3-3 天ノ川遊星と、初めてのお客様
店長に見捨てられ、マニュアルを読みふけること三十分。バックヤードに顔を出した酒井が投げやりな声で言った。
「そろそろレジ触ってみよっか~?」
「「は、はいっ!」」
「とりまユニフォーム着替えといて~」
机に置かれていた緑一色のユニフォームを広げる。
(こんなパステルな緑色、自分に似合うのだろうか……)
とはいえ、着るしかない。
これまでコンビニ店員の顔を見て、ユニフォームが似合ってるかどうかなんて考えたことがない。客からすれば店員の顔なんてどうでもいいはず、気にするだけ無駄だ。
そんなことを考えていると、椎が困った表情で訊ねてくる。
「ねえ、更衣室はどこかしら」
「そこにロッカーがあるし、借りちゃっていいんじゃない?」
「で、でもここで着替えるわけにいかないでしょ? 君だってとなりにいるわけだし」
「……それってなにか問題ある?」
「あるに決まってるじゃない!」
なにやら会話が噛み合わない。
「うん? だってユニフォームを着るだけでしょ?」
「だからっ、服を脱がなければ着替えられないでしょ!」
「……別に脱がなくていいと思うよ。上から羽織れば」
遊星はユニフォームの前チャックを開き、Tシャツの上から羽織って見せる。
すると椎はぽかんとした表情をした後、自分の勘違いに気付いて顔を赤く染めた。
「あ、あぁ、そういうことね……!」
どうやらユニフォームは地肌の上に着るものだと思っていたらしい。だから更衣室がないと騒いでいたようだ。
ユニフォームの下は下着だけ。色々と想像が捗るし、椎がそうしたいというなら遊星に止める理由はない。勤務初日に攻め過ぎではあるが。
「もし羽織るとこ見られるのも恥ずかしいなら、先に出てるけど」
「だ、大丈夫よ。あんまり引っ張らないでっ」
椎が顔を赤くしながら不貞腐れたように言う。
(……風見さんも可愛いところあるんだな)
先ほどまでのクールなイメージはどこへやら。天然とも思える発言に、ほっこりしてしまう。
椎がユニフォームに着替えるのを(一応は背を向けて)待ち、ようやく遊星たちはレジ前デビューを果たした。酒井は遊星たちに気付くと、片方のレジに休止中の札をかけて研修モードに変更してくれた。
「適当に店の物でレジ打ちの練習してみて。弁当とかの生ものは触んないでね」
酒井の指示通り四点ほどの商品で、交代でレジ打ちの練習をする。最近は支払いやお釣りを自動精算するレジもあるが、このコンビニはいまも手渡し方式である。
ドロワーを開いてお札の場所やお釣りの位置も把握する。他にもお札の渡し方や、電子決済やクレジットカードでの支払方法を椎と一緒に確認する。
これなら問題なさそうだ、と二人は軽い自信をつける。成績上位者というだけあって二人とも地頭は良い。そもそもアルバイトにやらせられる仕事は、誰にでもできる仕事が前提である。
「じゃ普通にお客さん応対してみよっか。片方は俺が後ろについとくけど……どっちかは一人でやってみっか」
「……僕が一人でやります!」
「おっけ、わかんなくなったら声かけて~」
研修モードを解除してもらい、休止中の札が外れる。椎と酒井はもう片方のレジに移り、いよいよ独り立ちである。
(緊張もするけど、ワクワクするなっ!)
学校以外の枠組みで、社会に足を踏み出したのは初めてだ。期待と不安がないまぜになり、緊張に胸が高鳴っていく。
落ち着こうと深呼吸をしたところで、二人の女子高生が店に入ってきた。
「いらっしゃいませーー!」
声を張り上げて入り口の方を見る。
すると二人の女子高生はくすくすと笑いながら、まっすぐ遊星のほうへ歩いてきた。
そして遊星を指差して、一言。
「お兄、めっちゃ緑色でウケんだけど!」
千斗星だった。
「笑っちゃダメですよ、ちぃ!」
「陽花だってさっきまで笑ってたじゃん!」
「そ、それはっ。ユニフォーム姿の遊星さんが可愛かったから……」
「えぇ~!? そんな笑い方じゃなかったと思うけど」
「ち、ちぃ!」
陽花と目が合うと、申し訳なさそうな顔で会釈をされる。
「すみません、急にお邪魔しちゃって」
「それは別にいいけど……もしかして放課後の用事って、これ?」
「はい。遊星さんが初仕事をされるなら。どうしても最初のお客さんになりたくって……」
「そ、そっか」
気を張っていたところに陽花が現れ、恥ずかしいやら照れくさいやらで上手く言葉が出てこない。千斗星は気を遣ったつもりなのか、陽花をほったらかしにしてアイス売り場に向かってしまった。
「……なんか、買う?」
「あっ、そうですね。ちょっと待っててください、すぐ選んできますからっ!」
そういうと陽花はデザート売り場に走って行き、プリンをふたつ持って再びレジ前にやって来た。
「これで、お願いしますっ!」
「う、うん。スプーンはおつけしますか?」
「おつけします!」
店員姿の遊星を見て、陽花はにっこにこである。
「お会計は、三百九十円です」
「では四百円で」
「……十円のお返しです、レシートいりますか?」
「絶っ対に、欲しいです!」
「お、おう」
食い気味に言われて遊星はタジタジとレシートを受け渡す。店名の下に「天ノ川遊星」の文字が刻まれたレシートだ。
それを陽花は両手で受け取り、胸の前で大事そうに包み込む。
「一生の宝物にします」
「おおげさだなぁ」
「それでも、欲しかったんですっ!」
陽花の嬉しそうな顔を見て、遊星も思わず笑みを浮かべる。
「そして、プリンはおひとつ差し上げます」
「えっ?」
「初仕事祝いです。ちぃに持って帰ってもらいますので、仕事終わりに食べてください」
「あ、ありがとう……」
「仕事終わりは二十一時でしたよね。二十一時半には帰れそうですか?」
「大丈夫だと思う」
「もし家についたら連絡ください。遊星さんと同じ時間に、私も一緒に食べますので」
(ぐうぅっ……今すぐに抱きしめたいっ!!)
あまりにも可愛いことを言われてしまい、初仕事の緊張感が飛んで行ってしまいそうだ。まさか初めてのレジ打ちに、こんなきゅんきゅんなイベントが待ち受けていると思わなかった。
遊星は深呼吸をし、桃色な気分を吹き飛ばす。
「帰ったら連絡するね、必ず」
「はいっ!」
陽花との会話が一段落したところで、改めて店内を見回す。
すると千斗星はもう片方のレジ――椎のレジでスナック菓子とジュースを並べていた。
(アイツっ! 夕飯まで作って行ったのに、あんなにお菓子を食べるつもりかっ!?)
とはいえ千斗星もお客様だ。ここでそんなに買うなと言えば営業妨害である。
千斗星もそれがわかっているからなのか、ニンマリした顔でこちらを見ている。あまりのウザさに
「ひゃ、ひゃっぴゃくっ、ぎょびゅうえん、ぇすっ!」
「え、なんて?」
「かっぴゃく、ぎょじゅっ――っ!」
……どうやら舌を噛んだらしい。小声ゆっくりと八百五十円、と言い直した。
「千円でー」
「ひゃっ、ごじゅえん、お返し、です」
会計を済ませると千斗星がレシートに目を通し、すぐさま突っ返す。
「ポテチとコーラ、二個打ちされてるみたいなんですけど?」
「え、えっ……あっ、すいませんっ!」
椎は指を震わせ、後ろにいる酒井に助けを求める。
「ありゃ、ごめんね~。すぐ打ち直すんでぇ~」
酒井がレジ操作を変わり、どうやら事なきを得たようだ。後ろで操作を見守る椎は、むすっと納得のいかない表情をしていた。
「じゃお兄、仕事頑張ってね~」
「お前は菓子食い過ぎるなよ」
「は~い」
「では遊星さん、私も失礼します」
二人に軽く手を振り、遊星の初接客は終了した。
店を出て少し経ったあと、酒井が
「なになに~、さっきのは彼女ぉ~?」
「……妹と、仲のいい友達です」
「友達~? めっちゃイイ空気カモしてたじゃ~ん」
「ははは……」
その場は笑って誤魔化すことにした。
「とりまアマノガーくんは接客大丈夫そうだから、その調子で。カザミさんはもっと肩の力抜いてこっか~」
「……はい」
それから椎と一緒に退勤時間までレジを担当し続けた。
途中わからないことはいくつかあったが、初日にしてはよくやれたと思う。
だが問題なのは椎だった。
お客さんがやって来るたびにまごついてしまい、たびたび酒井がフォローに入っていた。
初日だ、慣れずに緊張するのは仕方ない。
だが気になったのは椎がこちらに向けてくる視線だった。
なぜかミスをするたびに、遊星に恨めしそうな視線を向けてくるのだ。まるで「あなたのせいでミスしたじゃない」と非難でもするように。
もちろん自分に原因があるはずもないので、遊星としてはどうしようもない。
初めての接客と理不尽な視線に耐えて、数時間。
ようやく遊星の初仕事は終わりを迎えたのだった。
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