3-25 終わりと始まり

「遊星さんは本当に、いつも私に優しくしてくれます」


 雨の降りしきる、静寂な境内けいだい。遊星にもたれかかった陽花が、おもむろにそんなことを口にした。


「思えば始業式の日からそうでした。突然告白なんかした私を友達にして、その日の夜にはメッセージまで送ってくれました」

「そんなこともあったね」

「もし遊星さんが歩み寄ってくれなければ、私はまだ連絡先も聞けてなかったかもしれません」

「それは言い過ぎでしょ」

「本気ですよ。……私は臆病ですから」

「臆病なコは初対面で告白なんかできないよ」


 肩にもたれかかる陽花の頭に、遊星は頬を寄せる。


「それに陽花が告白してくれなかったら。僕は陽花の名前すら知ることなく、天球高を卒業してたかもしれない」


 自分で口にしておきながら、それはとても恐ろしい未来だと思った。


 始業式の日に陽花と再会できていなければ、遊星はいまでも過去失恋を引き摺り続けていたかもしれない。


 生徒会に戻ることもできず、自分に自信を持つこともできず。ひっそりと隠れるような高校生活を送っていたかもしれない。


「陽花が踏み出してくれたおかげで、僕はこうして楽しい毎日を過ごせてる」

「……私はただ自分の下心に従って、遊星さんを追いかけてきただけです」

「それがとても嬉しいんだ。僕のことを好きになってくれて、本当にありがとう」


 頭を預けてくれる陽花の手に、自分の手を重ねる。


「それなのに、ごめんね。今日までそんな陽花の優しさに甘えて、ずっと中途半端な関係を続けてきて……」


 陽花は自分を好きでいてくれている。再会してから二ヶ月と少し、言葉と態度でその想いをしっかりと遊星に伝えてくれた。


 もちろん、遊星もそれに応えてきたつもりだ。陽花もそれを感じ取ってくれていて、二人の関係は着実にステップアップしている。――そう信じてしまったことが最大の過ちだった。


 遊星はまだ返事をしていない。


 気持ちが通じ合っているなんて思っていても、互いが本心からそう思えなければなんの意味もない。


 どこかで陽花を安心させられていると思っていた。だがそれは遊星の側から見た思い込みでしかない。


(それは僕自身が、一番わかってたはずだったのにな……)


 いつだって惚れた側の方が、立場は弱い。かつて自分も経験してきたことだったはずなのに。


 言葉にせずとも解り合える。いつしかそんな幻想に酔っていたのかもしれない。


 陽花の立場になって考えれば、自分はキープされてるだけ。……そう思われたって、仕方ない。


 それなのに返事が先送りになっても、二人の関係は揺るがないなんて思っていた。陽花にしてみれば、いつ割れると知れない薄氷はくひょうの上だったというのに。


「僕がもっとしっかりしてれば、陽花を不安にさせることはなかった」


 勝手な思い込みをせず、もっと陽花の立場になって考えられていれば。冷たい雨に打たれて、寂しそうな顔をさせることもなかった。


「だから、ごめん」


 陽花から少し距離を取り、しっかりと頭を下げる。


「陽花のこと、本当に大切に思ってるのに。安心させてあげられなくて、ごめん」

「そんなっ、私は――」

「だから、僕の彼女になってください」

「え、あ……」

「あなたのことが好きです。村咲陽花、さん」


 突然の告白に、陽花は言葉を失う。


 対して決然とした表情を浮かべた遊星は、緊張を抑えるようにゆっくりと陽花への想いを口にする。


「陽花に再会してから今日まで、人生で一番楽しい時間だった」


 もう陽花のいない日なんて想像もつかない。


 学校へ行く目的は陽花に会うためのものになってしまったし、バイトに行くのも陽花との楽しい次を作るため。離れている時だって次に会うワクワクを高める時間になっている。


「こんな時をこれからも続けていきたい、そして僕の人生に陽花を巻き込みたい。……だから僕の彼女になって欲しい」


 お願いしますと言いかけたが……その言葉は飲みこんだ。


 これは、頼みごとじゃない。


 陽花と一緒に歩みたい、自分と歩ませたいという欲だ。


 その欲を強引に通せるほど、自分は完璧でも立派でもない。でも陽花を求める気持ちは誰にも負けないし、譲るつもりもない。


 だから強気な態度でありたかった。


 陽花を二度と、不安にさせないためにも。


「……夢、じゃないんですよね?」


 陽花は目に薄っすらと涙を浮かべ、声を震わせている。


「信じてくれるまで何度だって言うよ。天ノ川遊星は、村咲陽花が大好きだって」

「一年前に助けてくれたあの人が、本当に……?」

「うん、僕は陽花のことが好きだよ。陽花に追いかけてもらえたことが、人生最大の幸運だと思ってる」


 その言葉を聞き、一筋の涙が頬を濡らす。


「私が、こんな素敵な人の彼女になっていいんでしょうか……?」

「陽花がいいんだ。それに人をここまで好きにさせておいて、いまさら怖気おじけづかれても困るよ」

「……で、でもっ」

「涙、拭うね」


 有無を言わさず、ハンカチを陽花の目尻に当てる。


 昨日は避けられてしまったが、今日は大人しく拭われてくれた。


 されるがままだった陽花が目を開けると、至近距離で視線が交わった。


 遊星の顔が近くにあったことに驚いたのか、陽花は視線を逸らして頬をぽっと赤く染める。


「目を逸らさないで、傷つく」

「で、でも恥ずかしくて」

「こっち、見て欲しいな。そして返事、聞かせて欲しい」

「あ、あう……」


 陽花はみるみるうちに顔を紅くしていき……がんばりに、がんばって遊星の方を見てくれた。


「……ぃ、です」

「よく、聞こえない」

「……ぃぃ、す」

「もう一声」

「……い、いいですっ!!!」

「やった」


 叫ぶような声に軽く返事をすると、なぜか陽花が拗ねたような口調で言う。


「今日の遊星さん……いつもよりちょっと強引です」

「だって陽花は僕の彼女になってくれたんでしょ? だったらもう遠慮しなくてもいいかなって」

「え、ええっ!?」

「今日から陽花は僕のモノだよ。そして僕も陽花のモノになった。……だから、もう陽花も遠慮しないで」


 遊星がこれまで陽花に優しく……それも特別優しくしようとして来たのは、惚れた弱みにつけ込みたくなかったから。


 でも彼女になってくれたのなら、その制約は少しだけ形を変える。


「イヤなことはイヤと言っていいし、して欲しくないことはそう言って欲しい。僕はもう陽花のモノなんだから」


 だから安心して望みを言って欲しい。嫌われることを恐れて言葉を飲みこまないで欲しい。


 こちらの機嫌を伺うような態度は……もう見せて欲しくなかった。


「その代わり、こっちも遠慮しないから。陽花には僕を惚れさせた責任、取ってもらうから」

「……と、とりますっ」


 陽花が伏し目がちに、こくこくと頭を縦に振る。


「……ちなみに、遊星さんは私のモノと伺いました」

「そうだよ」

「でしたらひとつ、お願いしてもいいですか」

「おおせのままに」

「もう逃げられないと思うくらい、強く抱きしめてください」


 そんな可愛いお願いをする陽花が愛おしく、無我夢中で小さな体を抱き寄せた。


 お願い通りに力を籠めると、陽花は体を「く」の字にしならせる。


 こちらが不安になるほど体はやわらかく、思わず陽花にお伺いを立ててしまう。


「い、痛くない?」

「もっと強くしてください」

「本当に大丈夫!?」

「……その程度でしたら、逃げちゃいますよ」


 挑発するような物言いに焚きつけられ、遊星は腕にいっそう力を籠める。


 すると一瞬、陽花が痙攣したように体を震わせる。


 加減を間違えたかと焦って力を緩めようとすると、陽花は爪を立ててしがみつき……シャツの肩口にがぶ、と噛みついてきた。


 急に嗜虐的な行動を見せる陽花に、遊星にもやり返したいという気持ちが沸いてくる。だが陽花のしがみつく力はとても強く、こちらができることは抱く腕を強めるだけだった。


 そうして幾ばくかの時が過ぎた頃。肩に歯を立てていた陽花が、ようやく力を抜いた。


「ご、ごめんなさいっ……」


 陽花は自分のしていたことを恥じるように、今度は胸に顔をうずめてきた。


「私ったらつい調子に乗って、遊星さんを傷つけるようなことを……」

「痕、残ってる?」

「……ちょっと、青くなってます」

「やった」

「な、なに喜んでるんですかっ!?」

「陽花の欲望を受け止められて、嬉しいなーって」

「よ、欲望とか、言わないでくださいっ!」


 陽花は胸の中でぽこぽこと拳を振るっている。


 だが遊星は振るわれた拳を掴まえて、笑顔で陽花に念押しする。


「陽花にはいつか、お返しさせてもらうから」

「う、うぅっ……」


 陽花はイエスともノーとも言わず、誤魔化すように遊星の胸に顔を押し付けた。


 本心では言質でも取って調子に乗りたいけど……可愛いが止まらない陽花に免じて、この場は良しとする。


 気付けば雨は止んでいて、空からは朱の差した陽光が降り注ぎ始めていた。


「ひとつ、お聞きしてもいいですか」

「ん?」


 すこし落ち着きを取り戻した陽花が、どこか遠慮がちに聞いてくる。


「遊星さんは私のこと、好きと言ってくれましたが……遊星さんの中でいつ、私がのか、お聞きしてもいいですか?」

「そうだなぁ……」


 最初から陽花にふんわりとした好意はあった。陽花は誰の目から見ても、ドキドキするくらい魅力的な女の子だったから。


 でも遊星が陽花に恋をした、と自覚したのは――


「初デートを終えて帰る時の、電車の中かな?」





 あの日は色々なことがあった。


 ショッピングモールで待ち合わせをして、宇治金時ラテで粒あんを克服し、一緒に映画を見た。


 熱のあった陽花を家まで送り、家族と会わせてもらった。部屋着姿の陽花に魅了され、下の名前でも呼び合うようになった。


 そんな楽しいことがあった帰りの満員電車で、ふと当たり前のことに気付かされた。


(……陽花は毎日、こんな時間をかけて学校に通ってるんだ)


 陽花の家から天球高まで、約一時間。


 自転車で十数分の距離に住む遊星からすれば、考えられないほどに遠い。


 帰宅ラッシュの車内には当然、空いている座席もない。行きの電車でも座ることなんてできないはずだ。


 毎日、こんな長い通学時間をかけて。その上お弁当まで作るとしたら、何時に起きれば間に合うのだろう?


 それなのに陽花からは一度も、通学の愚痴を聞いたことがない。


 陽花の学力だったら、もっと条件のいい高校を選ぶことができたはずなのに。遊星のいる高校に通えたとして、恋仲になれると約束されたわけでもないのに。


 遊星と一緒の学校に通いたい。


 ただ、それだけのために今後三年間。この距離を通う決意をしてくれたのだ。


 その事実に気づいた時。胸は締め付けられ、目に熱い物が込み上げてきた。


(……僕は陽花に、なにをしてやれるのだろう?)


 それから遊星は家に着くまでの間、ずっと陽花のことを考え続けていた。


 やがて電車は駅に着き、自転車を漕いで、家に着いた時には――陽花のことがたまらなく好きになっていた。




「ここまでされて好きにならないなんて、無理だよ」

「……遊星さんは、やっぱり優しいです。そんなことにも気付いてくれるんですから」

「優しいのはここまで尽くしてくれた、陽花でしょ」

「これは優しい、とかじゃないです。……下心が、ありますから」

「そっか。じゃあここは感謝するべきかな」


 遊星は自分の腕に収まっている、儚くも強い女の子に目いっぱいの笑みを向ける。


「陽花、好きになってくれてありがとう。僕のことを追いかけてきてくれて、本当にありがとう」

「……はいっ!」


 あどけなさを残した彼女の笑顔。

 その可愛らしい笑顔を大事にしていきたいと、遊星は心に強く誓うのだった。





―――――


 88話目にしてようやく関係を進めることができました。ここまでお付き合いいただき本当にありがとうございます!!


 うっかりエピローグでも始まりそうですが、安心してください。ちゃんと四章もありますよー!!!

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