1-23 副会長は尊敬できる立派な先輩

「貧血、ね」


 保健医が軽い調子で言うのを聞いて、遊星は胸をなでおろす。ベッドで横になっている美ノ梨は、ぼんやりした表情で話に耳を傾けている。


「あと化粧で誤魔化してるけど、目のクマもすごいじゃない。さては寝不足だなー?」


 保健医が明るい声で聞くと、美ノ梨はぷいと顔を背ける。その様子を見て保健医は腰に手を当てて嘆息する。


「土曜日はベッドも空いてるし、ゆっくり寝てなさい。それともご家族をお呼びしましょうか?」

「……いい、まだ生徒会の仕事あるし」


 生徒会の仕事。その言葉を耳にして、遊星の胸にじわりと罪悪感が浮かぶ。


「そう? でも無理しちゃダメよ、つらいときは他の役員さんにも頼らなきゃね?」


 保健医は伝えるべきことは伝えたと話を切り上げ、三十分で戻るとその場を預けて保健室を出た。


 静かになった保健室。

 遊星は近くのパイプ椅子に腰掛け、ゆっくりと話しかける。


「少しは、楽になりましたか?」

「……うん、ありがと」


 横になったことで疲れが出たのか、美ノ梨は目を瞑ってしおらしくなってしまった。顔色も良くなってきたようで、まずは一安心といったところだろうか。


 そうして室内が静かになった頃……遊星はようやく気付く。いつの間にか天球高でも屈指の美人である美ノ梨と、二人きりになってしまったことに。


 栗色の髪がシーツの上で乱れ、耳たぶには銀のスタッドピアス。着崩れたワイシャツの首元からは、形のいい鎖骨がちらりと見えた。


(おいおい、なにやってんだ天ノ川遊星! 病人の体をジロジロ見るなんて、最低だぞ!?)


 顔を振って、深呼吸。そして横になっている美ノ梨に視線を戻すと……すやすやと寝息を立て始めていた。


 あどけない寝顔に、思わず笑みが零れる。先ほどは体調不良とは思えないほど騒いでいたのに、すっかり大人しくなってしまった。


(よっぽど疲れてたんだろうな……)


 普段の振る舞いを見ていれば、美ノ梨はいい加減な人に見える。副会長に当選したのも実力や実績ではなく、人気投票でその座につくタレント政治家のように見られることも多い。


 だが、実情は少しだけ違う。



 ――文化祭準備期間、美ノ梨がふらりと出かけて戻ってこなくなったことがあった。


 その時、遊星はまだ生徒会役員ではなかった。桐子を手伝いたいがために当時の生徒会長にお願いして、生徒会見習いという形で自主的に手伝っていた。


 その文化祭準備で忙しい時期、美ノ梨はふらりと姿を消した。美ノ梨がいなくなったことに気付いた桐子は「またサボってる!」と喚いていた。だが遊星も周りも、内心そうだろうなと思っていた。


 だが翌日、通りすがりの美術部員に「校門装飾の件、ありがとうございました!」と礼を言われたことがあった。


 心当たりがなく聞いてみると、美術部員が校門装飾に使う資材の保管場所を間違え、すべて捨てられてしまうという事件があったらしい。だが昨日、美ノ梨がすべての資材を無料で調達してきたとの事だった。


 段ボールはともかく、塗料や風船がタダで手に入るはずがない。その事を美ノ梨に問いただすと、校門前に地元企業の宣伝広告ポップを出すことを条件に、もらってきたとのことだった。


 平然とすごいことをやってのける人だな、そう思った。一度気づいてしまえば、美ノ梨が仕事をした痕跡こんせきはいくつも見つかった。


 何度も修正された後のある出し物の予算調整。体育館のイベントスケジュールには誰よりも詳しく、気づけば軽音部のヘルプとしてベースまで弾いていた。軽音の部長に話を聞くと一人足りずに出られなかったバンドを、自分が出るからと後押ししたらしい。


 そして文化祭最終日の朝、その場で崩れ落ちるように倒れた。あの日も、美ノ梨は貧血だった。


(真面目なところは見せたがらないけど、しっかり副会長してるんだよな)


 遊星は美ノ梨を尊敬している。彼女に見習うことは、数えきれないほどある。


 どんなに大変な時でも、仕事をやりとげようとする責任感も持っている。そうでなければ保健医の問いに「まだ生徒会の仕事がある」なんて答えなかったはずだ。


「……ん、あれ、ゆーくん?」


 眠りが浅かったのか、美ノ梨が薄っすら目を開ける。


「まだ寝てていいですよ」

「あれ、美ノ梨どうしたんだっけ。……あ、そっか。昨日はゆーくんと一晩中愛し合ったんだった」

「記憶を捏造しないでください」


 真面目に突っ込むと、美ノ梨がふわりと笑みを返す。いつもは全開笑顔の美ノ梨が、力なく微笑む姿に胸がくすぐられる。


「生徒会の仕事、大変なんですか?」

「……せっかく二人きりなのに、つまらない話するんだねー?」

「美ノ梨さんが倒れたことと関係あるなら、無視できませんから」


 どこか会話を逸らそうとするのを見逃さず、真っ直ぐに美ノ梨の瞳を見据える。


「あの時と同じってことは……無理してますよね?」


 もう一度聞き返すと、美ノ梨は観念したようにため息をついた。


「そだね。ちょっとばかし大変かも」

「……すみません、僕のせいで」

「なんで謝るの? ゆーくんのせいなんて言ってないよ?」

「でも僕が辞めたことと、無関係だと思えませんから」


 遊星は誰にも責められなかった。だが文句を言われなかったからと言って、迷惑が掛かってないとは思えない。不満をぶつけられなかったのは、生徒会のみんなが気を遣ってくれただけだ。


 それでも切羽詰まった状況になったから、遊星に戻ってこないかと訪ねに来たんだ。きっとあの時にはもう、追い詰められていたに違いない。そうでもなければ美ノ梨が倒れるような事にはならないはずだ。


「競歩大会、問題なく始められそうですか」

「……」


 美ノ梨は応えない、冗談を言い返せない。それがなによりの答えだった。


 その時、ベッド脇に置かれた美ノ梨のスマホが振動する。

 着信先の名前は『岩崎くん』。生徒会会計の男子だった。


「……あー、みんなに連絡してなかった」


 美ノ梨がスマホを手に取ろうとするのを――遊星が手を伸ばして制した。


「貸してください」

「え?」

「スマホ、僕が出ます」


 美ノ梨はきょとんとした顔をしていたが、遊星に黙ってスマホを差し出した。


「もしもし、天ノ川です」

『えっ、天ノ川?』


 電話の先から戸惑った声が聞こえてくる。


『これ副会長のスマホ……だよな?』

「ああ、美ノ梨さんなら僕の隣で寝てるよ」

『そっか。……って、ええええええええ!?』


(あっ)


 開口一番、誤解を招くようなことを言ってしまった。代わりにスマホに出るというシチュエーションも生々しい。


 美ノ梨も口を抑えて、ぷるぷると笑い堪えている。素で言い間違えた遊星は顔を真っ赤にし、美ノ梨を介抱した話をこと細かく説明する羽目になった。

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