3-23 天ノ川遊星は、ケジメをつける
明朝。
遊星と陽花の二人は、陽が昇るより早い時間に家を出た。
千斗星もまだ家で眠っている。
西の空を見上げれば、紫の朝焼けに月が溶けていくところだった。
人とすれ違うこともなく駅につき、煌々とライトに照らされた改札を抜ける。
駅のホームもひと気がなく、普段は気付かないエスカレーターの稼働音さえよく聞こえる。
(……まるで陽花と非日常の世界に来た気がするな)
そんなことを思いながらやって来た電車に乗り、ガラガラの座席に腰掛ける。
陽花とはここまでほとんど会話らしいものをしていない。さすがに早い時間ということもあり、まだ互いに頭のエンジンがかかり切っていなかった。
横目に陽花の表情を窺うと、手で口元を隠しながら「くわぁ」と小さなあくびをする。だがあくびを見ていたのがバレると、やんわりと肩をぶつけて無言の抗議をされてしまった。あざとげに、ぷっくり頬なんか膨らませて。
遊星は朝一番の癒しに心を和ませると、手に抱えていたビニール袋を空いてる座席に置く。
この中には乾燥機にかけた陽花の制服が入っている。代わりに陽花が身に纏っているのは、千斗星に借りた私服だった。
下は緩めのスラックスに、上はやや厚手のパーカー。
この季節にしては暑いのではないかと思い、脱ぐことを提案すると理由が判明した。
「その……ちぃに借りたシャツでは、どうしてもサイズが合わなかったので……」
胸のサイズが合わなかったので、羽織ることで誤魔化しているらしい。
とはいえ、この格好でいるのは陽花の地元駅に着くまでだ。
二人がこうして早い時間に出たのは、陽花を一度家に帰すため。
今日のお出かけが決まるまでに紆余曲折あったが……今日はデートである。だから陽花は自分の私服で出かけたいとのことだった。
先日、遊星との突発デートで買った時の服もある。まずは家で身支度を整えた後、改めて合流するために早く出たという按配だ。
そして電車に揺られて一時間。
地元駅に着くと陽花とは駅前で一度別れ、遊星は比較的空いている喫茶店に入る。
その中でも端にある席を選び、カツサンドとコーヒーを頼んで腰掛ける。
そしてカツのパワーを脳に補充し、「うしっ」と気合を入れてから……一本の電話をかけた。
朝の忙しい時間に電話なんて、出られないかもしれない。
話す内容を考えても胃が重い。掛けた自分が切電のボタンを押してしまいたいくらいに。
だが幸か不幸か、大してコール数も鳴らずに繋がった。
「もしもし? どうしたの――遊星くん」
「ごめん、寝てた?」
「ギリギリ起きてたけど。……めずらしいわね、君から電話くれるなんて」
「椎に頼みたいことがあるんだ」
「こんな時間に?」
「いまからなにかして欲しい、ってわけではないんだけど……」
「とりあえず話して。君の頼みなら、出来るだけ聞いてあげたいから」
椎の声には嬉しそうな響きがある。だからこそ遊星の胸に、ずしりとした罪悪感がのしかかる。
「今日のバイト、代わって欲しいんだ。椎、今日は休みだったでしょ?」
「……そうだけど、体調でも悪いの?」
「体調は問題ない、でも今日は学校にも行けないから」
「言いたいことがよくわからないんだけど……」
「今日は陽花と、遠くまで出かけるから」
意を決して、遊星はそんなことを言う。
だが当然、電話の先からは抗議めいた声が返ってくる。
「……そんなこと言われて、代わってあげるなんて言うと思ったの?」
「でも、頼む」
「イヤよ。言ったでしょ、私は遊星くんのことが……」
「でも僕は陽花が好きなんだ」
椎が言い終わるよりも先に、遊星が凛然と言い放つ。はっきりと口にされたことがショックだったのか、椎は少しの間黙り込む。
「今日シフトに空きがあるのは、椎だけなんだ。だからお願いできるのは……」
「……だったら、黙っててよ」
苛立たしげな声が遊星の耳元を撫でる。
「なんでウソつかないの? 体調不良とか言っておけば、私は二つ返事で代わってあげたのに」
「椎にはウソをつきたくなかったから」
「違う。私に予防線を張ったんでしょ?」
(……その通りだ)
陽花との予定を隠しておけば、きっと椎はあっさりと交代してくれただろう。
でも、いまの椎をそのままにしておけなかった。こうして学校を休んでまで予定を早めたのも、陽花との関係をハッキリとさせるため。
それなのに椎の気持ちを聞かされて、そのまま放置なんてできない。自分に気のある人をそのままにするということは、その選択肢を残しておくということだ。
椎はそれでもいいのかもしれない。
遊星も椎を傷つけないという点だけを考えれば、放っておいてもいいのかもしれない。
でも陽花を不安にさせるのであれば、絶対そのままにはしておけなかった。
「私、言ったよね。学校では君に絡まない、でも二人の時には冷たくしないでって」
「もちろん普段通りには接するよ。……友達として」
「友達としてって言い直すの、すごいムカつく」
「ごめん」
「……私が代わらないって言ったら、どうするつもり?」
「店長にも連絡はする。でも代わりが見つからなくても、休ませてもらうしかない」
「そしたら今日は酒井さんが一人番ね」
「後日、謝罪くらいはしに行くよ。その時はクビにされてるかもしれないけど」
「人が足りなくて困ってるのは店のほうよ、迷惑かけてもクビになんかできっこない」
時給を上げてまで人を増やそうとしたのは店の方だ。それなのに勤務態度が悪くて
即刻クビ、にはならないだろう。
「……代わりに出る見返りは?」
「クーリッチュくらいなら、奢らせていただきます」
「安い」
「じゃあ学食のカツ丼大盛」
「食べ物ばっかし」
電話の先では、椎が大きなため息をついている。
「…………この貸し、大きいからね」
「ありがとうっ、本当に助かる!」
「それと、最後にひとつ言わせて」
「なに?」
「大好き」
最後にそんな捨て台詞を残し、椎との通話は切れていた。
(…………とりあえずは、これで大丈夫だよな?)
去り際に一撃を入れられてしまったが、言いたいことは言うことができた。遊星は一先ず胸を撫でおろし、ソファの背もたれにずるずると体を倒す。
陽花が戻ってくるまで、もう少し時間もかかるだろう。
そう思って残りのカツサンドに手を付けたが、湿気でパサパサになっていた。
パサパサのカツサンドを、ぬるくなったコーヒーで喉に流し込む。が、もちろん美味しくはない。
だが、これでやり残したことはなくなった。
バイトの穴も埋まり、土壇場で早めたデートの交通整理が終了した。
つまり――
(ようやく陽花とのデートに、集中できるっ!)
あとは今日という日を楽しみ尽くすだけ。窓の外に目を向ければ、空には一面の青が広がっている。
自然と気持ちは上向きになり、喫茶店で女の子を待つというシチュエーションすら楽しくなってきた。
(よし、今日は最高の一日にしよう)
心の中でそう決意し、遊星は景気づけに……ショートケーキを追加注文するのだった。
―――――
スーパーウルトラお待たせしました。明日からようやく……ようやくです!
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