3-5 同僚さんは不覚にも、彼に翻弄される
退勤後のバックヤード。
遊星が何度もヘルプに入ったからだろうか、椎にお礼を言われてしまった。
昨日とはうってかわって見せた弱々しい姿に、なんと返していいものか迷ってしまう。すると椎は自虐的な笑みを浮かべて言った。
「情けない、って思ってるわよね?」
「そんなことない、けど」
「ううん、わかってる。私だってそう思ってるから」
今日の椎は疲れているのではなく、落ち込んでるように見えた。
このまま背を向けて帰るのは忍びなく、遊星も空いていたパイプ椅子に腰かける。
「天ノ川くんは、優秀よね。私は全然ダメ、お客さんを前にすると頭が真っ白になっちゃう」
「緊張するのは、仕方ないよ」
「でも君は平然としてるじゃない、どうして?」
椎のくりっとした瞳に覗き込まれる。
真正面から見つめられ、初めて椎の睫毛が長いことに気が付いた。
「僕は図太いだけ、かな。生徒会にいた頃、色んな人を相手にしてたから」
「……その経験を通して、なにかコツやヒントみたいなものはない?」
「コツ、かぁ」
遊星にしてみれば感覚的な物ではあるが、訊ねる椎の目は真剣だ。
本当に悩んでいるのだろう。であれば、その気持ちには真摯に答えたい。
遊星が人と接した経験は、同年代より遥かに多い。各クラスの学級委員に、部活や委員会の代表者。それに教職員。
生徒会渉外として、みんなに信頼される存在になろうと思った。
……そうやって気を張って、考え抜いたからこそ見つけた答えもあった。
「自分が思っているほど、相手は自分に興味がない。そう思ってみるといいと思うよ」
「……どういう意味?」
「人にどう思われるかなんて、気にするだけ損ってことだよ」
「そう、かしら。感じの悪い店員だと思われたら、お店にクレームとか入るんじゃない?」
「ちなみに風見さんは買い物をした時、感動するほど親切な店員さんに会ったことある?」
「……わからない、そんなこと考えたことない」
「じゃあ僕らはその程度の存在なんだよ」
悪い意味じゃない。お客さんは買い物をしに来たのであって、店員に会いに来たわけじゃない。
それなのにお客さんにいい人だと思われよう、なんて努力する必要はない。問題なく買い物さえできれば、誰が相手でも変わらないのだから。
「これは僕の経験上の話なんだけど。変にいい自分を見せようとするほど、どう振る舞っていいかわからなくなるんだ」
「……その気持ちは、わかるかも」
「恥をかいてもいい、間違えてもいい。変な人だと思われても二度と会うことはない。そうやって考えれば少しは楽になるんじゃないかな」
沈思黙考。言葉の意味を整理しているのか、椎は黙って一点を見続けている。
「お客さんと心を通わせる必要はない。僕らはシステマチックに商品のお代を受け取って、正しいお釣りを返せばいいんだ」
「つまり、お客さんのことはゴミだと思えばいいのね?」
「ゴミは言い過ぎだと思うけど」
反射的にマジレス。椎も思わず口をついて出た言葉だったのか、かあっと顔を赤く染めた。
「そ、そうよね、ゴミはさすがに、失礼よねっ」
手の平で顔を仰ぎ、目を白黒させる。
(風見さんって、やっぱり天然なのか?)
遊星がそう思うのと同時、誤魔化すように背を向けてユニフォームを脱ぎ始める。
「と、とりあえず、わかった。明日からそうしてみるわっ」
「あっ、それと……」
椎が「まだなにかあるの」と言いたげな目を向ける。
「僕は風見さんの味方だよ。わからないことがあったら聞いて、絶対に突き放したりしないから」
すると椎はわずかに目を見開き、
「……うん」
と、しおらしく頷いた。
***
次の出勤日。
今日も店長はバックヤードに籠ったきり出てこない。
そのため遊星が検品と商品出しに入り、レジ番を椎に任せている。
なにかあった時のためレジにも気を配っていたが、少しずつ落ち着いて接客できてるようになってきたらしい。
だが、それでも不測の事態は訪れる。
「ねえ君ぃ、ゴムってどこに売ってる?」
「ゴム、ですか……?」
ピアスだらけの赤髪男が、ニヤニヤしながら椎に声をかける。
「そ~そ~。薄~いヤツ、でもサイズ大きめね、俺って人よりデカいからさぁ」
「っ! …………そこの生活用品売場です」
「え、どこ? 場所まで案内してよ~?」
(クソ野郎が)
遊星は作業を止め、代わりに生活用品売場に移動する。
「お客様、こちらですー」
「……あ? オレはこの姉ちゃんに聞いてるんだけど?」
「申し訳ありません、そちらのスタッフはいまから休憩なので」
バックヤードに入れと目で合図する。意図が伝わったのか、椎はコクンと頷いて後ろに引っ込んだ。
「この店は客をほっぽって休憩に入んの? おかしくね?」
「ですので、私が代わりに案内させていただきます」
「舐めてんのか、ガキ」
胸倉を掴まれ、ユニフォームごと体を引き寄せられる。
「……やめていただけますか、他のお客様も見てますので」
「俺とお前が話してんだよ、他の客は関係ねえ!」
「ですがスタッフが私だけになりますと、レジも混雑してしまいますので」
「んなこと、どうでもいいって言ってんだろ!」
「おっ、お客様ぁ!? いかがいたしましたかっ!?」
バックヤードから店長がやってきた、椎が呼んできてくれたのだろう。
「なんだよ、この舐めたガキは。不愉快だからクビにしろ」
「もうっっっしわけ、ございませんん~! 大っ変お手数ですがっ、イチからご事情をお聞かせ願えますかっ!?」
店長がわざとらしく大きな声で謝罪する。そこでようやく赤髪も周囲の目が気になり始めたのか、
「……チッ、もういい」
と、舌打ちして店を出て行った。
「店長、ありがとうございました」
「こっちこそ売り場任せっきりでごめんね~。デスクワークがぜんぜん片付かなくってさぁ~」
言いながら店長はさっさとバックヤードに引っ込んでしまった。あまりのマイペースっぷりに、笑いすらこみあげてくる。
それから忙しい時間が続き、一段落したタイミングで椎が話しかけてきた。
「さっきは、ありがとう」
「災難だったね。またああいうことがあったら遠慮なく呼んでよ」
「私ったら本当にダメね。あれくらい一人で相手できるようにならないと……」
「違うよ、あれはただのセクハラ。次も絶対相手にしなくていいから」
遊星が強めに言い切ると、椎が不思議そうな顔をした。
「……意外」
「え?」
「君でも怒ることがあるんだ」
「怒るっていうか、許せないだけかな。こっちの立場が弱いことを理解して、わざと
なにやら自分が早口になっていた気がして、急に気恥しくなってくる。すると椎はそんな遊星を見て、薄い笑みを浮かべた。
「君って、いい人なのね」
「……え?」
「ううん、なんでもない。残りもがんばりましょう」
椎はそう言って、となりのレジに戻って行った。
(風見さんの笑った顔、初めて見たかも)
少し天然なところもあるが、顔つきは同年代と思えないほど大人びている。そんな女子に笑みを向けられれば、遊星だって当然ドキっとしてしまう。
(そう考えると風見さんの天然って、完全にチャームポイントだよな)
本人に言ったら間違いなく怒られるだろうけど。
***
「私、ちょっと買い物していくわ」
退勤後、椎はそう言って先にロッカーを出て行った。
なんとなくいつも一緒に店を出ていたが、別に一緒に帰る約束はしていない。
どうせすぐに分かれ道になるし、いまのが別れのあいさつだろう。遊星はそう解釈して店を後にし、家に向かって行ったのだが――
「ちょっと、どうして先に帰るの!?」
と、椎に呼び止められてしまった。
「……えっと、ごめん?」
「はい、これ」
そういってビニール袋の中から、クーリッチュと呼ばれるアイスを差し出してきた。凍結したバニラを少しずつ溶かし、シャーベット状のまま吸って食べるアイスだ。
「……くれるの?」
「君には、たくさん助けてもらったし」
「ありがとう。これ、僕も好きなんだ」
アイスを受け取り、その場でお互い黙り込む。
物だけもらってさよならとは言いづらいし、遅い時間に女子を引き止めるのも気が引ける。
そんなことを考えていると、椎が道の先にある灯りを指して言った。
「……あっちの公園で、少し話さない?」
椎からの思わぬ提案に驚いたが、特に用事もないので応じることにした。
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