4-13 鬼弦桐子はようやく気持ちを整理する

「お疲れ」

「……ああ? 天ノ川か」


 海岸堤防にぐったりと腰かける岩崎。遊星はその肩にラムネ瓶をぶつけると、すっと目の前に差し出した。


 赤くなり始めた陽の光を浴びて、汗をかいたラムネ瓶がオレンジに光る。


「……くれんのか?」

「ああ、宇佐美先輩――の、配下の誰かさんから」

「こえぇ」


 とは言いつつ、岩崎は微笑を浮かべて受け取った。


「じゃ、お疲れ様」

「おう」


 二人はラムネ瓶を軽く触れ合わせ乾杯する。


「岩崎も海には入ったのか?」

「いんや、俺は疲れたからいいよ。麟央いお先輩には誘われたけど……」

「……ああ。まあ無理するな」


 岩崎はずっと宇佐美の世話(?)をさせられている。可愛がられてるといえば聞こえはいいが、もはや振り回されていると言ったほうが正しい。


 当の宇佐美は遊星と交代し、オレンジに染まった海で美ノ梨や陽花と戯れている。


 先に遊んでいた二人は海遊びがよっぽど楽しいのか、かれこれ三時間近くずっと遊び続けている。帰りの車内ではおそらく爆睡だろう。


「……で、岩崎は先輩と今も会ってるの?」

「一応、な。でも特にいままでとなんも変わらねえよ。たまーに呼び出されて、それに乗ったり乗らなかったり……」

「相変わらず気に入られてるなぁ」

「ったく、なんで俺がこんな目に……」


 岩崎がトホホとでも言うように、涙目で肩を落とす。


 宇佐美と岩崎ははたから見ても不思議な関係だ。


 遊星は一年の時から見習いとして生徒会に関わっている。だから宇佐美とは生徒会を通して直接の面識があるが……岩崎は違う。


 岩崎は生徒会選挙で秋に入ってきた一年の役員だ。


 つまりそれと同時に宇佐美は会長を引退し、桐子が会長になっている。宇佐美と直接の接点はない。


 たまに宇佐美が生徒会に遊びに来ることはあっても、岩崎とは軽くあいさつを交わす程度だった。


 だが冬休みが空けた頃から、宇佐美は岩崎に執拗に絡むようになった。


 いつしか下の名前で呼ぶようになり、学校でも宇佐美に引き摺られる姿を何度も目撃した。


 それを見た周囲は「なにか大きな弱みを握られた」「これが宇佐美に補足された者の末路」と岩崎に同情な目を向けていた。


 だが一部の人は、二人に違う見方をしている。


「岩崎が本気でイヤがってないから面白がってるんでしょ」

「イヤに決まってるだろぉ……? 相手は魔王だぞ?」

「いいじゃん、魔王のお気に入りなんて。宇佐美先輩が側にいれば、怖い物なんてなにもない」

「その当人が一番怖いんですが」

「本気でイヤって態度をしたら、宇佐美先輩だってさすがに離れてくでしょ。それに気に入られたのだって、本当は自分から……」

「頼むからそれ以上は聞かないでくれ――」


 岩崎が瞳のハイライトを消失させ、口から魂を吐いていた。


 いつものように決定的な理由だけは吐かない。そんな岩崎に苦笑していると、後ろからジャリッと砂のすれる音がする。


「あら、二人とも。もう遊ばなくていいの?」


 振り向くと麦わら帽子の桐子が、やわらかな笑みを浮かべて立っていた。


「お疲れ様です。会長こそ海はもういいんですか?」

「なにが海はもうはいいのか、よ……あなたが巻き込んだんでしょう? 人のことこんなに濡らしておいてっ」

「会長の『本当は遊びたい!』って心の声が聞こえたんです」

「思ってない、捏造しないで」

「でも楽しそうでした」

「それは否定しないけど……」


 桐子が不本意、とでも言いたげな顔で視線を逸らす。


「……やっぱり、俺もちょっと海行ってくるわ」


 ゆっくりと腰を上げた岩崎に向けて、遊星が釘を差す。


「陽花にちょっかい出すなよー?」

「出さねーよ。そんなことしたら全校生徒を敵に回すだろうが」


 岩崎が少し疲れた顔をしつつ、砂浜に向かって歩いていく。


 その後ろ姿を眺めながら風の音と潮騒に耳を傾けていると、桐子がゆっくりと遊星のとなりに腰かけてきた。


「……海に来るなんて、いつ以来かしら」

「僕も久しぶりですよ。多分、小学生とか」

「私もその辺だと思う。でもこんな無計画なのは初めて」

「宇佐美先輩は相変わらず無茶苦茶だ」

「そうね。でも……来れてよかったわ」


 桐子と他愛もない話をしながら、遠くの海を二人眺める。


(……会長と二人きりで話すなんて、いつぶりのことだろう)


 記憶を掘り返して思い出せるのは――春休みの生徒会室。


 あの日の遊星はまだ記録更新中の『ミスター失恋』で、桐子は黒曜石の髪をなびかせる『鬼の生徒会長』だった。


 だが、いまの二人にはその象徴としていたすべてが無くなっていた。


 桐子と遊星にはもう繋がりと呼べるほどの関係はない。夏休みのボランティアにも参加しなければ、卒業までに何度話すことがあっただろう。


 だが数奇な縁の積み重ねで、二人は腰を落ち着けてとなり合っている。


「実はね。私がこうして頭を丸めたのって、あなたの真似なのよ?」


 突然口を開いた桐子の言葉に……遊星は首を傾げる。


「……あの、会長。僕は丸刈りにしたことなんて、ありませんけど?」

「ああ、ごめんなさい。そういうことじゃなくて……プライドに固執せず、笑われても構わないって気持ちっていうのかな。そういうの」

「ミスター失恋、の話ですか?」

「そうそう。周りに笑われて冷やかされつつも、あなたは少しずつ人に好かれていったでしょう?」

「自分でも言うのもなんですが……それで交友関係が広がったのはあると思ってます」

「だから私も考えたの。どうしたら少しでも昔の私と、決別できるかなって……それで考えたのが、これ」


 桐子は麦わら帽子を外して、自分の頭をペタペタと触る。


 いまではベリーショートと呼べるほどの髪型にはなっているが、当時は綺麗なまでのツルツル頭だった。


「私みたいな女が突然坊主になって、媚びるような笑顔を全校生徒に向けたら……ちょっとはバカにしてもらえるかなって思って」

「効果はどうでした?」

「まあまあ、かしらね。これで全部許されるとは思ってないけど……文句を言うより先に、笑ってしまう人もいたわ」

「効果は十分ですね」

「ええ。でもこれだけで終わらせては駄目。生徒会長を続けさせてもらえるのだって、奇跡みたいなもの。残り期間は短いけど、選んでもらった責任は、果たすつもりよ」

「……やっぱりカッコいいなぁ、会長は」

「全然よ。これは天ノ川くんの真似をしただけだもの」


 桐子は微笑を浮かべて、空を仰ぎながら言う。


「……私って中身がないのよね。生徒会長に立候補したのも、あなたに『桐子さんならなれる!』って言われて増長しただけだし」

「後悔してます?」

「後悔はしてないけど、自分一人では絶対に立候補しなかったと思う。なれるとは夢にも思ってなかったから、本当にうれしかった」

「覚えてますよ。生徒会長に選ばれた時の、キラキラと目を輝かせた会長のこと」

「やめてよ、恥ずかしい。でも生徒会長がなんなのかわからないし、どう振る舞えばいいかもわからなくて……宇佐美先輩の真似をした」


 それを聞いて遊星は「やっぱり」と思った。おそらく近くで見ていた、氷室先生や美ノ梨も気づいていただろう。


「でも私は宇佐美先輩にはなれない。頭の回転だって良くないし、カリスマも人望もない。でもそう振る舞うのが会長としての正解だと思ってた」


 桐子の独白に、遊星は返す言葉を持たない。


 だが返事はきっと必要としていない、桐子自身が言葉にすることに意味がある。


「そうして形だけに捕らわれて、言葉と態度だけの女が出来上がったわ。挙句の果てには唯一の味方だった、天ノ川くんまで傷つけて……」

「……会長」

「こうして変われる機会がもらえたのは良かったと思ってる。だけどもし立候補を決める前に戻れるなら……私は普通の役員でいることを選ぶかもしれない」


 そういう意味では、遊星にも責任がある。


 桐子が生徒会長になりたいと願う気持ちを汲み、それを盛り立てたのは遊星だ。


 だがあの時は未来がどう転ぶかなんて、誰にもわからなかった。


 結果だけを見て立候補が間違いだったとは思いたくないし、相応しくない人がチャレンジできない世界にもなって欲しくない。


 だから桐子に起きたことは、不幸な事故だと思っている。それ以上でも、それ以下でもない。


「みんな誰かの影響を受けて生きてます。だから誰かの真似をすることが、悪いなんて思いませんよ」

「そうね。でも中身のない私が今更がんばったところで、本当に変わることなんて出来るかしら」

「出来ますよ、僕だって一年前はなんの取り得もない男だったんです。でも会長に出会って、色々なことに挑戦して変わることができました。それは会長が一番側で見てくれていたんじゃないですか?」

「……そうね。本当に、その通りだわ」


 桐子は一瞬ハッとした表情を見せた後、言葉を詰まらせるように言った。そして遊星も肯定してくれたことに安堵する。


「よかったぁ……もしここで『あなた、一年前と変わったところある?』なんて言われてたら、僕は海に飛び込んで帰らぬ人となるところでした」

「よしてよ。私の目だってそこまで節穴じゃないわ」

「じゃあ後は自分を信じましょう。少なくとも僕は一年前からずっと会長のことを信じてますよ」


 遊星は真っ直ぐに桐子の目を見て言った。すると桐子も薄っすらと目を細めて、小さくうなずいてくれた。


「……うん。あなたの期待に応えられる、鬼弦桐子でいられるようにがんばるわ」

「期待してます」


 二人が穏やかな気持ちで見つめ合っていると――背後から大きなため息が聞こえてきた。


「あ~あ~あ~! 二人が浮気としてると思って張りこんでたのに、マジメなばっかりしちゃってつまんなーい」


 遊星と桐子が振り返ると……美ノ梨と陽花がいた。


 堤防の坂にうつ伏せになり、匍匐ほふく前進ぜんしんをするような格好で。


「だから言ったじゃないですか。遊星さんはそんなことをする人じゃない、って」

「ひーちゃん、都合よくなーい? 桐子と二人きりなのを見て、先にソワソワし出したのはひーちゃんでしょー?」

「ち、違いますっ! ただ私はどんなお話をしてるんだろうなぁ、と思っただけで……」

「でも盗み聞きに行こー! って美ノ梨の提案に、ノリノリなひーちゃんであった」

「……ノリノリではありません、シブシブです」


 陽花もなんだかんだ言いつつ、美ノ梨にしっかりと乗せられたようだった。


「……って言うか、二人とも知らない間にすごい仲良くなってない?」

「あははー、美ノ梨と仲良くなれない人なんていないのだー」

「ま、まあ、こんなにも長い時間遊んでいればそれなりに……」

「美ノ梨とひーちゃんはウミトモだもんねー? あ、好きピが同じって共通点もあったねー?」

「なに言ってるんですか、そんな共通点ではわかり合えません。同担どうたん拒否きょひに決まっています」


 陽花がジト目でしれっと言ってのける。


 それは令嬢モードの陽花が放つ言葉ではない。いつの間にか美ノ梨は素の陽花が見れるほどの仲になったようだ。


 交友関係が広がるのを喜ぶ一方、素の陽花を独り占めできなくなって少しだけジェラシー。


「オウ、お前ら! 花火すっぞ!」


 威勢のいい声と共に、大量の花火を手にした宇佐美が現れた。そして追随する形で現れた岩崎の姿を見て……ぎょっとする。


 岩崎は鉢巻を巻いていた。だが鉢巻とおでこの間には棒花火がぎっしりと敷き詰められ、さながらインディアンの羽帽子のようになっていた。


「コロ、シテ……コロ、シテ……」


 岩崎は片言でそんなことを言いながら、プルプルと小刻みに震えていた。(※危険なので良いコ悪いコに関わらず、絶対に真似しないでネ!)


「さあ、まだ夏はこれからだ。ケイキ良く行こうぜ!」




 ――そうして花火を楽しんだ後、遊星たちは車に乗ってようやく地元へ帰り始めた。


 といっても運転手である宇佐美以外は爆睡。それでも文句も言わず運転してくれた辺りはさすがに先輩だった。


 楽しかった。


 それだけでなく、有意義とも思える時間だった。


 以前、生徒会の集まりに参加した時に感じた、疎外感もほとんどなかった。


 みんないい人で、生徒会を去った後でも仲良くしてくれる。


 ほのかに残っていた罪悪感は溶けて行き、目に見えない自信と安心感を得られた遊星だった。



―――――


 夏休みパートも半分といったところでしょうか、まだまだアチチな夏は続くようです!

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