第5話 課題

その日の夜


仲さんの美味しい夕食を食べ終えた私は、

安藤君にバイトが二週間ほど忙しいので

落ち着いたら連絡しますとメールした



あんな気持ちのまま

先輩以外のことを

考えれなかったのだ。



体はスゴく疲れてるはずなのに

胸がとても苦しくて

夜は全然眠れなかった



封印していたはずの思いが

外まで出てきそうで

両手で蓋をし直した。




次の日の朝



一人で朝食を食べていたら

眠そうにリビングに来た瀬木さん



……徹夜してたなってすぐ分かる。



キレイな顔にうっすらと浮かんだ

クマも酷いし、足取りも重そう



『立花‥おはよ』



「おはようございます。

 コーヒー頼んできます」



『ん、頼む』



無理してここに来なくても

寝てればいいのに…

私がここにいるとよく現れる



仲さんに熱いコーヒーを

淹れてもらった私は、

静かにカウンターで座る瀬木さんに

差し出した



「瀬木さん‥‥

 寝ないとまた倒れますよ?」



和木さんもよく熱出すって言ってたし、

作家はのめり込むと

時間の感覚がなくなるらしい



『ん‥‥大丈夫』



大丈夫そうに見えないから

言ってるのに……



焼きたてのパンにかじりつきながら、

言うことを聞かない相手に

何も出来ない自分がもどかしい



結局瀬木さんは小さなパンと

コーヒーとヨーグルトを食べて、

目覚ましにシャワーへと行ってしまった。



「(はぁ……)」



洗濯をしに行った仲さんの変わりに

洗い物を進んでやるのだけれど、

殆ど寝れていないせいか

今頃欠伸が出てしまう




『立花

 それ終わったら部屋来て』



「あ、はい………ツッ!!」



ぼーっと洗い物をしていた私は、

目の前にいきなり現れた瀬木さんを

直視出来ずに慌てて目を逸らす



「(何で上半身裸で出てくるの!)」



まだ下は履いてたから

良かったけど……

って、良くないし!!



やってる本人は

何にも考えてないと思うけど、

いちいちそういうのに

反応させられる

こっちの身にもなって欲しい




眠かったのに、

少し目が覚めたどころか、

ジョギング後並みの鼓動になり

気持ちを落ち着かせてから

部屋へと向かった



コンコン


「失礼します」



そっとドアを開けたのは、

裸だったら困るから



……良かった、服着てる




「遅くなってすみません」



『いいよ、こっちに来て』



瀬木さんのデスクの向かいに

用意された椅子に腰掛けると

目の前に一枚の用紙が置かれた



『いきなり書くのは難しいと思うから、

 今から言う事に対して

 自分が思うイメージを書いて欲しい』




イメージ?



私の隣に立つ瀬木さんの体から

石鹸のいい香りがする。



その瞬間さっきの半裸体が浮かび

頭の中から消すために

こめかみを押さえた



『立花?』



「あ、大丈夫です!お願いします」



『じゃあまずはここに

 書いてある言葉に対して

 言葉でも文でも

 絵でもいいから書いてみて?』



「はい、やってみます」



瀬木さんは向かい側の椅子に腰掛けると、

眼鏡をかけてノートパソコンを開いた



寝てないのにまだ仕事するのかな……



手渡された紙を見つめながら

一問ずつ紙に書き始めた私



どうしよう‥

案外難しい…



例えば信号機に対して思うのは三色?

それに点滅っていうイメージが沸くけど

こんな答えでいいのかな‥‥



普段こういうのを考えたことのない私は

瀬木さんが見てるのも知らずに

何とか十問を書き終えた



「出来ました」



私の声にパソコンのキーから離れた手が

差し出した用紙を受け取り

目を細目ながら見ている



瀬木さんはどうしてこんな

テストのようなことをさせるのだろう…



静かな空間の中で、

私の書いたものに何かを書き始めたから

気になってそわそわしてしまう




『立花、はい』



「あ、ありがとうございます」



卒業証書を貰うかのように

両手でそれを受け取った私は

赤ペンで沢山書かれたそれに目を凝らす



私が先程書いた

信号機に対する三色や

点滅のところに補足がある



どういう三色なのか……

どう点滅してるのか?



『難しい?』



「はい……」



『例えば信号機に対しては

 信号機があるって書けば誰でも

 分かると思う。

 大事なのは読む人が信号機を見てる視点を

 思い描くこと。』



「読み手の視点‥ですか?」



『そう。

 例えば‥‥そうだな‥‥

 音もなく規則正しく

 変化を繰り返す三色とか

 横断歩道なら二色の点滅にいっせいに

 従う人々がいるとか

 立花から見た視点だよ』



瀬木さん……スゴい‥‥


プロだから当たり前なのかも

知れないけれど



説得力だけじゃなく、

本当に頭に無機質な信号機だけでなく

風景や人までが浮かんだ



『編集の仕事につくなら、

 ただ本が好きなだけでは出来ない。

 分かるか?』



「はい、すごく解りやすいです。」



確かに当たり前の言葉を並べれば

大体は伝わるけど、

入り込むところまではいかない



いつも読んでてその世界に

入り込んでたのは

書き手がこういう工夫を

してるからなんだ



『まだ何枚かあるから

 今週はその表現力に慣れたら仕事をあげる。

 出来るか?』



難しいけれど

本の世界のことをもっと知りたい。

それに瀬木さんの世界に

自分も入ってみたい



「やってみます。」



『ん、もし分からなくなったら

 向こうの本を見たり

 調べたりするといいよ』



相当寝不足で疲れてるはずなのに

私にここまでしてくれる‥‥‥

アルバイトなのにどうして?



午前中



暫く与えられた課題に向き合っていた私は

気持ち良さそうに机に突っ伏して

眠る瀬木さんを確認できた



良かった……

ちゃんと寝てくれて。

瀬木さんにはこんな

少しの時間を大切にして欲しい



本来ならベッドで寝て欲しいから

起こすところだけれど、

やっと寝てくれたから

静かにしてよう



クーラーがなくても

開放的な窓から涼しい風が届くけど、

風邪を引かないかだけ心配な私は、

着ていたカーディガンをそっとかけた



「(眠いけど頑張ろう……

 今日の夜は頭使えば

 嫌でも寝れそうだから)」



静かにペンをはしらせていくと

与えられた問題は恋だった



……恋か



恋と聞いて思い浮かぶのなんて

一つしかないに決まってる。


私は

その人にしか恋なんてしてないから



五年経って他のことは忘れても

先輩の閉じ込めた記憶だけは

全部覚えてるから

恋ってすごいことなんだと思う



忘れられたら良かったのかな‥‥



瀬木さんは

どんな恋をしてきましたか?



頭に思い浮かぶのは

図書館で

いつも先輩の隣で

笑っていたキレイな人



今は恋人はいないって言ってたけど

別れてしまったのだろうか‥


本当にお似合いで、先輩もいつも

彼女には柔らかい表情になっていたから。



初めて先輩を知った日から、

時々図書室で放課後

顔を合わせていた私達



どちらからも

そんなに話すことはなかったし、

時々面白い本を

教えてもらう程度だった



窓際にいつも座る先輩を一目見るために、

一番遠くの向かい側に座って本を読むのが

臆病な私に出来ること




『隼人、お待たせ』



いつからか

先輩の元に来るようになった

キレイな人がいた



その人が来ると

無表情な先輩は必ず笑った



それだけで

その人のことが

好きだと分かるくらいに。



自分とは絶対叶うことのない

相手だからこそ

勝手に片思いをしていた私。


叶わなくても、

あの女性に向けられた

笑顔が見たくて

そこに通い続けてたな‥



先輩は一年のクラスでもやっぱり

すごく有名なほど格好よくて

尾田先輩の名前を他の人から

頻繁に聞くことが多かった



『これ読み終わったけど読む?』



初めて話したあの日から

少ししか経ってないのに

まさかまた先輩の方から

話しかけてくれるとは

思わなかったので驚いた。



そんな事がたまらなく嬉しくて

受け取った本を抱き締めた私を見て

優しく笑った顔



それが今でも忘れられない。



だって彼女以外の私にも

優しくそう笑ってくれたから。



あの後

時々声をかけてくれるのが

本当に嬉しかったのに、

突然決まった両親の離婚のせいで

急遽母方の実家の北海道の高校に

転校せざるを得なくなった私



もう先輩に会えなくなるんだ‥‥

都内と北海道って

簡単に行ける距離じゃない。



シングルマザーになった母は

大学に通う兄の学費や仕送りで

余裕なんてなかったから、

母の実家に私だけ連れていき

兄は一人暮らしをするために

こっちに残ることになった。



先輩に彼女がいるとか

そんなことはどうでもよくて、

大好きなあの図書館で

先輩にもう二度と会えないって

考えるだけで涙が止まらなかった



そして


この高校に居られる最後の日



私は先輩を傷付けてしまったんだ‥



『矢野‥‥‥ごめん』



そう一言言われたのが最後



あんなことになるなら

何も話さないで

転校すれば良かった



先輩は何も悪くないのに

酷く傷付けて、

自分も傷付いて、

何がしたかったのかも分からずに

帰宅した後ずっと泣いた



転校してからは

先輩のことは胸の奥にしまい込んで

二度と思い出さないように

鍵をかけたつもりだった初恋




今の私があの時の

矢野だと知ったら

もう一緒にはいられなくなる



でも、

いつまでももう隠しておけない



騙すことになっているのには

変わらないし、

何よりもう私が苦しい‥



優しくされればされるほど、

私はどんどん先輩をまた

傷付けていくようで

怖くてたまらない



旅行が終わったらちゃんと話そう‥

今度傷付くのは私だけでいいから



涙が出て来てしまった私は、

机に突っ伏して声を殺して泣いた



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ん‥‥‥柔らかい……

何だろう‥‥‥この感触



温かくて居心地がよくて

そこから動けないような

気持ちにさせられる



久しぶりにこんなにも安心して

ぐっすり寝れてるから?



ん?‥‥‥寝れてる?



重い頭を押さえて

瞳をゆっくりと開く



あれ‥‥ここ‥‥‥‥

あれ?‥なんでベッド?



課題の途中で寝てしまったのか

洗いたてのシーツのいい香りがする



ん?



視界の端に見えたのは

長くてキレイな指



私の指じゃない………

この指は‥‥‥‥



覚醒してきた頭は瞳を勢いよく開かせる



「(嘘!!)」



少しだけ起こした体は長くてキレイな指をたどり、寝息をたてて眠る瀬木さんへうつる




落ち着くつもりが

頭の中は既にパニック。



私と同様横向きで眠る瀬木さんと

いつからこうしていたんだろう‥


先輩は寝不足だったから

このまま寝かせてあげたい



とりあえずここにいてはいけないと

衝動にかられた私は

気付かれないようにシーツから

抜け出そうとした




『‥行くな』


ドクン



体を起こした私の手首を

キレイな指が掴む



「あ、あの………すいません、私

 仕事中に寝て……顔洗ってきます」



『駄目‥行かせない』



ドクン



駄目って………どうして?



心臓が今にも飛び出しそうな程動き、

握られた手首から瀬木さんに

それが伝わってしまいそうになる



「せ、瀬木さん!

 寝ぼけてるんですか?」




『矢野』


ドクン






今……………

なんて言った?





時が止まって

自分一人がそこの世界に

取り残されたような

悲しい感覚になる





まさか‥‥‥‥‥だけど

聞き間違えないとは思う



確かにはっきりと聞こえた





『矢野、逃げないで』



「…………ツッ!!」



手を振りほどいた私は

その場所から逃げるように

空いていた窓から外に飛び出した



どうして………



どうして私の名前なんかを

今更……先輩が呼ぶの?



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瀬木 遥 side



泣きながら机に突っ伏して眠る彼女を

寝かせようと抱えれば、

やりかけの与えた課題が見えて

思わず目を疑った



ベッドに寝かせてから

隣に一緒に体を横たわせ、

肘をついて涙の残る頬に指を這わせた



あんな答えを書かせるために

課題を与えた訳じゃない



なのに………



立花には悪いけど

もう押さえれそうにもない。

やっぱり彼女は

俺のことを覚えていたから。



きっと俺が名前を呼んだら

彼女は驚くだろう



五年前いきなりいなくなった彼女を

文面でお世話になった

櫂さんを訪ねた大学で

見かけた時にもう決めていた



もう離さないって‥‥



だから矢野‥

起きたら君にすることを

許して欲しい



長い髪に指をとおして小さな頭を撫でる



『(……矢野、やっとつかまえた)』



瀬木 side 終

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