2-25 #桐子の転落
桐子視点です。
―――――
その夜。
桐子は真っ暗な自室で、昼間のことを思い返していた。
『僕の心はもう、そこにありません』
その言葉を思い出す度、心が重くなる。いつも変わらぬ笑みを向けてくれた遊星が、視線も合わせてくれなかった。
(……どうして?)
なにをどう間違えたせいで、遊星が変わってしまったのかわからない。そっけない態度を取られたのも初めてで、少なからずショックを受けてしまった。
やはり、あの一年のせいなのか?
行儀良さそうな顔をしつつ、男を骨抜きにする手管に長けた魔女なのか?
だが遊星が桐子の元を離れたのは春休みから。
新聞の記述が真実であれば、二人は始業式からの付き合いだ。だとすれば距離を取られたことと、陽花の登場は無関係。
(じゃあ、天ノ川くんは自分の意志で私から距離を取ったってこと……?)
桐子は待っていた。懲りもせず「桐子さんからはやっぱり離れられませんでした」なんて言いながら、へらへらと戻ってくることを。
告白を何度断ってもあきらめず、言い過ぎたと思った日でも凹んだ姿は見せなかった。だから生徒会を辞めると言っても、どうせ戻ってくると信じて疑わなかった。
それなのに一か月ぶりに再会した遊星は、とても
遊星だけは、どんな時でも自分の味方でいてくれたのに。それなのに桐子を一番と言っていた遊星は、陽花と熱っぽい視線で見つめ合っていた。
(……イヤだ)
胸の内から湧いて出る、初めての感情に押し潰される。これまでは思い通りにいかない時、湧いてくるのは怒りだけだった。
しかし、胸の内に湧いてくる感情は怒りではない。急速に自分を弱らせていく初めての感情に、桐子はどうしようもなく翻弄されていた。
遊星は自分のことがどうでもよくなったのか。桐子がなにか間違えたからどうでもよくなったのか。
これまではどうして好きでいてくれたのか、どうすれば昔の遊星に戻ってくれるのか。
『桐子さんのこと、大好きです』
いつしか言われた言葉を思い出し、自分を慰めようとする。
だが、それと同時。まったく別の言葉も思い出してしまう。
『遊星さんのこと、本当に好きなので……』
あの一年生の言葉が耳の奥にこびりついて、離れない。人前でも臆さず自分の気持ちを話す姿を見て、こう思ってしまったのだ。
……うらやましい、と。
ウソ偽らず好意を口にできる姿は、まるで遊星そっくりだった。
恥ずかしい、笑われる、馬鹿にされる。
そんなことなんて恐れず、いつだって自信満々に好きと言ってくれた人。
だからこそ桐子は、惹かれた。真っ直ぐな気持ちに惹かれて、遊星を好きになった。
そして今日、同じような光景を目にした。
真っ直ぐな言葉をぶつけられたら、どんな気持ちを抱いてしまうのか。それは、桐子が誰よりも一番よくわかっていた。
(イヤ! そんなの絶対イヤ……)
次々と湧いてくる負の感情に、桐子は持ち前の自信を失っていく。
陽花には、勝てない。中学上がりで背も小さく、箱入り娘みたいな女なのに。
桐子の前に毅然と立っていた少女は、自分より上の存在に思えてならない。そんな焦燥感と屈辱感で心を乱され……桐子は一睡もできずに次の朝を迎えた。
***
晴れない気持ちのまま、日の昇った通学路を歩いていく。食欲もないまま放り込んだ食パンが、胃の中でヘドロと化して気持ち悪い。
いつもの雑踏も妙に耳障りだ。そんなことを考えていると、後ろから声をかけられた。
「お~っ、生徒会長様っ! おはようございま~す!」
ピアスの女生徒が大声で言うと、その友達が笑い始める。
全校集会の度に服装チェックで注意されている女だ。何度注意されても決して直そうとしない、この学校でも指折りのどうしようもない存在。
桐子も廊下で注意した時は無視された、そんな生徒が自分になんの用だというのか。
「あれ~? 会長ぉ、無視ですか? さすが権力者は違いますね~」
「……何か用?」
「もしかして元気ないかな~って思いまして。良かったらウチら、相談に乗りますよ?」
ピアスが言うと、その友達がゲラゲラと笑い始める。なにがおかしいのかわからないが、自分が笑いのタネにされてることだけはわかる。
「……別に。早く行かないと遅刻するわよ」
「お優し~! その優しさがあれば、またイイ人見つかりますって!」
「アンタに言われたくないっしょ~」
ピアスとその友達はバカ笑いを続けながら、桐子の先を歩いて行った。
(朝から最悪な気分だわ)
不愉快な絡まれ方をされて、より気分が悪くなる。
……だが気のせいだろうか。なぜか周囲の視線が、自分に集中しているように思える。
(昨日のアレ、一年C組の生徒には見られてたのよね。……本当に最悪)
あんな大恥かいたの、生まれて初めてだ。大勢の前で付き合う提案を断られ、最後は恋敵に礼まで言われてしまった。
フラれたことがショックで抜けていたが、生徒会長としてのメンツは完全に潰されていた。
今更ながらそのことを思い出し、感情が怒りへとシフトしていく。感情の上下と寝不足が祟り、頭がどうにかなってしまいそうだ。
自身の感情を持て余し、あれやこれやと考えている内に教室へ着く。そして教室の扉を開けると――なぜかクラスメート全員が一斉にこちらを向いた。
「……おはよう」
桐子があいさつをすると、幾人かは返事をしてくれる。
が、なにかおかしい。
まるでクラスメートは桐子がいつ来るか、それを窺っていたように思えた。
先ほどピアスにも話しかけられたが、中身はまるでなかった。なにか自分を取り巻く空気感のようなものが、いつもとは違うように感じてしまう。
寝不足のせいで神経が過敏になっているのだろうか。そんなことを思い始めた時、桐子の疑念は最悪の形で示されることになる。
「おっ、会長。来てんじゃ~ん」
教室に入ってきたのはオールバックの金髪女……と、その取り巻きだった。
(今日はやたらとクソに絡まれるわね)
その金髪はピアス以上に、素行不良で有名な女だ。桐子は以前、金髪たちが空き教室で酒くさい容器を持ち寄っていた現場を見たことがある。
あの時は全員に逃げられ、証拠不十分でお咎めなしとなってしまった。だが桐子が教員に告げ口したことが気に入らなかったのか、すれ違う度に
その女が自分に話しかけてくる理由がわからない。
「てっきり仮病で来ないかと思ったじゃん」
「……あなた。別のクラスでしょ、早く戻りなさい」
「おーおー、強気っすね。超鋼メンタル、その辺はマジで尊敬するわ」
金髪は露骨なほど馬鹿にした態度で、馴れ馴れしくも近くの席に腰掛ける。
「ウチは無理だな~。あんなハズい動画流されたら、転校考えるレベルだよ」
「わかるー、一年にもメタクソ言われてたし」
「つか、会長サン。コクられてた相手にフラれるってなに? イミフメ~」
飛び交う内容を聞き、背筋がゾッとする。
なぜ彼女たちがそれを知っている?
それに今なんて言った? 動画、と言ったのか?
「……なに、動画って?」
震える声で、かろうじて聞き返す。すると金髪はイヤらしい笑みを浮かべて、スマホを見せてくる。
「これだよ、つか知らなかったん? 昨日、生徒会長様が一年とバトってた動画だよ!」
どうか悪い勘違いであってほしい。そう思いながら、桐子おそるおそる画面を覗き込む。
だが画面に映っているのは、間違いなく桐子と陽花だった。
タイトル:【悲報】生徒会長、傲慢な告白をした結果、後輩に論破されるwwwww
……再生ボタンを押す必要すらない。
昨日の桐子と陽花が話していた現場は盗撮され、拡散されていたのだ。
しかも動画はウェブアプリで開かれている、つまり――動画サイトにアップロードされているのだ。
「ほらほら、コメントも読みなよ」
見たくない、と思いつつも目に入ってしまう。
『この女、バカなの? こんな告白でOKするヤツいる?』
『ヤらせてくれるならアリだろ、彼女にはできん』
『目付き悪い、性格悪そう』
『性格悪いから目付き悪くなったんだろ』
『「付き合いたくて好きになったんじゃない、好きだから付き合いたかった」名言誕生?』
『当たり前のことしか言ってないがw』
『【朗報】動画のカップルは中間試験、学年一位と二位。生徒会長は学年三十四位』
見渡す限りの、罵詈雑言。
この動画での桐子は、馬鹿にされてもいい存在。視聴者に好き勝手言われることを許され、笑われるためのピエロだった。
「いやーシビレたよ。負け確の状況で『付き合ってあげてもいい』なんてよく言えるよな?」
「クッソ笑えるよね、判断力なさ過ぎっしょ」
「見ててこっちまで恥ずかしくなってくるわ、共感性羞恥ってヤツ?」
金髪の仲間はゲラゲラと笑う。
錯乱した桐子は、髪が乱れるのも気にせずガリガリと頭をかきむしる。
「……あなたが、動画を上げたの?」
「いんや、一年の誰かじゃね~?」
「ウソでしょ」
「は? ウソじゃねーっての、なに疑ってんの?」
「この画面、投稿者権限がある」
「あ、やべっ」
次の瞬間、桐子は金髪の頬を叩いていた。
乾いた音が響き渡り、教室の中が一瞬にして静まり返る。
「なにすんだよ、テメェッ!」
金髪が立ち上がり、桐子の胸倉を掴んで突き飛ばす。
飛ばされた勢いでぶつかった机が横倒しになり、近くの女生徒が叫び声をあげる。
教室は一転して大騒ぎ。
逆上した二人に引く様子はなく、教師が駆け付けるまで殴り合いは続くのだった……
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