2-29 騒動を終えて①

 あれから騒動はゆるやかに解決に向かっていった。


 一時は教頭にやり込められた氷室先生も、桐子の立場を守るため奮起してくれた。


 しかし、停学を免れることはできなかった。喧嘩は複数の生徒にも目撃されていたため、処分なしでは他の生徒に示しがつかなかったからだ。


 だが処分内容には桐子への温情が見られるものであった。それは投稿者が十四日の停学を受けたのに対し、桐子は七日の停学で済んだからである。


 もちろん桐子の内申点にキズがついたのは確かだ。それでも今回の件は、桐子が全面的に悪いわけではないことが認められた。


 生徒会長としても――続投。

 そもそも新しい生徒会長を立てようとしても、希望者なんか現れない。


 こんな中途半端な時期からやりたがる人もいないし、会長を変えるなど対外的に問題があったと喧伝するようなもの。停学処分を受けて反省してくれればそれでいい、終わった話は蒸し返したくない。それが学校側のスタンスだった。


 動画騒ぎについても動画サイトからの削除、生徒たちが保持するデータを消すようにとの案内のみで決着。名誉棄損などの話には至っていない、桐子自身がすべてを不問としたからである。


 投稿されていたのも半日に満たない時間であり、天球高外部の人間からしたら別に面白くもない動画だ。騒ぎが大きくなったのは桐子の悪目立ちも一因であったし、生徒会長を続投する上で禍根を残したくない。そのため自業自得だったとして呑みこむと決めたようだ。


 もちろんそれで桐子への悪感情がなくなるわけではない、生徒会長としての続投を疑問視する声も多い。


 そして誰より生徒会長へ厳罰を求めるが――行動を起こした。



「……桐子、ホントにやるのー?」

「やるに決まってるでしょ。こうでもしないと生徒会長としての示しがつかないわ」

「でも絶対、後悔するよー? 十年後も二十年後も思い出して、あばばばばーってなるよ?」

「構わないわ」

「先生たちもめっちゃ反対してたし」

「校則違反するわけでもないじゃない」

「……そりゃ、そーだけどぉ」


 厳罰を求める過激派、それは桐子自身だった。


 今回の件は教員も大多数の生徒も、投稿者の非が大きいという認識で一致している。


 だが桐子はもっと大きな罰を望んだ。桐子は停学期間中にこれまでの行いをかえりみて、会長に相応しくないことをしてきたと自覚した。


 それでも会長は続けなければならない。


 辞めるのは簡単だが逃げることでもある。


 だが自分には生徒会長の役職に見合う、人望も信頼も持っていない。


 どうすれば挽回できるか、少しでも人望を得られるような人間になれるか?


 そして考えついたのが、今回のみそぎだった。


 いま生徒会室には多数の観客ギャラリーが訪れている。事前に生徒会室で、それが行われていることを発表していたからだ。


 先日の拡散事件もあったため、一般撮影は禁止。代わりに新聞部部長である折鶴が、一部始終を収めるためデジカメを構えている。


 そして当の桐子は穴の開いたゴミ袋を逆さに被り、そこから頭を出している。


 これから起きることに、覚悟を決めた表情だ。




 教師たちは桐子の禊に大反対。まるで学校側が罰を与えたように見えるから。


 桐子に近い者は反対。特に意味がなく、恥の上塗りになるだけだから。


 だが無関係な者は面白がって大賛成。




 当日まで桐子の意志は揺るぐことなく、ついに約束の瞬間が訪れた。


 斯くして、その禊とは――


「じゃあ桐子、覚悟はいーい?」

「いつでも」

「それでは封切の瞬間です。まずはひと房、ちょうだい申し上げまーす!」


 シャキン。


 美ノ梨が握っていたハサミを鳴らす。

 すると肩甲骨ほどまであった桐子の黒髪が、ばさりと音を立ててブルーシートの上に落ちる。


 そして美ノ梨は持っていたハサミを、岩崎に手渡した。


「岩崎くんも、いっちゃって?」


 恐怖の対象であった桐子にハサミを入れる。あとで怒られないかとか、女子にそんなことをしていいのか、など葛藤が渦巻く。だが――


「……会長っ、これで生まれ変わってくださいっ!」


 シャキン。


「佐々木くんも、私の首を撥ねるつもりで」

「そんな恐ろしいこと出来ませんよっ! ……でも、会長の覚悟は受け取りましたっ!」


 シャキン。


「怖がらせてごめんなさい、橋本さん」

「……本当に後悔しませんか?」

「ええ、ひと思いにやっちゃって」

「わかりました。終わった後に、またお話をさせてください」

「うん……」


 控えめな返事と共に、橋本の手から「ギュイィィー!」と凶悪な機械音が響き渡る。




 バリカンだ。




 そして激しく振動するバリカンを、桐子の頭に押し当て……芝刈りを開始した。



 断髪式。

 それが桐子が自らに課した禊だった。





 翌朝。丸坊主になった桐子は、自発的にあいさつ強化週間へ突入した。


 いままでの人を見下した態度はどこへやら。校門前で目をキラキラに輝かせ、ヘタクソな作り笑いで生徒全員におはようございますの声。


 朝日のように輝く頭と、無視できないほど大きな声。誰もがぎょっと驚いてしまうほどの異様な存在感。


 だが三日も経つと、苦笑しながらあいさつを返す生徒も現れるようになった。ピアスの女子に頭をペタペタ触られても、桐子は笑いながら受け入れていた。


 そして顔写真付きの謝罪文も、新聞部経由で公開された。



 喧嘩で停学になってしまったこと。


 横柄なふるまいで関係各所に不愉快な思いをさせたこと。


 生徒会長という肩書に自惚れてしまったこと。



 そのすべてを反省し、一からやり直したい。胃もたれするほどの暑苦しい文章は……ほとんどの生徒に流し読みされた。


 実際のところ、生徒会長なんてほとんどの生徒にとってどうでもいい存在だ。卒業してしまえば顔さえ思い出せない、役に立つなにかをした人くらいの認識しか残らない。


 それでも桐子は反感を買うには十分なことをしてきた。生徒会に関わる生徒や教員は、ネチネチとうるさい桐子を疎ましく思ってきた。


 だが、その写真を見ると誰もが失笑してしまう。


 睨むために作られたような細い目はギンギンに見開かれ、こざっぱりした頭に大げさな笑顔。


 その顔を見ていると、バカバカしくなってしまう。


 無論、桐子にいまでも反感を持つ生徒は多い。だがほとんどの生徒は、そうやって少しずつ桐子への毒気を抜かれてしまった。


 そして桐子にはあだ名がついた。


 鬼会長と。


 桐子は内心、それを喜んだ。


 だってそれはみんなの笑いと信頼を集める、ミスター失恋と呼ばれた誰かさんみたいだったから。



***



 そしてクラスで謝罪記事を手にした遊星は……教室で一人、おののき震えていた。


 あまりにも変わり果てた桐子の姿、それを目の当たりにして遊星はなにを思うのか。付き合いの長い亮介でさえ、思わず話しかけることをためらってしまう。


「お、おい。遊星、大丈夫か?」

「……こんなの見せられて、平気でいられると思うか?」

「まあ、そうだよな。あんだけベタ惚れしてた女が、こんな姿になっちまったらな……」


 そこに高嶺の君と評されていた美しさはない。あるのは笑われることを生業とした、芸人のような表情だ。


「でも、まあ終わったことだ! それにお前には村咲ちゃんがいる! ったく、うらやましいぜ!」


 亮介はわざとらしく大声を出し、遊星の肩を叩く。


 だが遊星には聞こえていないのだろうか、記事に視線を向けたまま小さな声でなにかつぶやいた。


「……こいいんだ」

「ん? なんか言ったか?」

「……なんてカッコいいんだ、桐子さんはっ!」


 紙面から顔を上げた遊星は、鼻の息を荒げて興奮に打ち震えていた。


「見ろよ、この潔さ! 自分の非を認めるや否やの即断即決、外見を変えることに恐れさえ抱かない!」


 あまりのテンションの高さに、亮介はたじろぐ。そしてどこか既視感のある光景、それは桐子に助けられた頃の遊星にとてもよく似ている……


「イメチェンって覚悟がいるんだぞ? それなのにっ、桐子さんはっ、一週間で劇的な変身を成し遂げたっ!!!」


 断髪式は停学が明けてすぐに行われた。謝罪記事も停学中に書き上げたらしく、まだ投稿者の停学だって明けてない。


「さすがは桐子さんっ! 僕にできないことを平然とやってのけるっ! そこにシビれる、あこがれるっ!!」


 遊星は立ち上がると体に腕を巻きつかせ、自分を抱きしめながらくるくると回り始める。その恍惚した表情に、亮介はとても恐ろしいことを考えてしまう。


「……遊星。一応聞いておくが、また会長のことが好きになった、なんて言い出さないよな?」

「うん? 桐子さんのことはずっと好きだけど?」

「いや、そっちじゃなくてラブのほうだ」

「あ~、これはそういうのじゃないよ」


 平然と言ってのける遊星を見て、亮介は胸をなでおろす。これがまた火種となって、陽花を巻き込んだ三角関係になったら目も当てられない。


「ただ桐子さんは本当に素晴らしく、カッコいい人だなーって。それだけだよ」

「そっか、安心したぜ」

「どっちみち桐子さんが僕を選ぶことはなかったわけだし」

「……ここまで来たら、そう思いこんだままの方が幸せだよな」

「?」


 その言葉の真意は、遊星には最後まで理解できなかった。

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