君を想う時
桔梗 浬
第1話 僕の記憶
僕が彼女に出逢ったのは、ある夏の日のことだった。
その日、僕は恋人の
そこは想像以上に綺麗なところで、昨夜の雨に濡れた緑がキラキラと湖面に映り、幻想的な雰囲気を作っていた。長い年月をかけて風が山の岩を削り、出来た神秘的な場所だ。
僕は
誰も訪れない時間にゆっくりと景色を記憶に焼き付けたい。そう思って。
どこかに湧き水の口があるのだろう。湖の水はとても透き通り、底が見えるほどだ。目の前はトンネルのようになっており、気持ちよい風と太陽が作るオレンジの空が水面に溶け込むように広がっていた。
朝早い時間帯に来て、正解だった。こんなにも自然の作る景色は美しいのか!? 改めて僕は感動していた。
綺麗に澄んだ湖を眺めていると、とても心が落ち着く。
昨夜
「あのぉ〜」
いきなり背後から声をかけられ、僕は迂闊にも驚いてしまった。
「えっ?」
「あ、ごめんなさい。なんだか思い詰めた顔をしていたから」
僕はそんな顔をしていたのだろうか?
声をかけてきた人物は、白のノースリーブのワンピースを着た髪の長い女性だった。前髪をまとめてピンで止めている。おでこ全開で化粧っ気もなかったが、透き通るような肌に長いまつ毛。幼さの残る可愛らしい顔立ちをしていた。
比べるのも変な話だが、派手で綺麗な顔立ちの
「あ、僕自殺でもしそうでした?」
「う〜ん。ちょっと危ない人かな? って、そのまま湖に吸い込まれていくんじゃないかな? って思っちゃった」
そんなつもりはないから、大丈夫だよ。と僕は笑いながら彼女に言い訳をする。本当はこのまま
「そっか」
彼女は軽く腕を前に伸ばして優しく俺に微笑む。すごく、すごく柔らかくて優しい笑顔だった。
「ここで何をしてるの?」
「私? 私は、人を待ってるの」
「誰を?」
「…うーん、わからないけど、とても大切な人」
彼女は遠いところを見つめて、そう言った。
「君は〜ここの娘?」
「えぇ。あそこのお屋敷にお世話になっているのよ」
彼女は左手の方を見ながらそう教えてくれた。そこには白くて立派な建物が立っていた。別荘のような病院のような不思議な作りの建物だった。
「あなたは?」
「僕?」
他にここには誰もいないよ。と彼女は微笑みながら言い、大きく深呼吸する。その1つ1つの仕草が神秘的な風景に溶け込んでいた。僕からすれば、このまま消えてしまうのではないかと思えるくらい、彼女は儚げで美しかった。
「僕は、車で。車で昨日ここにきたんだ。この湖が綺麗だって聞いて、一眼見ておきたくてね」
「そう」
「ねぇ、知ってる? この湖の伝説」
「伝説?」
「えぇ」
彼女はゆっくり湖面に足をつけながら歩き始めるから、僕もゆっくりとその後を追う。
「ここで出逢った二人は、結ばれる運命にある」
「えっ?」
急に彼女が立ち止まるから、危うく僕は彼女を突き飛ばしそうになる。彼女が振り向くと、やわらかい黒髪が僕の顔をそっと撫でた。
すごくいい香りがしてドキッとする。どこか懐かしく温かく、それでいてどこか切ない想いが心を支配していく。
「き、君の名前、聞いてもいいかな?」
「えっ?」
「あ、イヤ。知りたいんだ」
分からない。なぜそんなことを口走っていたのか。この幻想的な雰囲気のせいだ。
「
「あ、
彼女はにっこりと微笑んだ。その笑顔にどこか見覚えがある。僕の記憶がそう叫んでいた。
彼女はいったい何者なのか。今時スマホも持っていないと言う。
そして何より、気になったことが僕にはあった。それは
僕のスマートウォッチがアラートを鳴らす。そろそろ宿に戻らないと。
「
宿に戻らなければならなかった僕は、彼女にそう告げた。もう一度会いたい。もっと
じゃ。といい僕たちはお互いに背を向けて歩き出す。僕は
そして彼女は僕の知らない場所へ戻って行った。
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