3-19 同僚さんはわかっていて、攻め手をゆるめない

 帰りのホームルームが終わった後、遊星はすぐさま陽花のクラスへ向かった。


 だが陽花は既に教室を出た後だった。遊星は自転車で最寄り駅までの道を探したが、陽花の姿を見つけることはできなかった。


 陽花からのコンタクトは、六限終わりに届いたメッセージが最後である。


『今日は先に帰ります、勝手なことを言って申し訳ありません』


 それ以降、何度メッセージを送っても返事は返ってこなかった。


(失敗したな……)


 とはいえ具体的になにが失敗だった、とは断言できない。


 陽花を落ち込ませた原因は、遊星が椎にハンカチを貸したこと。だが貸したこと自体を反省すべき……ではないような気がする。


 もし今回のことを教訓に、遊星が「他の女子に優しくしない人」になっても陽花は喜ばないだろう。


 であれば陽花が気持ちを立て直すのを待つ、というのが正解であるように思える。 だがそれは根本的な解決にはなってないような気がした。


(今回のことで僕はきっと、なにか間違えている)


 上手く言葉にはできない。でも陽花が立ち直るまで待つ、なんて惰弱だじゃくな答えに逃げたくはなかった。


 遊星はバイトが始まるギリギリの時間まで、駅前で陽花を待ち続けていた。もしかすると入れ違いになっているかもしれない。そう思ったのだが陽花を駅前で見つけることはできなかった。


(さすがにバイトを休むわけには、いかないよな……)


 どこか晴れない気分のまま、遊星は仕方なくバイト先に向かって自転車をこぎ出すのだった。



***



 仕事が始まってすぐ、大粒の雨が降り始めた。


「降って来たね」


 椎の言葉につられて、窓の外に目を向ける。


「ホントだ。昼間はあんなに晴れてたのに」


 突然の雨で客足も途絶えてしまった。外は一寸先も見渡せないほどの繁吹しぶき雨になっていて、強い風が吹くたび窓ガラスに雨粒が叩きつけられる。


(……陽花はもう家に着いたかな)


 天球高の最寄りから陽花の地元までは、電車に乗ってギリギリ一時間かからない程度。まだ家には着いてないかもしれないが、スムーズに行けば地元駅には辿り着いてるはず。


 折り畳み傘はいつも持参してると聞いてるし、いざとなればタクシーだって使うだろう。


(こんなに気になるんだったら昼休み、無理してでも後を追えばよかったな……)


 だが陽花の後を追いかけても、現状を打破できるようなことを言えたかどうかは微妙だ。それに一人になりたがってる相手を追いかけるのは、最悪の選択であるようにも思える。


 遊星が思考の堂々巡りにハマり、思わずため息をつく。


 すると同じように時間を持て余していた椎が、薄く笑みを作って遊星の顔をのぞき込む。


「なに、また悩み事? 良かったら話、聞こうか?」

「あ、あ~、これは違くて……そう、ちょっと気圧のせいで偏頭痛!」


 よりにもよって椎に陽花のことを相談するわけには行かない。思わず出まかせを口にしたのだが、椎は一転して真面目な表情をしてみせた。


「……大丈夫? ちょっと待ってて、頭痛薬持ってくるから」

「えっ、そこまでしなくてもっ!?」


 椎は有無を言わさず裏のロッカーに入り、常用の頭痛薬を持って来てくれた。


「薬のまま飲める? 水が必要なら言って」

「だ、大丈夫。ありがと」


 いまさら受け取らないわけにも行かず、遊星は薬を受け取ってそのまま飲み干す。


「本当に辛い時は言ってね、裏で休んでてもいいのよ?」

「ほ、本当に大丈夫だから! なんなら話してるだけでもちょっと元気出たし!」

「そう? 無理しないでね」


 椎の心配そうな表情に、ますます罪悪感が煽られる。


「そういえば、昼にハンカチと一緒に渡したお菓子、食べてくれた?」

「あ~、ごめん。まだ」

「繁華街にある有名店のお菓子なの、私は好みだったから……遊星くんはどうかなと思って」

「そっか、ありがとう」

「食べたら感想教えて、気に入ってくれたならまた買ってくる」

「……うん」


 椎のなにか期待するような視線を受け流し、遊星はどこか素っ気ない受け答えをしてしまう。


「あと夏期講習の件だけど、考えてくれた?」

「まだはっきりとは決まってないけど……今回はパスさせてもらうかも」

「えっ、どうして?」

「志望校が決まってないってのもあるし、後はお金の問題かな。両親とは別居してるし、家でも勉強はできるから」

「そっか、残念」

「ごめんね、せっかく資料まで持って来てくれたのに」

「ううん、私が勝手に先走っただけだし。でも教材のコピーはあげられるから、欲しくなったら言ってね?」

「あ、ありがとう」


 先ほどから引き気味な遊星に対して、椎はいつもより押しが強いように感じる。


(色々と、心苦しいな……)


 昨日今日のことで、さすがに椎への態度を改めざるを得なくなってしまった。


 だが遊星は自分から距離を取ろうとした経験なんてない。だから変に傷つけたりしてないか、不自然になってないかと気になって仕方ない。

 

 その一方で椎は……開き直っているように見えた。


 椎の瞳には今までにないような熱がこもってるように見えてしまう。


 先ほどの頭痛薬の件だって、いつも以上に親身になってくれていたと思う。


 そしてなにより。


 昨日のうっかりを撤回するようなことを、なにひとつ口にしていない。


「もしかして遊星くん、怒ってる?」

「えっ、お、怒ってはないけど」

「本当? だって今日は目も合わせてくれないし」


(ぐっ……!)


 やっぱりバレていた。


 昨日と態度が明らかに違えば気が付くに決まっている、椎とは週に何度も顔を合わせているのだから。


「やっぱり、昼間のことかな。村咲さんと一緒の時に割り込んだから、怒ってるんじゃないかと思って……」


 ――そんなことない。


 そう言おうとして、思い留まる。


 最近の椎は、いつも以上に押しが強い。もし明日からもこの調子だと、また事故が起きるかもしれない。釘を差すなら今しかない。


「怒ってはないけど……陽花と一緒の時は控えて欲しいかも。特に昼休憩中は」


 できるだけ強い口調にならないよう、やんわりと言う。すると椎は意外そうに目を丸くした後、不貞腐れたような表情で頷いた。


「……村咲さん相手の時は、そうやって線引きとかするんだ」

「え?」

「そんな風に言われるのが意外だなって思ったの、君には拒まれたりしないって思ってたから」

「……僕にだって優先順位はあるよ」

「だよね。わかった、もう学校ではもう絡まないようにする」

「別に全部が全部ってわけじゃ……」

「その代わり」


 遊星が言い終わるよりも先に、椎の言葉が覆い被さってくる。


「この場所では、私に冷たくしないで欲しい」

「冷たくって、僕はそんなつもりじゃ……」

「昨日、私が言ったこと。間違いじゃないから」


 椎はどこか照れ交じりに、けれど臆することなく言い切った。


「……前に海外旅行の話をしたの、覚えてる?」

「覚えてる、けど」

「最近、良く夢に見るの。海外旅行に行く夢、そして旅行中の私のとなりには……いつも遊星くんがいる」


 椎の言葉に、真っ直ぐな視線に、胸が大きく脈打つ。


「君だって海外なんて初めてのはずなのに、なにも戸惑う様子なんてなくてすごい頼りになるの。……仕事に慣れない私を、助けてくれた時みたいに」

「それは夢の話でしょ」

「うん、確かに夢の話。でも遊星くんだったら現実でもそうだろうなって思う」


 そう言って椎が上目遣いで遊星をのぞき込む。真っ直ぐで、信頼に満ちた瞳で。


「だから私の夢はもう、遊星くんと海外旅行に行くことになっちゃったの」

「そ、そんなこと言われても……」

「わかってるわ、それは私のワガママだって。そして立場的にも一歩遅かったんだな、って」


 立場的にも一歩遅い。


 あまりにも現実的な言葉だった、しかもそれが椎の口から出てきたことに驚く。


 いま遊星が聞かされているのは……そういう意味なのだろう。


 椎の語ってくれる言葉はもちろん嬉しい。だがその夢を叶えてあげることはできそうにない。


 一歩遅いと本人も口にしている以上、それが叶わぬ夢であることはわかっているのだろう。


 でも、だからこそ理解できなかった。


 椎はそれをわかっていて尚、表情には余裕が見えたから。


「遊星くんのお願いはもちろん聞く、学校では君に関わらない。でも、この場所では私に冷たくしないで欲しい」

「それは……」

「君だって、言ったじゃない。私のこと絶対に突き放したりしないって」

「確かに言ったけど、あれは仕事のことであって――」


 遊星は苦し紛れに言い訳染みたことを口にしていると、椎がはっとした顔で入り口に目を向けた。


「いらっしゃいませー」


 来客だ。

 遊星も条件反射で入り口に視線を移し、あいさつを口にしようとしたが……そこには誰も立っていなかった。


 ふと頭にハテナマークが浮かぶと同時――頬にやわらかいものが押し当てられる。


「っ!?」


 急いで振り返ると、椎がイタズラな笑みを浮かべていた。


「ハンカチ、濡らして拭いたほうがいいかも。今日はリップをつけてきたから」

「な、なにしてんのっ!?」


 遊星が顔を真っ赤にして怒って見せるが、椎に怯む様子はない。むしろ遊星の怒り顔を楽しんでいるようだった。


「……ねえ。遊星くんのユウってさ、遊び人のユウじゃないの?」


 椎がどこか妖しい笑みを浮かべて、耳元でささやく。


「私は、それでもいいけど」

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