3-4 後輩ちゃんは、仕事疲れを癒したい

「お疲れ様でした~!」


 退勤時間を迎えた遊星と椎は、夜勤担当と交代でバックヤードに戻る。


「ずっと立ちっぱなしだと、やっぱり疲れるね」

「……そうね」


 椎は休憩用のパイプ椅子に座ると、額に手を当てて大きなため息をつく。


「風見さん、大丈夫?」

「うん。気にしないで」


 同じ時間働いたとはいえ、椎の疲労度は遊星より遥かに大きかったと見える。


 理由は明白。

 今日一日見ていてわかったが、椎はかなりのあがり症だ。


 仕事前は素振りも見せなかったが、お客さんを前にすると途端に動きが硬くなる。指は震えて、声はこわばり、操作ミスで何度も酒井さんを呼んでいた。


 そしてミスをした後は……なぜか遊星に恨めしい視線を送ってくる。これだけは最後まで徹底していた、理由は怖くて聞けていない。


「動くのがツラかったら休んでから帰りなよ、帰りは歩き?」


 椎は首を軽く振って自転車、と答える。


「だったらちゃんと休んで行こう。事故にでもあったら大変だし」

「そんなことより。昼間のあれ、なに?」

「あれ?」

「二人、遊びに来たでしょう」

「ああ、うん。聞いてなかったからびっくりしたよ」


 千斗星はともかく、陽花まで来てくれるとは思わなかった。天球高から店までは近くないし、結構な距離を歩いたはずだ。


 しかも遊星の初めてのお客さんになりたい、なんて可愛い理由で。いまから陽花と連絡する約束を思い出し、早くも胸が温かくなる。


「ああいうの、よくないと思うわ」

「えっ?」

「今日は勤務初日じゃない。それなのに知り合いとお店で私語なんて」


 冷や水を浴びせるような一言に、遊星は言葉を詰まらせる。


「私たちはお金をもらって仕事してるのよ、仲良くお話する場所じゃない」

「……誰にも迷惑はかけなかったと思うけど」

「でも他のお客さんが見たら、いいイメージは持たないでしょう?」

「それは、そうかもしれないけど」

「でも他人からすれば、遊んでると思われてもおかしくない」

「……そうだね、次から気を付けるよ」


 理不尽だと感じつつも、とりあえず頷いておく。


 椎は明らかに本調子ではないし、単に機嫌が悪いだけかもしれない。遊星だって疲れているし、これ以上の言い合いもしたくない。


 どこか気まずい空気を抱えたまま、二人はユニフォームをロッカーに仕舞い店を後にする。


「天ノ川くん、家はどっち?」

「左に歩いて二分くらいかな」

「……そう。私とは逆の方向ね」

「そっか、じゃあお疲れ様。気を付けて」

「お疲れ様」


 椎は自転車に跨って、暗い夜の道へと消えていった。


(遅い時間だけど自転車で来てるわけだし、送っていくって言うのも変だよな)


 そんなことを考えている間もなく家に着いた。あらためて徒歩二分の素晴らしさを実感、学校も家の隣に引っ越してこないだろうか。


 遊星はリビングに着くなり、そのままソファにダイブをして四肢を伸ばす。


 さすがに疲れた。思えば朝八時に家を出て以来、自由が訪れたのは十三時間ぶりだ。


 しばらくソファの柔らかさに身をゆだねていると、眠気が襲ってくる。


(……そうだ、陽花に連絡しないと)


 体を起こしてメッセージを送ると、すぐに既読がつく。連絡を待ってくれていたのかも、なんて考えるだけで嬉しくなってしまう。


(ヤバいなあ。陽花のこと本当に好きになってる)


 先ほどまでの疲れも忘れて、暖かい気持ちに浸っているとメッセージが返ってきた。


『今日も一日、お疲れ様です』

「陽花もお疲れ様、今日は来てくれてありがとう」

『急に押しかけてすみませんでした、ご迷惑じゃありませんでしたか?』


 椎に言われた言葉が脳裏を掠める。

 が、あれはどう考えても本気にすべきことじゃない。


「大丈夫だよ、会いに来てくれて嬉しかった」

『そう言っていただけてうれしいです。ところで遊星さん、プリンはお手元に用意されましたか』


 そうだ、陽花に買ってもらったプリンがあった。遊星は冷蔵庫を開くと、わかりやすい場所に置かれたプリンを発見する。


 さすがの千斗星でも、このプリンを勝手に食べるという愚は犯さなかったようだ。もし手をつけられていたら、飯抜きくらいじゃ済ませなかっただろう。


 テーブルに置いたプリンの写真を撮り、メッセージと一緒に送信する。


「準備完了、もう唾液がエグいことになってる」

『私もです』

「ちょうど三十分になったら、一緒に食べよっか」

『はいっ!』


 陽花も今ごろは同じようにプリンを前にしているのだろう。ただプリンを食べるという行為を、ここまで楽しいイベントにしてしまう陽花は天才だ。


 分針ふんしんが真下を差したタイミングで、遊星はメッセージを送る。


「いただきます」

『私も、いただきます♪』


 冷たくて甘い感触を、時間をかけてゆっくり味わう。疲れているせいか、脳に糖分が染み渡っていくような感じがする。


(……明日もがんばろう)


 バイトを始めたのも陽花とのデート費用、そして誕生日プレゼントのため。予定していたあじさいデートは先になってしまったが、こうして陽花とささやかに繋がれるだけでも楽しい。


 明日に備えて陽花とのメッセージもそこそこに、遊星は早めに床についた。



***



 翌日のバイトでも椎と一緒だった。


 きっと同じ募集ポスターを見て申し込んだのだろう。急な欠員の穴埋めと考えれば、しばらく一緒の日が多くなるはずだ。


 であれば仲良くしたい。


 だが椎はあいかわらずそっけなく、ロッカー前であいさつをしたきり話せていない。

 

 今日は同じ時間に店長も来ているが、パソコンの前にかじりついて出てこない。他の先輩スタッフも来ておらず、新人二人がレジに立つカオスな状況である。


(人が足りないとは聞いてたけど、思った以上に大変だな……)


 そんなことを思っていると仕入れのトラックがやってきた。


「ちわーっす、これ伝票でーす」

「あっ、はい」


 とりあえず伝票を受け取ると、運転手が弁当の入ったケースを売り場に山積みしていく。


(これ、売り場に出していったほうがいいんだよな……?)


 店長は一向に出てこないため、バックヤードに確認しにいく。


「商品来た? じゃST渡しとくから検品しといて!」

「えっと、どう使うんですか?」

「マニュアル印刷しておくね!」


(ええ……)


 実際に操作してるところを見たかったが、仕方ない。受け取ったマニュアルを持って売り場に戻ると、レジに行列ができていた。


 すぐレジに戻ってお客さんをさばいていく。が、隣りにできた行列は一向に動く様子がない。


 椎は一生懸命に操作しているようだが、指先が震えていておぼつかない。並んでいるお客さんの表情も厳しい、トラブルかもしれない。


 遊星は目の前のお客さんに断りを入れ、椎のレジに駆けよっていく。


「なにかあった?」


 椎は遊星に気付くと一瞬ためらってみせたが、


「返金処理のやり方、忘れちゃって……」


 と消え入りそうな声で言った。


「レジ、交代しようか。そっちお願いできる!」

「う、うん……」


 遊星は改めてお客さんに謝罪を入れ、昨日酒井さんに軽く教わった返金処理をする。


 あらかたレジを打ち終えると検品作業に入り、また混み始めればレジに戻るの繰り返し。検品が終わった後は自分の判断で、商品を売り場に並べることにした。


(……きっと店長は細かく指示をしないタイプだ。昨日も酒井さんが検品後に商品を出してたから問題ないはず)


 棚には値札も下がっているし、その場所に並べておけば間違いないはず。最悪ちゃんと冷えていればクレームは入らないはずだ。


 そうやって遊星が品出しをしていると、椎の慌てる様子が何度か目についた。


「マルメン8ミリ」

「……えっと」

「だからマルメン8ミリ、って言ってるだろ!」


 手ぶらの男性が不愛想に言い、椎が慌てている。さすがに放っておけず、すかさず遊星がヘルプに入る。


「お客様っ、ごめんなさい! 僕たちまだ新人でっ、タバコは棚の番号で言ってもらっていいですかぁーっ?」


 遊星が笑顔で駆け寄ると、男性はタバコの棚に目を向ける。


「……三十五番」

「ご協力ありがとうございますっ!」


 その他にも――


「袋が三円? 前はタダだったのに?」

「……は、はい」

「なにそれ、信じられないっ。それくらいサービスしなさいよ!」


 またしても遊星が割り込んでいく。


「お客様、すみませんっ! 半年前からみなさんにお代をいただいてるんですー! 申し訳ございませんが、ご協力をお願いしますっ!!」

「……はあ、仕方ないわね」

「ご協力ありがとうございます!」


 それからも何度か椎のヘルプに入ったが、大きなトラブルもなく退勤時間を迎えることができた。




「いやぁ~今日は大変だったね」


 ロッカー前で体を伸ばすと、肩回りがぽきぽきと鳴る。


 しかも店長は途中で「ごめん、他の店舗に呼び出された!」と言っていなくなってしまった。……もう、なにも言うまい。


 椎も昨日以上に疲れた顔をしている。

 だが必要以上に話しかけると、昨日みたいに要らぬことを言われてしまうかもしれない。


 触らぬ神に祟りなし。

 そう思った遊星は一足先にロッカーを開け、早々に帰り支度を始めてしまう。


 すると――


「……今日は助けてくれて、ありがとう」


 目を伏せた椎が、気まずそうな表情で言った。

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