3-24 無敵な二人

「お待たせしました」


 改札前に現れた陽花。その姿を見た遊星は……思わず天に感謝の祈りを捧げた。


 私服姿の陽花は、万病に効く――。


 昨日までの不安やすれ違い。そのすべてが消し飛ぶような愛らしさ。


 奇跡の天使たる陽花は、期待した視線で遊星をじっと見上げている。


 本日の姫は涼やかな水色のブラウスに、黒の花柄スカート。前回のデート同様に大人びた服装で、遊星の意も汲んでくれたのか露出自体は少なめである。


 こんな美しい天使が、自分に会いに。自分のためにおしゃれをしてくれたのかと思うと……うっかりこの世に未練をなくしてしまいそうになる。


 だがデートは始まってすらいない、成仏するにはまだ早すぎる。


「……とても、似合ってるよ。陽花の清楚なイメージぴったりだ」

「ありがとうございますっ」


 陽花は嬉しそうに笑うと、ぱっと遊星の手を握ってきた。薄っすらと細めた瞳からは、弾むような気持ちがありありと伝わってくる。


 いつもの控えめな態度は鳴りを潜め、いまや遊星の手を引くような勢いで前を歩いている。早く行きたいと言わんばかりの振る舞いに、遊星も嬉しくなって自然と表情が緩んでいく。


「じゃあ、行こうか」

「はい!」


 電車に乗ってからも二人の会話は絶えることがなかった。


 車窓から見える光景に一喜一憂し、握り合った手をじゃれ合わせ、目的地までの時を楽しく過ごした。


「みんなが授業を受けてる時に遊びに行くんだって思うと、なんだか悪いことをしてる気分です」

「違うよ、陽花。気分じゃなくて、僕たちは悪いことをしてるんだ」

「悪いことって、こんなに楽しかったんですねっ!」


 日中の下り電車ということもあって、バカップルな会話も乗客の迷惑にはならない。


 二人はいま、無敵だった。


 そうして正午を少し過ぎた頃、目的の駅に到着した。


 有名なお寺がある駅ということで結構な田舎を想像していたが、駅前には百貨店もあるような栄えた場所だった。


 二人は駅前にある老舗な雰囲気の蕎麦そば屋で昼食を取った後、目的地に向かって歩き始めた。


 バスを使うほどには遠くなく、歩いていくと汗ばんでしまう距離。そんな道を十分ほど歩いていくと、昼間の住宅地に鬱蒼うっそうと茂る樹木の姿が見えてきた。


「あそこだ」


 遊星が指差す先には、くすんだ朱色の鳥居がそびえ立っていた。二人は社務所で参拝料を支払うと、順路に沿って石畳の上を歩いていく。


 さすがに平日の昼間ということもあり、参拝客はほとんどいなかった。どこか神聖な気配が漂う緑の中を、陽花と二人歩いていく。


「なんだか、不思議な気分です」

「うん?」

「制服姿の遊星さんとは、学校や街中で何度もお会いしてきました。でもこうして緑に囲まれた中を、私服姿で一緒に歩いていると……特別、な感じがします」

「……そうだね」


 陽花のくすぐられるような言葉に、遊星は前を向きながら返事をする。


 あじさい寺。


 とても素敵な場所だとは思う、だが高校生がデートに選ぶような場所じゃない。


 でも陽花なら絶対に喜んでくれると思った。


 紫陽花あじさいの名を冠する陽花だからこそ、静かな場所を好んでくれそうな陽花だからこそ。


 陽花以外の相手を、決して誘うことがない場所。もし陽花と出会うことがなければ、生涯訪れることがない場所だったかもしれない。


 そう考えると、陽花と出会えたことは奇跡以外の何物でもなかった。


 遊星がそんな考えに耽り、いまにも想いを爆発させようとしていると――鮮やかな色彩が視界に映り始めた。


「遊星さん、見てくださいっ!」


 陽花のはじける笑顔の先。


 そこには緑の中で咲き誇る、色鮮やかなアジサイが一面に広がっていた。


 青、紫、そして赤。


 決して派手過ぎず、けれど緑の中を懸命に彩る、どこか儚さを併せ持つ色の花々。そんな花の咲き誇る様を、満面の笑みで眺める陽花の横顔は、なによりも輝いて見えた。


「すいませーん!」


 ふと後ろを振り返れば、社会人風の男女が愛想のいい笑顔を浮かべていた。


「すいません、写真撮ってもらっていいですか?」


 男性の方がそう言ってスマホを差し出してくる。


 一応、陽花に目配せで確認すると笑顔で頷いてくれた。


「もちろんです、どこをバックに撮りましょうか?」

「えっと、じゃあこっちの……」


 遊星は言われたポジションに移動して、二人に向かってカメラを構える。

 続いて預かった女性のスマホでも撮影を終えると、当然のようにこんなことを言われた。


「じゃあ次はお二人の写真をお撮りしますよ」

「えっ、いいんですか?」

「もちろん。こんな平日じゃ他にお願いできる人にも会えませんし」


(言われてみれば、確かに)


 遊星は近くで待っていた陽花に手招きをし、彼らに写真を撮ってもらうことにした。


「ほら、二人とも! もっとくっついて!」

「こ、こうですかっ!?」

「いいねっ、彼女さんは腕に抱きついてみたりしよっかー?」

「……はいっ!」


 上機嫌でかつ人見知りのない陽花は、彼らのリクエストにノリノリで応える。そうして撮り終わった写真を見返すと、屈託ない笑みの陽花とぎこちない笑顔の遊星が映っていた。


「写真、ありがとうございました」

「こちらこそありがとう。二人とも高校生?」

「はい」

「いいねぇ。その歳のデートでお寺なんてセンスいいよ」

「ありがとうございます。彼女の趣味がとても大人なので」


 遊星がそう言って振り返ると、陽花はゆっくりと首を振る。


「彼が私の趣味をよく理解してくれるんです、おかげでいつも楽しい思いをさせてもらってます」


 陽花の丁寧でいて、優しい口調に二人は驚いた顔をする。


 が、その後に薄っすらと笑みを浮かべて、


「いい人と出会えたんだね」


 と返されると、


「はいっ!」


 と、嬉しそうに笑ってくれた。




 親切な二人組と別れてから、遊星と陽花はしばらく互いの写真ばかり撮り合っていた。


 歩くたびに目に入った古社寺こしゃじを見つけては一枚、続けて建物と互いの姿を移したものを一枚ずつ。これまでのデートはどちらも街中だったので、言うほど映えるような写真は撮れなかった。


 だが今日は互い私服で、周囲は自然がいっぱいである。ここ一番の撮れ高を狙って、互いにシャッターを切りまくっていた。


「……陽花は僕の写真なんか撮って楽しい?」

「楽しいに決まってます。逆にお聞きしますけど、遊星さんは私の写真なんか撮って楽しいですか?」

「サイコーに楽しい」

「でしたら、わかってください」

「あっ、はい」


 だがそんな撮影タイムは唐突に終わりを迎えた。


 いつしか雲の多くなっていた空から、ぽつぽつと小雨が降り始めてきたのだった。


「陽花、あそこに東屋あずまやが見える。そこにしばらく避難しよう」

「はいっ」


 東屋に避難した二人は濡れた体を拭き、木製のベンチに揃って腰掛ける。


 屋根の下から眺める雨の境内は、真っ白なもやに包まれていた。


 次第に雨が本降りになり始めると、雨粒を受け止める葉のさらさらとした音が辺りに響きわたる。


 次第に社会の喧騒や、人の住む世界から隔離されたような錯覚に陥る。


 辺り一面を包みこむもやの合間からは、絵の具を滲ませたような色彩アジサイがわずかに存在を主張していた。


 どこか幻想的な光景に目を奪われていると、肩には柔らかな重み。


 となりに腰掛けた陽花が腕に抱きつき、肩に頭を預けてくれていた。




―――――


 いい雰囲気のまま、明日に続きます……!

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