2-26 荒れる校内
朝、登校すると遊星の席に先客が座っていた。
「おはようございます、美ノ梨さん?」
あいさつに気付いた美ノ梨は、真面目な顔で席を立つ。
「……ちょっと来て」
いつもと違う態度を不思議に思いつつ、美ノ梨に腕を引かれて階段近くまで連れ出される。
「動画、見た?」
「なんの話です?」
「これ」
渡されたスマホを覗き込むと、桐子と陽花が向き合う姿。昨日、陽花のクラスに桐子が来た時の映像だ。
だが映っている画面は、遊星も見慣れた動画サイトであることに気付いた。それがどのような意味を持つかについて理解した時……遊星の背筋に怖気が走る。
「ど、どういうことですかっ、これ!?」
「誰かが動画をアップロードしたみたい、これっていつの出来事かわかる?」
「昨日です」
「じゃあ昨日の内に誰かが上げたんだ、ヤバイことするなあ……」
美ノ梨の目が、声が笑っていない。それが事態の深刻さを表している。
誰かが面白がって動画を上げたのだろうが、まったく笑えない。
投稿時間は日付が変わるギリギリの時間帯。再生数は多くないが、それに対してコメントの数が多い。
動画のコメントは……見るに堪えないものばかり。
「上げたのは天球高の誰か、でしょうね。コメントもうちの生徒が多そうだ」
「アップロードしたアドレスが拡散されたんだと思う。削除申請はしたけど、すぐは消えないよねぇ……」
どんな動画であれ、サイト運営者に問題と判断されなければ削除はされない。
問題であることは見れば伝わるはずだが、なにせ利用者の多いサイトだ。無数の問い合わせから一件の削除申請を見つけ、すぐに消してもらえるとは思えない。
撮ったのはきっと、陽花のクラスメートだろう。
だがアップロードしたのが撮影者と同じとは限らない。撮影者が元動画を共有していれば、受け取った人がアップした可能性もある。
動画をもらった人がさらに拡散していれば、動画の所有者はネズミ算的に増えていく。アップロードした人を特定するのは、なおさら難しくなるだろう。
だが、なにもせずにはいられない。こうしてる間にも桐子の名誉は汚されているのだから。
「とりあえず、撮影者を探しましょう」
「大丈夫? ホームルームまであと十分もないけど?」
「なにもしないよりマシです」
「……うん、そうだね」
二人は階段を上がり、陽花のクラスがある四階へと向かう。ほどなくして教室に着くと、上級生の登場にクラスは一斉に静かになっていく。
「遊星さんっ!」
険しい顔をした陽花が寄ってくる。
「ごめん、ちょっと相談したいことがあるんだけど」
「動画の件、でしょうか?」
「……うん」
「動画を撮影した方には名乗り出てもらいました。それとクラスのみなさんには、これ以上の拡散はしないようお願いしてあります」
すらすらと陽花が答えるのを聞き、思わず美ノ梨と顔を見合わせる。
「ひーちゃん、すっご。テレパシー受信しちゃった?」
「いえっ、ただ押さえるのはこの辺かな、と思いまして……」
「ううん、合ってる。さすがだよ」
褒められた陽花は表情をパッと明るくさせたが、不謹慎とでも思ったのかすぐに引っ込める。
「……一応、撮影した人から話を聞かせてもらってもいいかな?」
陽花に案内され、撮影者の女子に話を聞かせてもらう。
結論から言うと、撮影者は動画サイトへの
彼女がしたのは撮影動画をグループメッセージにて共有、面白がった友達が保存してさらに別のグループメッセージへ共有。……結果、拡散に繋がってしまったようだ。
自分の撮った動画が騒ぎになってしまい、撮影した女子は深くうな垂れていた。
反省の影は見て取れたので強く注意はしなかった。入学したばかりの一年生に、上級生が詰め寄るのもかわいそうだ。
とはいえ、問題はなにも解決していない。
ひとまず遊星と美ノ梨は、その場を陽花に任せて一年の教室を出る。
「やっぱ、むずかしーね」
「はい。誰が投稿したかって聞いて回るのも大変ですし、正直に答えてくれるとも限らない」
「……それとさ、新聞部の折鶴くんも似たようなこと考えてたみたい」
「似たようなこと?」
「そ。先日の新聞に不満を持った桐子が、新聞部を活動停止に追い込むって脅したんだって。その音声を録音したから、新聞部のサイトにアップしたいって」
「……マジですか!?」
「うん。さすがにやりすぎって思ったから、折鶴くんには思い留まってもらったけど」
「さすがです」
遊星は胸を撫でおろして、美ノ梨に称賛を送る。だが、そこでふと別のことが気にかかった。
「……美ノ梨さん、意外ですね」
「なにがー?」
「生徒会の仕事でもないのに、ずいぶんと気にかけてるみたいだったので」
「……あ。美ノ梨が桐子のために走り回るのが、意外って言いたいんだー?」
「あ、いえっ、別にそういうわけではっ!」
「いいよぉ、確かに美ノ梨のキャラとは違うかもだし」
手をひらひらとさせ、美ノ梨が怒ってないとアピールする。
「美ノ梨も思うんだよね、桐子もたまには痛い目を見とけーって」
「……はい」
「だから友達から動画が送られてきた時に思ったんだ、ざまーみろって。でもさ、キツいコメント見てたら急に冷静になっちゃって……」
美ノ梨はそれ以上、なにも言わなかった。
だが言いたいことは薄っすらとわかる気がした。
「……とりあえず、なにかわかったら連絡を取り合いましょう」
「うん。ゴメンね、語っちゃって」
「僕でよければ、いつでも愚痴ってください」
「ホント? じゃーいまから二人きりで屋上いこっか?」
「……授業には参加してください、副会長」
***
結局、すぐに動画を削除させる方法は思いつかなかった。
妙案を思いついたら連絡し合うと約束して解散、予鈴ギリギリに自分の教室へ戻った。
遊星のクラスでも動画は話題になっていた。
既に動画のアドレスを知ってる人も多く、遊星は再生やコメントをしないようみんなに呼びかける。
途中、一人の女子が不思議そうな顔で聞いてきた。
「天ノ川くんはさ、どうして会長の味方するようなことしてんの?」
「だって見過ごせないよ。人に見られたくないところ切り取られて、一方的にヒドいこと言われてるんだよ?」
「……会長にはいい薬になるんじゃない?」
その意見に賛同する人は多いのか。止めようとする遊星に反し、このままでもいいんじゃないかという空気さえあった。
「あの人おかしいよ。傲慢だし、ムダに偉そうだし。天ノ川くんだってずっとパシリにされてたじゃん」
「会長の助けになりたくて、僕自身が望んでやってたことだよ」
「惚れてても限度があるっしょ。言葉遣いも乱暴だし、人を見下すような態度ばっか取って」
「だからって晒し者にされていいはずがない」
「でも少しくらいは思うでしょ? いい気味、って」
「全然、思わないよ」
「どうして?」
「……逆に聞きたいんだけどさ。僕はミスター失恋って呼ばれて、喜んでたと思う?」
長いこと封をしていた、心の蓋が少しだけ開く。
「フラれた話が拡散されて、見知らぬ誰かにカウントされる。失恋しても慰められず笑われて、忘れたい過去はいつまでもイジられる。……楽しいと思う?」
自分の声が低く、流暢になっていくのを感じる。
「好きな人がいたから、カッコいい自分でいたかった。でも笑い者にされてさ、笑われたくないけど空気を読んで受け入れた」
自分から笑われてもいいキャラを選んだわけじゃない。笑われざるを得なくなったから、仕方なくそのキャラクターを受け入れただけ。
笑われるキャラが定着し、顔が売れたおかげで渉外の仕事がやりやすかったメリットはある。
だが、その程度だ。過去の自分に未来が選べたとしても、絶対に選ばなかった未来だと思う。
「叶わぬ恋に何度も特攻する、面白いヤツだからバカにしてもいい。傲慢でムダに偉そうだからネットで叩かれて当たり前。……僕はそう思わない」
遊星が目の前の女子に視線を戻すと、怯えたような表情で目を逸らした。そこで教室全体の空気が、重くなっていることに気付く。
……やってしまった。つい、言葉に熱が入ってしまった。
どうやってフォローを入れようか。
そんなことを考えていると……亮介がわざとらしく大きな声を出した。
「確かにっ! 俺もよーく考えたら、お前のことをずーっとバカにしてたわー! 反省してまーす!」
「……絶対してないだろ」
遊星が呆れ気味に笑うと、亮介もニッとした笑みを返してくる。
その甲斐あって教室の硬い空気が緩み、あちこちから溜息のようなものが零れ始める。
そこで遊星も重くならないよう、軽口を言うようなノリでぼやく。
「ま、僕も悪いんだけどね。イヤだったことをイヤと言わなかったせいで、自分から笑われてもいい空気を作ったんだし」
遊星は笑われることもプラスに切り替え、味方が増える追い風と思い込んでた時期があった。
天球高はウワサが広まりやすい。だからウワサが広まることを、悪いと思わない人が多いように思う。
「会長のことを好きになれとは言わないけど……晒し物にされるのはいい気分じゃない。それだけは覚えておいて欲しいかな」
「……そだね、私も勝手なこと言った。ごめん」
「ううん。僕の方こそ言い方がキツくなった、ごめん」
そこで、本鈴が鳴った。
……が、これは一限開始の本鈴だ。
つい話に集中していたせいで気付かなかったが、担任教師は来ておらずホームルームも始まってない。
他の生徒も異変に気付き、ざわめき始めた頃に副担任がやって来た。
「みなさん静かにしてください。これから緊急職員会議のため、一限は自習です」
自習という単語に、教室は一斉に色めき立つ。
だが遊星は、喜べない。職員会議が開かれるような内容に、心当たりしかないからだ。
訴えるような目で副担任を見ていると、あちらも当然のように視線を返してきた。そして微笑を浮かべ、一言。
「天ノ川さん。お伺いしたいことがあるので、職員室に来ていただけますか?」
「……はい」
どうやら今日は長い一日になりそうだった。
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