4-23 後輩ちゃんは肉食女子になりきれない?

「夕飯の用意を始めるつもりなら、最初からそう言ってください!」

「……えっと、ごめん?」


 風呂上がりの陽花はなぜか怒っていた。


 夕飯をご馳走するのが今日の目的だったはずだが……なにか誤解を招くことを言ったのかもしれない。釈然としないものの、とりあえず謝っておく。


 続いて遊星もシャワーを浴び、さっぱりしたところで準備は万端。


 エプロンを巻いた二人は事前にレシピを再確認。一通り手順と分担を確認したところで、陽花がしみじみとした様子で言った。


「こうして遊星さんとキッチンに並んでいると……不思議な気分です」

「だね、まさか一緒に料理をする日が来るなんて」

「私からお弁当の役目を奪おうと考えていた、そのお手並み。拝見させていただきますね?」

「任せろっ! 今日一日で、陽花の胃袋を掴んで見せるからなっ!」

「わー、楽しみです」


 楽しげな雰囲気の中、初めての共同作業は開始された。


 今日の献立こんだては、ちらし寿司・ローストビーフサラダ・もやしの味噌汁だ。


 コンセプトは「夏らしさ」と「気取りすぎない」だ。


 夏らしさとは暑い季節でも、あっさり食べられるようなメニューであること。そして変にカッコつけた、男の凝った料理にしないことだ。


 陽花にはいつもお弁当で、家庭的な料理をご馳走になっている。それなのに遊星が必要以上に高い食材を使ったり、オシャレ過ぎるメニューをお出しするのは違うと考えた。


 あくまで一般ご家庭で作れる物の範囲内で、けれど普段よりは豪勢で。そのバランスを考えた上でのラインナップだった。


「冷蔵庫、勝手に開けちゃっても大丈夫ですか?」

「もちろん」

「サラダの用意は……最後でいいですよね? ほとんど盛り付けるだけですし」

「そうだね。陽花には味噌汁の火加減と、食材のカットだけお願いしたい」

「わかりました」


 言いながら遊星は、ちらし寿司用の酢飯作りに奮闘している。


 せっかく作るのだからと、翌朝にも残せるくらいの分を作っている。

 ちらし寿司の具にするシイタケや煮物は、昨日のうちに仕込み終わっている。今日一番の重作業はこの酢飯作りだ。


 陽花は味噌汁を作るのと同時並行で、野菜や具材のカットを進めてくれている。


 特に細かい指示はしてないが、どの野菜がなにに使われるか理解して勝手に進めてくれている。今更ながら陽花の自頭の良さを感じられて、なんだか嬉しい気分になってくる。


「……どうされましたか?」


 笑みを浮かべていた事に気付いた陽花が、首を傾げて聞いてくる。


「ううん。手分け作業も安心して任せられるなあって」

「遊星さんこそ、すごく手際がいいのでびっくりしました」

伊達だてに千斗星のエサ係をやってませんから」

「偏食で困ったりはしてませんか?」

「千斗星ザウルスは雑食だから大丈夫」

「なら安心ですね」


 雑談を挟みつつ、順調に料理を完成させていく。そして一通りメニューが完成したところで、遊星は冷蔵庫から隠し玉を取り出した。


「あれっ、遊星さん。そのお肉は?」

「いまから僕が焼く、陽花には配膳をお願いしてもいいかな」

「それは構いませんが……」


 遊星が取り出したのは、厚めのステーキ肉。

 それをフライパンに載せ、じゅうじゅうと焼いていく。


 先に配膳をしている陽花はテキパキと作業を進めつつも、ステーキが気になって仕方ないご様子だ。


 陽花に告げていなかった隠しメニュー、ステーキ。中まで火が通ったのを確認した後、大きめの皿に移して食事の用意は整った。


「……とてもいいお肉ですね?」

「でしょ? 前に陽花のお母さんに焼いてもらったのと同じものだから」

「えっ?」

「以前ご馳走になった時の、お返しでございます」


 あの日からしばらくした後、遊星はご馳走になったお肉のことを、陽花のお母さんに教えてもらっていた。そして千斗星と一度、注文して食べたのだが……それはそれは美味しかった。


 だが頻繁に注文するには高い。だが今日みたいな特別な日であればいいだろうと思い、取り寄せておいたのだ。


「えっ、でも、このお肉ってそんな手頃なお値段じゃありませんよね?」

「ご両親にいただいてしまった治療費から切り崩させていただきました」

「あ、あれは遊星さんのためのお金であって……」

「ほら、早く食べよう! うちには鉄板プレートもないから、ステーキの熱も逃げちゃうよ!」


 要らぬ心配を始めた陽花の気を逸らそうと、遊星はいただきますを急かす。すると陽花も仕方ないなあ、という表情で手をあわせてくれた。


「「いただきますっ!」」


 そうして二人は一緒に作ったご馳走を食べ始めることにした。


「おっ。ちゃんとタマネギのシャキシャキ感も残してくれてるっ!」

「酢飯も一粒一粒がもちもちで最高です、酸味もやさしくて夏のちらし寿司もいいですね」

「……なるほど、陽花の味噌汁は少し濃いめなんだね?」

「汗をかいた後の塩分補給は大事ですから。ところでステーキに使った塩コショウはどこの……」


 軽い食レポを交えながらも、二人の箸は止まらない。


 穏やかで優しい時間だった。陽花とはもう何年もここで食事を共にしてるような、どこか不思議な安心感。


 一緒に料理をするのも初めてとは思えないほどスムーズだった。もし陽花と一緒に暮らすことがあったら、きっとこんな毎日が……なんて想像してしまう。


 そこまで考えて遊星は、妄想を走らせ過ぎたと我に返る。すると正面に座っていた陽花が、そういえばと不思議そうな顔で聞いてきた。


「今日お出していただいたステーキなんですが。ギリギリまで秘密にされた理由って、なにかあったんですか?」

「理由ってほどでもないけど。陽花、ステーキ好きでしょ?」

「えっ? もちろん好きではありますが……」

「だよねっ。だから喜ぶかなーって思って」

「でも、どうしてステーキ?」

「だって陽花、肉料理が好きだよね?」

「……ど、どうして、そう思われたんですかっ?」

「お弁当メニューの若干のかたよりと、陽花が最初に手をつけるのはいつもお肉だから。――どうかな?」


 遊星が挑戦的な視線を向けると、陽花は恥ずかしそうにコクンとうなずいた。


「……はあ。遊星さんには敵いませんね」

「フフフ、陽花のことは誰よりもしっかり見てるからね?」

「よりにもよって、そんなことに気付かなくても……」

「彼氏として陽花の好物くらいは把握しておかないと」

「でもお肉が好きな女の子なんて……はしたないと思いませんか?」

「そんなこと思うわけないじゃん!」


 食べ物の好き嫌いで良いも悪いもない。でも陽花は意外にも、そんな些細なことを気にしているようだった。


「だってなんかイヤじゃないですか。俗に言う、肉食女子みたいで……」

「……陽花は肉食女子でしょ?」

「え゛っ!?」


 遊星が平然と指摘すると、陽花の口から品に欠けた声が漏れる。


「初対面で告白されたし、部屋に行った時は押し倒されたし、こないだのネットカフェでも……」

「わーっ! わーっ!」


 陽花が両手を前に突き出して、パタパタと暴れている。想像以上に慌てる陽花の姿が面白く、遊星も笑いをこらえきれなくなる。すると陽花は顔を真っ赤にしてプンスコと怒り始めた。


「ゆ、遊星さんっ!? 私のこと揶揄からかいましたねっ!?」

「ごめんごめん、そんなに慌てると思わなかったから……」


 言いながらも遊星の笑いは止まらない。その態度がより陽花を逆上させたのか、席を立ちあがって遊星の方に歩み寄ってきた。


「え? ひ、陽花!?」

「そうやって人をバカにする草食男子は――こちょこちょの刑です!」


 わきわきと動かした陽花の両手が、遊星の脇腹に襲い掛かる。


「やっ、ちょ……やめてっ! くすぐったいから!」

「やめませんっ、反省してください!」

「はんせ、反省するからっ! ほら、まだ食事も終わってな……っ!?」

「問答無用です!」


 腹筋も脂肪もない遊星の脇腹に、ちょこまかとした指が這いまわる。

 ゾリゾリと執拗なまでに骨や神経をなぞられて、遊星の口から弾けるような笑い声が飛び出す。


「反省しましたかっ!?」

「したした! 肉食女子の陽花には、逆らえませんっ!」

「まだ言いますかっ!」

「あはははは!!!」


 ただのじゃれ合いと化した、こちょこちょ攻防戦。

 いつしか攻防は激化の一途を辿り、気付けば正面を向いた陽花がひざの上にまたがっていた。


「ふふふっ、されるがままの遊星さん。かわいいですねぇっ……!」


 脇腹を責める陽花は、嗜虐的な笑みを見せていた。そこにいるのは紛うことなきSの本性を現した肉食女子。肉食と呼ばれることを嫌って攻撃し、そこに愉悦を見出しているのでは本末転倒だ。


 陽花は目覚めつつある本性に従い、飽くことなく遊星を攻め続けている。だが黙って受けに甘んじているほど、遊星も草食ではいられない。


 遊星は密かに忍ばせていた両手を――陽花の脇腹めがけて強襲した。


「ひゃんっ!?」


 陽花が子犬のような叫び声をあげる。突然の刺激に陽花は攻撃を続けられず、体をぶるりと震わせる。


「ゆ、遊星さんっ!?」

「……お返し、するから」

「えっ? ~~~っ!?!?」


 わきわきと、陽花の脇に指を這わせる。陽花にやられたように、ゾリゾリと骨や神経を刺激するよう指を這いずり回らせる。


 ……子供同士ならまだしも、年頃の女の子の体に触れるなんて。そんな考えが脳裏を掠めるが、まさぐる指は止められない。


 この家には遊星と陽花の二人しかおらず、誰にどんなルールを押し付けられることもない。ここで起こることの良し悪しは二人が決めることであり、どちらかが許せばそれは許されることになる。


 陽花にはたくさんのイタズラをされた。やめてと言ってもやめてくれなかった。だから遊星だってお返ししてもいい、された分だけお返ししてもいい。


 そんな大義名分がある。だから多少の拒否くらいなら強行してやる、そんな気持ちで陽花の脇に指を這わせ続けた。


「……っ」


 だが陽花が笑い転げることはなかった。代わりに遊星の背中に腕を回し、ふるふると体を震わせてなにかに耐えている。


(なんか、おかしいな……?)


 予定では陽花が笑いながら許しを請い、遊星が「もうこんなことしないでよ~?」と言って終わらせるはずだった。だが陽花は先ほどから「あっ」とか「うっ」と声を漏らし、体をぴくぴく震わせて必死に攻めを耐え続けている。


 無論、遊星は力いっぱい刺激を加えているわけではない。大事な陽花の体だ。できる限り優しく――壊れ物を扱うように――ゆっくりと撫ぜ廻している。


 陽花は熱っぽく声を漏らすだけで、クスリとも笑わない。


 もしかしたら陽花はくすぐりに極度の耐性があるのかもしれない、だとしたら遊星がいくら攻めてもなんの効果もない。だがやられっぱなしは性に合わない、そんな半端な気持ちで陽花の体をまさぐり続ける。


 すると抱きついていた陽花がゆっくりと体を離し、遊星を真っ直ぐに見つめてきた。


「ゆ、遊星さぁん……」

「陽花?」

「じれったい、ですよぉ……」


 陽花は瞳にうっすらと涙を浮かべ、恍惚こうこつとした表情で目を細めていた。


「どうしたの?」

「あまりイジワル、しないでください……」


 弱々しく切ない声を出す陽花。先ほどまでの強気な態度はどこへやら。急に色っぽくなった陽花にアテられて顔が熱くなっていく。


 陽花の熱っぽい視線をいまも真っ直ぐ遊星に向けられている。だから遊星はとりあえず、唇を押し当ててみた。


 やはり、というか。触れ合った後の陽花は積極的で、遊星の背に手を回して必死になってくっついてきた。


 むさぼるように引っ付く陽花に、遊星は受けにまわらざるを得なくなる。


 ――遊星は陽花のことが好きだ。


 だがきっと陽花の向けてくれる好き、には勝てないんじゃないか。そう思ってしまうほど必死に求めてくれた。


 そして酸欠になる前に、互いの唇が離れる。


 唇を濡らした陽花の背後には、まだ食べかけの料理が残っている。


 だが途中まで翻弄されるだけだった遊星も、既に食欲を優先させる気は起きなかった。


「……部屋、行こうか」


 陽花は遊星の胸に顔を埋めながら、わずかに首を縦に動かした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る