4-5 後輩ちゃんは、来たる夏休みが楽しみで仕方ない

 くして天ノ川会は、厳粛げんしゅくとは無縁の空気の中で開始された。


 令嬢モードに入った陽花は礼儀と愛嬌を身に纏い、両親の質問に快く答えてどんどん印象を良くしていった。


 そして話題は、遊星と陽花の学校生活に。


 が、これが良くなかった。


 なぜなら遊星は両親の前であるにもかかわらず、盛大にノロけ始めてしまったのだ。


「だから僕は気付いたんだよ! 最近の寝起きがいいのも、自転車のペダルが軽くなったのも、スマホの充電持ちが良くなったのも! 全部っ、陽花と付き合い始めたことが原因だって!」


 両親が聞き流し始めたことにも気付かず、遊星はノロけまくり――


「も、もう、遊星さんったら。ご両親の前で恥ずかしいですっ///」


 恋人が自慢げに褒めてくれることに、陽花はひたすら気分を良くし――


「バカなの?」


 千斗星は食欲を喪失した。



 両親は二人の関係が順調であることを知って嬉しい反面。自分の息子は去年と変わらず、恥ずかしい人間のままであることを突きつけられ、非常に複雑な気持ちだった。


「入試は首席、試験も一位、作る弁当は超絶品。人間国宝って陽花のためにある言葉だよね」

「そ、そんなことありませんよぉ。でも、ありがとうございます。神である遊星さんにそこまで祝福をいただけるなんて」


((神? 祝福?))


 日常的には使わない単語の登場に、両親の笑顔がピキと引きつる。


「祝福なんて当たり前じゃん。だって陽花を一目見た時に思ったんだから、なんて天使のように可愛いんだろうって!」

「私がそんな風に変われたのも、神がお導きくださったからです。遊星さんに出会った瞬間が、私にとっての天啓だったんですから///」


((……この二人、意外と似た者同士かもしれない))


 これをお似合いカップルと呼ぶべきか判断に迷うが、本人たちが幸せならそれでいいだろう。と、半ばあきらめにも近い思いで、天ノ川夫妻は二人を見つめていた。


「でもお義母様のお料理、本当に美味しいです」


 陽花の崇拝ノロけも一通り済んだのか、話題は今日のご馳走に移っていた。真っ直ぐな瞳が天ノ川母に向けられ、少しばかり失礼なことを考えていたことを反省しながら答える。


「あ、あら嬉しいわ~~~! でも陽花さんもお上手なんでしょう? 遊星がこんなに褒めてるんですもの」

「いえっ、私はまだ覚えたばかりの素人ですので。これほどの豊富なレパートリーをお持ちであること、尊敬いたします」

「私も大したことないわよぉ、いまでは遊星の方がたくさん作れるくらいなんだから」

「……そう、なんですか?」


 陽花が不思議そうな顔をする。


「ええ、ここ数年は仕事ばかりでちっとも料理するヒマがなかったの。それで家のことを遊星に任せてたら……なんか凝っちゃったみたいで」

「どうせ作るなら色々試そうと思っただけだよ」


 母からの振りに、遊星が年相応のぶきっちょさで答える。親を相手にする時は遊星もこんな態度をとるのかと、陽花はこっそりと親近感を覚える。


 だが同時に、陽花はあることに気付く。気付かなかったことが不思議なくらいの盲点に。


「そういえば私、遊星さんのお料理を食べたことがありません……」


 陽花がポロっと漏らした一言に。天ノ川家全員がハッ、とした表情をする。


 そして大黒柱である父が、眉をひそめて言う。


「……おい、遊星。ダメじゃないか。陽花さんには弁当を作らせておいて、自分はなにも返さないなんて」

「あっ、違うんですっ! それは私が作らせて欲しいと、お願いしたからでっ!」

「でもねえ。それでもたまには遊星からお返しすることがあってもいいんじゃない?」

「それは……僕も考えてるけど」


 両親に指摘されずとも、それくらいのことは考えている。


 これまで陽花の弁当をもらい続けたのは、遊星のために覚えたという料理を、しっかりと受け止めたかったから。


 だが、二人はもう恋人だ。陽花が遊星に気に入られようと、努力しすぎる必要もない。でも「作らなくてもいい」とか「僕も自分で作れるから」というのも言い出しづらい。


 遊星にその気がなくても「陽花の弁当を毎日でも食べたい」という姿勢に反してしまう。その気がなくても「私の弁当はそこまで求めてもらえる物じゃない」と不安にさせてしまうかもしれない。


 だからいまの関係を、すぐに変えようとは考えていなかった。


「もちろん二人のことだから強くは言わないわ。でも遊星の料理にも興味を持ってくれてるんでしょう?」


 母の問いかけに、陽花が言葉につまらせる。令嬢モード中の陽花が見せた、初めての動揺。


 遊星の手料理に興味を示す一方、弁当を作る役割をゆずり渡すことに抵抗があるのだろう。


 じゃあ一日だけでも――とは思うが、それをするなら交互に作ることにして陽花の負担を減らしたい。


 だが、それは陽花の望むところではないかもしれない。遊星もこの場はどう答えるのが正解か考えあぐねていると、思わぬところから助け船が出た。


「お兄の料理が食べたいなら、弁当にこだわらなくて良くない? お兄が夕飯を作って、それを陽花が食べに来ればいーじゃん?」

「ちぃ! それですっっ!」


 それは名案と陽花が叫び、思わずその場で立ち上がった。


 が。陽花の突飛な行動に、全員が驚いた顔で注目する。


「す、すいませんっ……その、大きな声出してしまって……」


 陽花の顔が羞恥で赤く染まっていく。ずっと令嬢モードだった陽花が見せた可愛らしい姿に、両親が肩の力を抜いて微笑んだ。


 完璧すぎるより、弱みを見せてくれた方が嬉しい。仮面のはがれた年相応な姿に、天ノ川夫妻も本当の意味での親近感を憶えた。


「千斗星の言うとおりねぇ。それなら今度お夕飯にでも迎えてあげなさい」

「そうだね、陽花もそれでいいかな?」

「……はい。ぜひお願いいたします」


 陽花が控えめにコクンとうなずく。まるで小さい子供がするような姿に、食卓はやわらかな空気に包まれる。


「もう、なんて可愛いコなのかしら! 遊星、しっかりと陽花さんの心を射止めておきなさいね?」

「……言われなくてもわかってるよ」


 自分から散々ノロけた後ではあるが、親から言われるとつい憎まれ口が出てしまう。


 思わずついて出たヒネた言葉に、陽花がガッカリしてなってないかと不安になる。だが陽花はこちらを見て、面白そうにクスクス笑っていた。


 どうやら子供としての顔を見せたことが面白かったらしい。情けない姿を見せてしまった自分が少し恥ずかしい。


 きっと遊星が村咲邸にお邪魔した時も、同じような気持ちだったのだろう。あのパワフルな両親とでは、恥の度合いは比べるまでもないが。


「陽花さんも。大した息子ではないけれど、仲良くしてやってね」

「はいっ!」



***



 そして食事を終えて軽く話をした後。遊星は陽花を送るため、駅までの道を一緒に歩いていた。


 もちろん手をつなぎながら。


「とても素敵なご両親でした」

「そう言ってくれてよかった。……千斗星はもうちょっと静かだとよかったけど」

「ふふ、そうですね。でもちぃのおかげで、また楽しみが増えてしまいました」

「そうだね、でも陽花に作る料理かぁ。料理上手の陽花にお出しするメニューだし、早めに考えておかないとなぁ」

「きっと。私はなんでも美味しいって言ってしまいそうです」

「ダメダメ、ちゃんと判定してもらわないと。愛情が籠ってるなんて言い訳みたいなこと言わせたくないしっ」

「……愛情を込めていただけることは、前提なんですね?」

「――っ、当たり前だよっ!」


 つい恥ずかしい言葉を口にした遊星を、陽花がすかさずイジってくる。するとからかいに成功したと見た陽花が、機嫌よく腕にぎゅうと抱き着いてくる。


「ふふ、遊星さぁん」

「今日は随分と甘えたがり?」

「はい。さすがに御両親の前でベタベタするわけにもいきませんので」

「そうだね。今日の陽花は理性的でよかった」

「そ、その言い方ですと、いつもの私に理性がないみたいじゃないですか!」

「もっと理性のない陽花も見てみたいなぁ」

「うぅ、それは頃合いを見計らってということで……」


 なんと。頃合いを見計らえば見せてくれるらしい。


 理性をなくした陽花。あまりにも甘美な響きに、脳内がピンクに染まってしまいそうだ。


「じゃあ料理を作るのはいつ頃にしよう?」

「そうですね……さすがにもうすぐ期末試験なので、夏休みに入ってからでしょうか?」

「だね。あ、でも夏休み中は体験入学の手伝いがあるから、日程はまた追って連絡するね」

「……体験入学の手伝い、ですか?」

「うん、ボランティアなんだけどね。生徒会の手伝いみたいなものかな」


 遊星がそう言うと、陽花は少し考えるような素振りをしてからこう聞き返した。


「ちなみに、それって私も参加することはできますか?」

「え? もちろん全然問題はないけど……陽花の距離だと大変じゃない?」

「でも夏休みも遊星さんにお会い出来ます」


 陽花が嬉しそうな顔で聞き返してくる。


(そうだな、陽花の言う通りだ)


 これから迎える夏休み。いくら彼氏彼女になったからといって、毎日一緒の時間を過ごせるわけじゃない。


 むしろ学校に行く理由がなくなる以上、会う回数はどうしたって減るに決まっている。であれば数日のボランティアとはいえ、会う口実が出来るのはいいことだ。


「……もし陽花さえよければ、来てくれると嬉しいかも」

「ふふ、では決まりですね」

「とはいえ、陽花には来てもらってばかりで申し訳ないなぁ」

「いいんですよ。これまでのデートは全部遊星さんのお誘いだったんですから」


 言われてみればそうだったかもしれない。キチンとそういうことを覚えているのが律儀で、陽花らしい。


「でも気をつけてね? 真夏の学校はとても暑いんだ、ちゃんと睡眠をとって無理そうな時は……」


 去年、熱中症になりかけた人もいたので遊星の諸注意が止まらない。陽花はそんな必死な様子の遊星を、どこか楽し気に見つめているのであった。

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