第2話 温心湖の伝説

 帰りの車の中で綺羅きらは一言も口をきかなかった。朝起きた時僕がいないことも何も聞いてはこなかった。SAで立ち寄ってランチを食べた時でさえ、必要最低限の言葉だけ、まるでお通夜の帰りのように冷たい空気が僕たちの間に流れていた。


 だから僕も無言のまま、彼女を家まで送った。すごく気まずくて、有紗ありさの事を考えている自分もいて、罪悪感も少し…僕の心に芽生えていた。


 綺羅きらは頭もよくて、綺麗だ。合コンで知り合って僕は即日彼女をお持ち帰りした。そしてその勢いで付き合いはじめて3年はたとうとしている。この気持ちこそがマンネリと言う物なのだろうか?


來斗らいと、何か言いたいことはないの?」

「えっ?」


 綺羅きらの住むマンションの前で、自分の荷物を下ろすわけでもなく彼女はそう言った。

 

 こんな生活が一生続くのかと思うと、僕は綺羅きらとの未来を描くことができなかった。きっとこういうところなんだ。僕と綺羅きらが合わないのは。


 でも人は、折り合いをつけて生きていく。僕も例外ではない。


「また連絡するよ。疲れただろ? 今日はゆっくりやすんで」


 僕は何か言いたげな綺羅きらに荷物を渡し、車に戻る。いつもなら彼女の部屋にそのまま転がり込むところだけど、今日の僕は早く一人になりたかった。優しい言葉をかけながら、心の奥底で綺羅きらとの「結婚」について嫌悪感さえ持っている自分に気付く。


「ちょっと、來斗らいと

「じゃ」


 有紗ありさに言った「じゃ」とおなじ言葉。だけど僕の中で言葉の重みはまったく違うモノになっていた。


◇ ◇ ◇


 僕は部屋に戻り、コーラ片手にパソコンの電源を入れた。どうしても気になったからだ。あの湖のこと、そして有紗ありさが住んでいるという建物のことを。


「あった。『温心はーと湖の伝説』」


 それは誰かのブログだった。僕は真剣に記事を読む。記事にはこう書かれていた。


 『温心はーと湖の伝説。

 みなさんは知っているだろうか? 「温心はーと湖で出会った男女は結ばれる」という都市伝説を。

 実はこの伝説には悲しい話が続く。


 時は江戸時代中期に遡る。

 一人の少女がこの湖で青年と出逢い恋をした。この時代、女性から想いを告げることははしたないと言われていた時代。少女は気持ちを抑え、ただ青年に会えるこの温心はーと湖で過ごす時間を唯一の幸せの時間と感じていた。


 でも幸せな時間は長く続かない。


 少女は身売りされることが決まり別れの時が近づく。青年もこの時になり、少女の存在の大きさに気づくも時既に遅く、二人は別れの時を向かえた。


 必ず迎えに行くと約束をした青年の言葉を信じ、少女は遊郭で耐え忍ぶ生活を送る。好きでもない男に抱かれ、ひたすら青年の事を想う日々。青年が迎えに来ることをひたすら待ち望んで。


 でも青年が迎えに来ることはなかった。』


「なんだよ、これ」


 さらに続く話を僕は前屈みで読み続ける。


 だんだんと、この少女が有紗ありさに重なってくる。彼女は大切な人を待っていると言っていた。

 そしてこの青年は僕だと。なぜか分からないけど、この約束すら果たせない情けない男と、綺羅きらの幸せを叶えてあげられない薄情な自分が重なる。


 会いに来るなんて、軽率に言うべき言葉じゃなかったんじゃないかとさえ思わされる。


 最後はこう綴られていた。


 『少女は大人になり、失望の中無惨な死を遂げる。彼女の魂はいつからか、この温心はーと湖で青年が来るのを待っているという。


 その少女の名は有紗ありさ


有紗ありさ…」


 僕はなぜか胸が締め付けられる想いがした。まさか幽霊だったのか? そんなはずはない。僕は彼女にからかわれたのか?


 でも有紗ありさの寂しそうな笑顔が忘れられない。脳裏、いや心の奥に蓋をしておいた何かが溢れるように、有紗ありさが僕の心を支配する。


 僕はあわてて、あの白い建物調べた。別荘のような病院のような…。有紗ありさはそこでお世話になっていると言っていた。


 僕はストリートビューで調べてみる。建物は病院ではなさそうだけど、何かの研究室か何か。別荘という優雅なものでもないらしい。


有紗ありさ?」


 僕はあわてて画像を拡大する。そこに黒い服を着た男性に手を引かれている白いワンピースを着た少女が写っていた。

 顔はわからない。有紗ありさじゃないかも知れない。でも…。



 僕は温心はーと湖に戻る決心をし、宿に予約を入れる。ラッキーなことに、ロングステイプランがあった。僕は迷わず予約ボタンを押す。


 リモートワークに必要な準備をし、僕は車のキーをつかんだ。

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