

 それってすごいことじゃん。

 そのままでいいんだよ。』



あっ………



瀬木さんにも言われた



そのままでいいって………



考えすぎて悩んでる場合じゃないな



「和木さん、ありがとうございます」



和木さんと話せた事で

不安で迷ってた気持ちが吹き飛んだ



また知らない先輩を知る事が出来た。

それだけでも数分前まで悩んでいた

自分とは何処か違う気がする




カチャ



静かに仕事部屋に戻れば

気持ち良さそうに眠る瀬木さんが

視界に映り愛しい気持ちが込み上がる



大切な人と本でしか繋がっていないから

何処かで読んでくれればいいって‥‥




私‥先輩にまた会えたんだもん

やっぱり本を好きでいて良かった‥

本が先輩に私を結びつけてくれたから




デスクに静かに腰掛けた私は

部屋から持ってきたノートを開いて

目の前に写真を置いた



ありのまま

私らしい気持ちで書いてみよう。

たとえ駄目でも

私が先輩に伝えたい

気持ちを素直に書いてみたい



瀬木さんにどうしようもなく

本当は抱きつきたい気持ちだけど

集中してノートにペンを走らせる




たった一ページで

こんなに悩んでるのに、

作家や小説家、

漫画家の人達のような物書きを

お仕事にしてる人は

何頁にもよる構成をよく期間内に

作り上げるものだ




それから暫くそこで没頭していれば、

シーツが擦れる音がして

ベッドから起き上がる

瀬木さんと目が合った




「眠れましたか?」



『ん………寝た。』



時計を見れば寝たと言っても三時間ほど。

仮眠状態に近い程度で心配になる




『あいつら起きてた?』



「和木さんとは

 さっきテラスでずっと話してたので

 起きてたと思うけど高城さんは」



『和木と二人で?』



「うん?……そうだよ」



こちらに歩いてきた彼は、

座ったままの私を

後ろから抱き締めてくる



「瀬木さん!!重い……!!」



『ずるい……

 俺も立花ともっと話したいのに』



ドキン



寝起きのせいなのか

少しだけゆっくりとした

話し方と石鹸の香りに

色気さえ感じてしまう



「仕事が終わったら‥

 一緒にテラスで沢山話そうね」



『………』



「わっ!!」



クルリと椅子を回されたかと思えば

抱っこされてしまった私



『もうちょっと寝る』




抱き抱えられた腕の中で

恥ずかしさのあまり

暴れる私を無視して

簡単にベッドに降ろされてしまい

後ろからすっぽり包まれ動けなくなった




逃げないように

わざとなのか

少しだけ力を込めた腕が

お腹を引き寄せる



「瀬木さん!!」



『立花は無防備過ぎ。

 自分のこと分かってない‥』



まだやっと昨日

思いを伝えれたばかりなのに、

耳元に触れる唇に体中に力が入る



抱きしめたいとは思っても

やっぱり緊張が増して胸の鼓動が

激しくなっていく




『‥日和、好きだよ。』



ドクン



ドキドキしていた心臓が大きく揺れ、

その一言で体の熱が全身に回る



他の人に名前を呼ばれても

絶対こんな気持ちにならないのに

先輩だけはやっぱり全然違う



やっぱり何年経っても

こんな気持ちになるのは

この人だけだ‥‥



絶対離してくれそうにもないので

暫く一緒にウトウトしていたら

寝息が聞こえて来たので

隙を見てそっと抜け出した私は、

静かにデスクに戻り

途中だった文を

繋げてみることにした


うーん‥‥




なんとなくいいところまで来てて

何かいい言葉が出そうなんだけど

出てこないの繰り返し。



ちょっともう一度

白樺について調べてみようかな‥‥



静かに席を立ち本棚へ向かい、

本を色々見ていた



瀬木さんが好きな本以外にも

資料として集めてきた本たちだから

本当に図書館のようだ



あった!!



植物、木、花まで乗っている

太めの本を見付けて座り込むと

早速そこから白樺を探した



スマホ使ってもいいんだけど、

真実じゃない言葉に翻弄される

事もあるから本が一番。



調べていくとすぐに

見つかったページに

目を凝らす



「(………………えっ?)」



そこに書いてあったことに

さっきまで全く出てこなかった言葉が

頭にすっーっと浮かんで来る




〝あなたを待つ“



瀬木さんの言ってた

花言葉だ‥‥‥



花言葉の中に見付けた言葉と、

瀬木さんの書いた二人のの人物を

心の中に思い描いてみた




私が今やれるだけは考えた。

あとは瀬木さんたちに見て貰おう‥‥

これでダメでも後悔はない。



その日の午後



『先生、暫く時間を下さい。』



『日和ちゃんと出掛けて来いよ』



『ん、立花ちょっと来て』



原稿を見事に日にち内に

仕上げた瀬木さんは、

二人にさっさとそれを渡した後、

私と仕事部屋に向かった



カチャ




『見せて』



「…………うん」



ベッドに腰掛けた瀬木さんに

伏せてあった写真に

メモをクリップで止めてあったものを

持っていきそっと渡した



どうしよう……

手が震えてる‥‥




瀬木さんの綺麗な指がそれを受け取ると

心臓がドクンドクンとどんどん早くなり

静かな空間に聞こえてそうで

胸をおさえた




「(落ち着け。

 駄目でもいい、

 さっきそう決めたじゃない。)」



瀬木さんを見てると心臓に悪いから、

見えないように窓辺から

ウッドデッキに移動した



白樺の木が沢山群れをなして

高く真っ直ぐ伸びているように

私も俯かずに真っ直ぐ立ってたい





『立花』



ドクン



私に一歩、

また一歩近付いてくる足音と

心音がリンクしていく。



倒れそうだけど俯かない

俯きたくない‥‥‥‥‥‥




『‥‥良くできてる』



「えっ?」



閉じそうだった瞳を開いて振り向けば、

少しだけ目を細めた瀬木さんが笑ってる



「嘘……だ」



『嘘じゃない‥‥良くできてる。』



久しぶりに頭をくしゃりと撫でられた私は、

力が抜けてその場に座り込んでしまった



どうしよう

嬉しくて泣きそうだ……



もう採用されてもされなくても、

瀬木さんに誉められただけで

私はじゅうぶん心が満たされる




『ここで待ってて。

 渡してくるから。』



頭を優しく撫でてくれた瀬木さんが

出ていった後

落ち着かない私は本棚に向かった



きっとどうでもいいことに対してなら

こんなにも不安にはならないけど、

あんなに素敵な作品だからこそ

こんなにも不安になるのだと思う



瀬木さんも戻ってこない



ちゃんと高城さん達が読み終わるまでは

何だかんだでいつも向かい側に座って

瞳を閉じて待ってるのを知ってるから



本棚に背をつけて座ってから

足を抱えて俯くと

浮かび上がる物語の2人と

先輩と私



全然あの女性と私なんて

似てないんだけど、

離れていた5年

会いたくても会えなかった私と

少しだけ重なったんだ……




「(先輩なんかに会いたくなかった!

 顔もみたくない‥‥大嫌いです!!)」




私があの日離れるツラさから

先輩を忘れる為に放った言葉



もしあの後

私の声が彼女のように

出なくなってしまったら

今みたいに

自分の声で訂正することは

二度と出来ないから

私は幸せ物だ



それを考えると

ただ愛しい人に愛する思いを

寄せていただけなのに

伝えれないまま

声を失うなんて苦しすぎる




いけない

また泣いてしまいそうだ‥‥



側に居てくれる人がいるのに

いつのまにか大切にできなくなるのは

色々な情報に翻弄されてしまう

時代のせいなのかもしれない





暫くして

頭に触れてきた優しい手に

俯いていた顔をゆっくり起こす



『やっぱりここにいた……

 全部読み終わったよ』




「そう‥‥ですか……」



愛しい人が

私の目の前に座ると

そっと私の頬に手を触れてきた




『届きそうで届かない。

 でもいつの日か

 二つの影が重なりあう時が訪れるなら、

 辛抱強くあなたを待つでしょう』



「ツッッ!!」



『いつかまた必ず巡り会えるから‥‥』



「…………瀬木さん」



手が震えて、

瀬木さんの

肌触りのいいカットソーを握り締める



そんな私に影が落ちると

そっと重なりあった唇を受け入れた




『立花‥‥‥‥‥‥採用』



「……………ほんと……に?」



『ん、まるで今の俺達ようだ』



綺麗な指を

私の目から溢れる涙が

汚してしまう



『‥…俺もずっと会いたかった‥‥』



その言葉に

大好きな胸に飛び込んだ私を

きつく優しく抱き締めてくれた




物語の結末を私は

まだ知らないけれど、

二人がこうして

会えているといいなと願う




何度も優しく繰り返される

優しいキスが

会えなかった時間を埋めていく




その日の夜



仕事がようやく終わった瀬木さんは

今日は飲みすぎないと約束した二人と

お酒を飲みながら過ごしていた



和木さんたちは

明日の朝一で東京に戻り

そのままお仕事に直行らしい



『隼人、日和ちゃんの名前

 入れるんだろ?』



えっ?



『そうよね、私は載せたいけど……

 先生どうします?』



ニヤニヤと頬を赤らめて話す2人は

やっぱり程よく酔っていて

明日帰れるのかと心配になる



今から仲さんに

薬貰っておこうか……



『ん、任せる』



ドキン



ほろ酔いなのか眠いのか分からない

瀬木さんの瞳を見ていたら

テーブルの下で指をからめられるので焦った



私がこういうのにあまり慣れてなくて

恥ずかしくなって俯くと

小さく喉を鳴らして笑った気がする




「瀬木さん、ありがとうございます。」



顔が絶対赤いから

俯いたままでしか伝えられなかった。



『……和木、矢野って載せて。

 弓矢の矢に野原の野。』



ドクン



『何だよ?矢野って』



『いいからそう入れとけ、

 万年営業が』




瀬木さんは絶対分かってる



あの言葉を選んだ私が

矢野日和だと



どうしよう………

あのときの自分が大嫌いだったのに

今は少しだけ好きになれる



勇気を振り絞り

からめられた手を握り返せば

耳元に寄せられた唇から何か聞こえた




『隼人、矢野って何だよ!?

 おい、イチャイチャすんな!!』



『そうですよ先生、教えてくださいよ!?』



『はっ、教えるか。

 さっさと帰れ!!』




私の夏休みはこうして始まり、

人生で一番沢山を学べた

最高の時間だった




『おやすみ日和ちゃん』



明日の朝が早いから今日は早めに寝ると

二階へ行ってしまった二人に

挨拶を済ませて

後片付けをしていたら

テラスに出て行く瀬木さんが見えた




「どうかした?飲みすぎたんじゃ」



『立花、おいで。ほら』



「わぁ………」



2人で見上げた空に満月が輝き、

あの写真のように白樺の間から

美しい光を届けてくれている



大きな手が私を包んで来たので

見上げれば

瀬木さんはずっと空を眺めていた



"今日は一緒に眠ろう“



さっき言われた言葉に

顔が熱くなったけど、

暗闇と月の光がいまは隠してくれる



先輩の事がもっと知りたい

離れていた五年もこれからも



-------------------------------------------------


瀬木 遥 side



立花の選んだ言葉を見たとき、

同じような気持ちを

書くつもりだったから

正直驚いた



今回の作品は

自分達を写して書いたところが

かなり多かったのだ。



腕の中におさまる小さな彼女が

赤くなり俯く姿も愛おしい



あの頃より大人びて

はるかに綺麗になったけど、

変わらないあどけなさと純粋さが

今でも残ってる




立花……



本を書こうと思ったのは

本が好きな君が何処かで

いつか読んでくれるはず



そう思って書き始めた……



いつか必ず出会えるって

そう思ってたから



「綺麗ですね」



満月が映し出す世界を二人で見上げ、

月に伸ばした小さな手を包んだ



あの白樺の花言葉は

まるで今の自分と立花のように思える



離れていた五年分の君がもっと知りたい

これからもずっと





瀬木 side 終




東京に戻るまでの残りの数日を

二人で沢山本を読んだり、

日向ぼっこしたり

お昼寝したり

手を繋いで散歩などして過ごしていた。



夜は一緒に眠るのには

慣れなかったけど、

眠る前には必ずキスをして

それ以上のことは私がいっぱいいっぱいだから

先輩は待つと言ってくれた



今日が最後と思えると

二週間があっという間だったけど、

ここに来れて本当に良かったと

目の前の人に恋う私は

今までで一番幸せな気持ちで

眠りについた




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