1-24 天ノ川遊星は償いたい

 遊星は岩崎に事情を説明した。

 美ノ梨が貧血で倒れたこと、それが「隣で寝ている」の正確な意味であったことを。


『そ、そうか。なんか無駄に驚いたけど事情はわかった。でも困ったな……』

「生徒会の仕事、進んでないのか?」

『明後日の競歩大会、まだ全然詰められてないんだよな』

「……ちなみに桐子さんは?」

『会長は来てない。明日模試があるから今日は勉強するんだってさ』


 岩崎の声にはトゲがあった、不満に思うのも当然だろう。だが生徒会長という立場があっても、自分の将来が掛かってるのであれば優先度というものがある。


 だったらその埋め合わせを誰かがすればいい。

 ――幸いなことに、ここにヒマな男子生徒が一人いる。


「僕は、なにを手伝えばいい?」


 美ノ梨は目を丸くし、電話の先からも息を呑む気配がする。


『手伝って、くれるのか?』

「生徒会を辞めた、裏切り者の手でもいいなら」

『……正直、猫の手でも孫の手でも借りたい気分だよ』


 美ノ梨から話を聞いた時点で、心は決まっていた。


 どうせ今日は勉強以外の用事はない。試験まではあと三週間もあるし、遊星は勉強大好きっ子というわけでもない。


 それに生徒会の現状も知った以上、知らない振りはできなかった。


「これから生徒会室に向かえばいい?」

「いや、先に職員室の氷室先生からUSBを借りてきて欲しい」

「了解!」


 遊星の胸にあった罪悪感が、わずかに溶けていく。


 ――春休みに生徒会を辞めてから、ずっと気にはなっていた。


 いまは忙しい時期ではない、優秀なメンバーだって揃ってる。だから自分がいなくても、きっとなんとかなる。


 そんな理由を並べて誤魔化してきたが、罪悪感からは逃げられなかった。だからこんな形になったとはいえ、手を貸すことで罪を償いたい気持ちがどこかにあった。


 ……今日、桐子が来ていなかったことに安堵する。いまはまだ、どんな気持ちで向き合えばいいのかわからなかったから。


(それに桐子さんだって、村咲さんとの写真は目にしているはずだ)


 桐子は写真を見て、なにを思うだろう。


 舌の根も乾かぬうちに、別の女子になびいた軽薄な男だと思われるだろうか。それとも遊星に興味がなさすぎて「良かったわね」の一言で済ませるだろうか。


 それを知ったとして、なにが変わるわけでもない。ただそう思ってしまうくらいには、桐子を気にかけていた過去があっただけ。


 だが、あれほど好きだった桐子の不在に安堵した自分が、どこか薄情であるように感じられた。


「じゃあ、後ほど」


 それだけ言って通話を切る。

 画面を拭いてスマホを返すと、美ノ梨が小さな声でつぶやいた。


「いい、の?」

「だって美ノ梨さん、体調崩してるし」

「あ、あはは……心配しすぎだよぉ。さっきのはゆーくんに抱っこして欲しかったから、一芝居うっただけでぇ……」

「寝ててください」


 ベッドから出ようとした美ノ梨が、ぴくりと肩を震わせる。


「ちゃんと休んでてください、その間は僕がやっておきますから」

「そ、そういうわけにも、いかないでしょ~。美ノ梨は、大丈夫だから……」

「がんばりすぎる美ノ梨さんの大丈夫は、信用できません」

「…………っ!?」


 美ノ梨は遊星の言葉に目を丸くすると、バッと枕を抱いて顔を隠してしまった。


「……美ノ梨さん?」

「ぶぁか!」


 枕に顔を埋めた美ノ梨が、くぐもった声で言う。


「ふぉおいう、とこだぞっ!」

「えっと、それってどういう……いてっ!」


 遊星が聞き返すと、枕を投げつけられた。枕を拾って美ノ梨の表情を見ると、その顔は少し赤くなっていた。


「枕、返して!」


 言われた通りに枕を拾い、元の位置に戻してから――美ノ梨の額に手を当てる。


「う、わひゃぁあ!?」


 なぜか美ノ梨は大きな声を出して驚き、遊星の手から額を遠ざける。


「……顔は赤いけど、熱はなさそうですね?」

「こ、これはっ、そういうのぢゃないっ!!」


 美ノ梨は慌てて布団に潜り込み、顔半分だけを出して恨めしい視線を送ってくる。先ほどまでは抱っこしろキスしろ言ってたくせに、なぜいまになって慌てているのかわからない。


「体調良くなるまでは、大人しく寝ててくださいね?」

「……今日は土曜だよ。予定とか、あるんじゃないの?」

「なくなっても構わない予定だったので、大丈夫です」

「でもゆーくん、もう生徒会役員じゃないし」

「そうですね、だから手伝うのは今日……明日くらいにしておきます」


 桐子が不在の間くらいならいいだろう。遊星も顔を合わせづらいし、勝手に手伝ったことがバレなければ吠えられることもないはずだ。


「……それなら、うん。お願いしようかな」

「ありがとうございます」

「お礼を言うの、こっちのほうだし」

「僕は迷惑をかけた側ですから」

「そか、じゃ任せた」

「はい」


 二人が静かに笑い合うと、保健室の戸が開かれる音がする。


「あら、ちゃんといてくれたのね。ありがとうー! そんな少年には……昼飯だ!」


 保健医の抱えたビニール袋には、十個近くの惣菜パンやら菓子パンが入っていた。


「君たち、好きなの三個まで取っていいよ~」

「……なんか多くないですか?」

「そう? でも高校生なんだからこれくらい食べるでしょ?」


 いや、食べない。少なくともパン三個って割と飽きるし、喉だってだいぶ乾く。


 ていうか十個中の三個ずつ選ばせるってことは、この人は四個食べるつもりなのか?


「美ノ梨はもらいまーす、ジャムパンとメロンパンがいいかな。三つめはその時に考えまーす!」

「じゃあ、僕は焼きそばとコロッケとカレーパンで……」


 生徒会室には岩崎の他に佐々木もいるらしい、一人一個食べられればそれでいいだろう。


「では僕はそろそろ出ます、美ノ梨さんのことよろしくお願いしますね?」

「はい、任された!」

「ゆーくん!」


 出口に向かおうと立ち上がったところで、美ノ梨に呼び止められた。


「体調良くなったら、美ノ梨も行くから」

「……絶対に無理はしないでくださいね?」

「うん!」


 美ノ梨の笑顔に見送られ、遊星はどこか弾んだ気持ちで保健室の扉を閉めた。


―――――


 鬼の居ぬ間に、元生徒会のエースがこっそりと復活するようです……!

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