2-28 職員室②
「……教頭先生。そんな言い方、しなくてもいいのではないでしょうか?」
遊星が口を挟むと、教頭は露骨に不快な顔をした。
「教師でもないお前は黙ってろ」
「いいえ。先ほどから今回の件とは無関係の話ばかりされています。それに恫喝するような言葉は聞いてて不愉快です」
「だったら出て行けばいいだろう!」
(退席を指示してもらえなかったら、聞かされてるんだけどね……)
だが、ここまで聞いては引き下がれない。
先ほどから教頭は叱っているのではなく、怒っている。目的が桐子の更生になく、鬱憤を吐き出しているだけだ。
事件を起こしたのが事実でも、ここまで責められる理由はないはずだ。隣に座っている陽花も、不快感を顔ににじませている。思うところは同じなのだろう。
「出て行っても構いません。ですが会長も一緒にお連れします」
「なに勝手なことを言ってるんだ? 鬼弦は問題を起こした張本人だ、退席するなんて許されるはずがないだろう!」
「問題を起こした張本人? それは動画を投稿した人でしょう?」
「それはもちろんだ。しかしどんな理由であれ、相手を殴っていい理由にはならない」
「ああ、やっぱり会長が喧嘩したのは動画の投稿者なんですね」
遊星が言うと、教頭がしまったと言う顔をする。先ほどから暴力事件という言葉は聞いていたが、相手と動機については聞いていない。
投稿者の特定を防ぐため、伏せていたのだろう。だが喧嘩相手が投稿者なら、少しは
「だったら喧嘩の動機は明確ですよね。勝手に動画を上げられたら腹が立つのは当然だと思いますけど」
「……だから言ってるだろう。どんな理由であれ、殴っていいはずがないと」
「もちろんです。でも明確な動機があるのに、停学は重すぎませんか?」
「それを判断するのは我々だ。教職員でもない一生徒が勝手なことを言うな!」
「そうですよね、教職員全員で決めることですよね。ではなぜ停学の話をチラつかせているんですか? それって教頭先生の独断じゃないんですか?」
「き、貴様ぁっ……!」
「教頭先生という立場なら生徒を脅しても構わないんですか? 大人げないと思わないんですか?」
先ほど桐子に吐いた言葉を代わりに打ち返す。遊星の皮肉が伝わったのか、教頭は禿げ上がった頭のてっぺんまで赤くする。
「会長も退出させてもらえないのであれば、僕も残ります。このままだと不当に会長が傷つけられるかもしれませんので」
「さっきから勝手なことばかりっ……!」
「私も残らせていただければと思います」
陽花が後に続くと、教頭が胡乱な目を向ける。
「……村咲、いまのは聞かなったことにしてやる。一年の内から目をつけられるような行動は、慎んだほうがいいぞ」
「お気遣い、痛み入ります。ちなみにそれは内申点を下げるという脅しでしょうか?」
陽花が笑みを崩さず聞き返すと、教頭は面食らった様子で返答に窮する。そして返事がないことを確認すると、穏やかな口調で切り返す。
「そのような意図であれば聞かなかったことに致します。まさか人の上に立たれる教頭先生が、脅しでしか人を従えないとは思いませんので」
「くっ! どいつもこいつもっ!」
教頭が苛立ちを隠せず、床を蹴るように立ち上がる。
「……氷室先生、私は席を離れる。彼らが勝手なことをしないよう、目を光らせておいてくれ」
そう言ってパーテーションの外に出て行った。教頭の足音が遠ざかるのを確認し、残された四人は同時に溜息をつく。
緊張の糸が抜けたと同時、最初に口を開いたのは氷室先生だった。
「天ノ川、すまない。私がもっとしっかりしていれば……」
「先生は悪くありませんよ。僕が生徒会を辞めたせいで、立場を悪くさせてしまったんですから」
「それは関係ない。どんな理由であれ、大人である私が君たちの盾になるべきだった。この歳にもなって、本当に情けないよ」
「では教頭先生が帰ってきた後は、期待してますよ?」
「任せてくれ。グレート・ティーチャー・ヒムロになったつもりで生徒を守るとするよ」
「……なんで急に横文字なんですか?」
「す、すまん。忘れてくれ」
氷室先生は誤魔化すように頭を搔く。
「陽花もありがとね。僕ひとりじゃ摘まみ出されてたかも」
「いえ。私も残るべきだと思ったので、そうしたまでです」
「笑顔でぴしゃりと教頭を言い負かすとこ、カッコよかったよ」
「最初に立ち向かったのは遊星さんじゃないですか、私はそれに
遊星と陽花が互いを称え合っていると、聞き洩らしそうなほど小さな声が耳をかすめた。
「……どうして、庇ってくれたの?」
桐子が弱々しく、いまにも嗚咽に変わってしまいそうな声で言った。
「私、あなたたちにひどいことを言ったのに。生徒会から出て行けって、言ったのに……」
瞳は俯けたまま、合わす顔がないとでもいうように。
「天ノ川くんにはもう、私を助ける理由なんてないじゃない。……それなのに、どうしてまだ私のこと、助けてくれるの?」
「理由なら、ありますよ」
「嘘。あなたはもう、私のことなんか……」
「桐子さんは一年前、僕のことを助けてくれたじゃないですか」
遊星にとって桐子は”昔好きだった人”であり、危ないところを助けてくれた”恩人”だ。
「あの日のこと、はっきり覚えてます。僕に差し伸べてくれた手が……震えていたことだって」
男三人に立ち向かうなんて、簡単にできることではない。下手したら矛先が自分に向くかもしれない、知らない誰かが代わりに助けに行くかもしれない。
そんな葛藤だってあったはずなのに、桐子は見捨てずに踏み出してくれた。
「桐子さんを尊敬してるのは本心です。これからだって困ったことがあったら助けたいです。少なくともお互いの姿が目に入るまでは」
桐子は遊星の想いを拒絶し、遊星もそれを受け入れた。だから桐子が卒業してしまえば、どうあっても関係は疎遠になる。
でも手が届く範囲であれば。その人の力だけでは、どうにもならないことが起きてしまった時だけは。
躊躇なく助けてあげられる人になりたい。桐子が、そうしてくれたように。
「なので残り一年だけ辛抱してください。できる限り桐子さんの視界に、入らないようにするので」
遊星の言葉に、桐子はぶんぶんと首を振る。
「助けてくれて、ありがとう。支えてくれて、ありがとう……」
桐子は言葉を絞り出すと同時、嗚咽を抑えきれずに両手で顔を覆い隠した。
初めて見てしまった、桐子の泣き顔。駆け寄りたい衝動をこらえ、遊星はそっと目を伏せる。
遊星がこれ以上、してやれることはない。
できるのは尊敬する桐子の泣き顔を、少しでも早く忘れることだけだった。
―――――
※教頭先生が退出する際の描写を少しだけ編集しました!
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