3-18 後輩ちゃんだって、先輩の前では笑いたい

 翌日の昼休み。

 久しぶりに晴れたこともあり、遊星と陽花は屋上にやって来た。のだが……


「かきごおり」

流氷りゅうひょう

「ウォーター」

「た、た、滝、で」

「き……キンキンに冷えたコーラ」

「キンキンに冷えた……って、反則じゃないですか?」


 額に汗をかいた陽花が、批難めいた視線を送ってくる。


「だって……暑すぎて、もう頭が回らなくなってきたよ」


 六月も半ば、いよいよ夏と言って差し支えない季節。

 久しぶりにやって来た屋上は、以前とは比べものにならないほど暑くなっていた。


 それでも二人は影のある場所で弁当を食べ、涼しい単語しりとりで気を紛らわそうとしていたのだが……それも限界である。


(見立てが甘かったな……)


 屋上に足を踏み入れた瞬間、ただならぬ暑さであることには気づいていた。


 しかし、おかげで屋上に現れるカップルの数は激減した。つまりそれだけ人目が少なくなれば、陽花と思う存分イチャつけるのでは? と考えたのだ。


 だが現実はそう甘くない。


「……校内に、戻ろうか?」

「はい、このままでは二人とも熱中症になってしまいます……」


 善は急げ。互いに拒む理由がないことを確認すると、一目散に屋上を後にする。


 校舎の中へ避難してきたものの、すぐに汗が引くわけでもない。遊星はポケットからハンカチを取り出し――すっと陽花に向かって差し出す。


「使う?」

「あっ、大丈夫です。自分で持ってきたものがあるので」


 陽花はそう言って自前のハンカチを取り出すと、おでこにぽんぽんと押し当て始めた。


「この季節じゃハンカチよりタオルの方がいいかもね」

「そう、ですね。この分ではしばらく屋上の利用も難しそうです」


 二人は屋上の階段でへたりこみ、残っていた水筒のお茶を飲み始める。そして体の熱が引いてきた頃、陽花が懐かしさに浸るように言った。


「そのハンカチ、前にお借りしたのと同じですね」

「え? ああ……そうだったっけ?」

「始業式の日、遊星さんにお借りした物ですから。忘れませんよ」


 あの日、まだ遊星が傷心のふちにいた時。足早に帰ろうとしていた遊星を追いかけ、汗をかいた新入生に貸したハンカチ。


「遊星さんにお会いするのは一年ぶりだったので、不安もありました。でも一方的に呼び止めた私を不審がることもなく、親切にしてくれて『やっぱり優しい人なんだ』って思ったことをいまでも覚えています」

「そ、そっか……」


 真っ直ぐな言葉が恥ずかしく、そっけない返事をしてしまう。


(……陽花、思ったよりは元気そうだな)


 昨日は放課後に会うことができず、昼に別れた時もどこか浮かない表情をしていた。もしかすると今日に引き摺ることも覚悟していたのだが、特に変わった様子はない。


 原因はおそらく、椎のことだとは思う。


 椎と名前呼びになっていたのを知り「嫉妬しちゃう」なんて口にもしていた。


 自分の知らないところで、好きな人が異性と仲良くしていたら不安にも思うだろう。


 もちろん陽花を不安にさせたくはない。でもそのためにバイトを辞めたり、椎と距離を取るのが正解かと言われると……わからない。


 それに陽花自身も「遊星さんの交友関係に口出しをしたくない」と言ってくれている。


 遊星だって陽花の行動を縛りたくない。陽花が友達と遊び行ったり、家族と帰省すると言われても、自分との時間を優先して欲しいとは言いたくない。


 だから陽花は不安な気持ちを隠してくれているのかもしれない。その上で”いつも通り”を装ってくれているのかもしれない。


 それなら遊星がすべきことは余計な気遣いをするのではなく、いつも通りに付き合ってあげるべきなのだ。


(よし、この考え方は間違ってない気がする)


 とはいえ椎からは「聞き逃せない言葉」を聞いてしまった後だ。椎と距離の保ち方については考え直す必要があるだろう。


 バイトを始めた目的は、デート費用と誕生日プレゼントのため。それなのにバイトが原因で関係が悪化するようなことだけは、絶対に避けなくてはならない。


「陽花、一度教室に戻ろうか?」


 昼休みが終わるまで十五分ほど残っている、どうせなら一分一秒でも一緒にいたい。


「はい、遊星さんがよろしければ」


 陽花がうなずいてくれたのを確認し、二人は階段を下りていく。気持ち的には手でも繋ぎたい気分だったが、昼間の学校でそれはやりすぎだ。


 いま自分にできることは陽花が不安にならないよう、真っ直ぐに向き合ってあげること。それさえ出来ていればきっと陽花だって不安に思わないはず。


 そう気持ちを新たにし、遊星のクラスを前に差し掛かったところ――聞き慣れた声に呼び止められた。


「あ、戻ってきた」


 飄々とした様子で遊星を呼び止めたのは、椎だった。


(うあ……よりにもよって最悪なタイミングで)


 呼び止めた椎も当然、遊星の後ろを歩いてきた陽花に気付く。


「あっ、村咲ちゃん」

「……こんにちは、風見先輩」

「うん、こんにちは」


 特に変哲もないあいさつが目の前で交わされる。


 だが学食を一度共にしただけの二人には、それ以上の話題もないため微妙な間ができてしまう。


 どこか気まずい空気が生じた後、椎の視線が遊星を捉える。


 やはり遊星に用があるらしい、そのために教室前で待っていたようだ。


 あんなことを言われてしまった以上、昨日の朝のように気軽に遊んだりはできない。


 それに陽花だって目の前にいる。ここはきちんと椎から距離を取るところを見せておかないと。


「椎、なにか用だった? 悪いけどいまは……」

「あっ、うん。わかってる。これだけ先に返そうと思って」


 そう言って椎が差し出したのは――遊星が昨日貸したハンカチだった。


「帰った後、洗ってアイロンもかけたから。あと、これはそのお礼」


 一緒に差し出されたのはピンク色の小さな袋だった。


 そこには遊星も知ってるお菓子メーカーのロゴがプリントされていた、中身はきっとクッキーとかその辺だろう。


「あ、ありがとう」

「お礼を言うのはこっちよ。それじゃ、また夕方」


 椎はそう言って足早にその場を後にする。


 遊星はその後ろ姿を最後まで見送ることなく、急いで陽花のほうへと向き直る。すると陽花は……昨日と同じような表情をしていた。


「陽花、いまのは……」

「は、はいっ。わかってます。遊星さんはいつも、どんな人にも優しいって、知ってますから」


 陽花は作り笑いをしようとして失敗し、顔を上げることができずに声を震わせている。


「私ったら、ダメですね。ハンカチ一枚で、動揺なんてしてしまって……」

「ごめん、僕の配慮が足りなかった」

「遊星さんは謝らないでください。でも、今日は先に教室へ戻ります」

「もっと話さない? もし陽花がこうして欲しい、ってことがあれば僕は……」

「いえ。これくらいの嫉妬、のみこめるようにならないと。そうでもしないと、遊星さんの側にはいられませんから」


 陽花はそう言って悲しげな笑みを浮かべると、遊星が止めるのも聞かず、ゆっくりと背を向けて行ってしまった。




―――――


 少しだけ曇り空になります。

 3-20頃には快方に向かう予定なのでご理解ください……!

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