1-22 副会長は虚弱体質?

 ゴールデンウィークの二週間後には中間試験がある。そのため試験成績を強く意識する生徒は、四月から簡単なテスト対策を始めている。


 去年から大きく成績を上げた遊星もその一人。成績を上げるための目標は失われたが、将来の選択肢を増やすためにもせっかく上げた内申点は維持したいと考えている。


 そのため競歩大会を控えたこの週末、簡単な試験勉強を始めようとしていたのだが……


「うっかりしたな、今日が土曜日だということを忘れてた」


 復習しようと思っていた教科書を置き勉してしまい、遊星は仕方なく学校に向かっていた。


 ひと気の少ない通学路は、普段よりゆったりした空気が流れている。


 とはいえ一歩校門に足を踏み入れると、校庭からは陸上部の掛け声、体育館からはバッシュの床を駆ける音。音楽室からも吹奏楽の演奏が聞こえてくる。


(地区大会前はどの部活も大変だな……)


 春から夏にかけての地区大会に勝てば、県大会へと駒を進められる。特に運動部は不必要な疲労やケガを防ぐため、競歩大会への参加義務もない。


 そのため競歩大会二日前にも変わらず、彼らは練習に精を出している。遊星はそんな練習光景を横目に、駐輪場を抜けて昇降口に向かう。


 すると下駄箱の先に、妙な人だかりができていた。遊星は上履きに替えて近づいていくと、女生徒がうずくまっているのが見えた。

 

 既に何人かが声をかけているから、出しゃばるまでもない。そう思って脇を通り過ぎようとしたのだが――女生徒が知り合いであることに気付き、駆け足で近づいていく。


「美ノ梨さんっ!?」

「……ゆーくん?」


 うずくまっていた生徒は、副会長の美ノ梨だった。明らかに顔色が悪く、だるそうに壁に背を預けている。


「どうしたんですか、お腹でも痛いんですかっ?」


 聞くと首を振り、目を逸らす。


「もしかして熱でも――?」


 そういって遊星が額に手を当てようとすると、ぶんぶんと顔を振って抵抗する。


「美ノ梨さん……?」

「……でも、いいくせに」


 声が弱々しく、かすれて聞こえない。


「なんて言ったんですか、美ノ梨さんっ?」

「……美ノ梨のことなんか、どうでもいいくせにっ」


 遊星から目を逸らし、ぷくっと頬を膨らませている。


「どうでもいいわけ、ないじゃないですか?」

「ウソ。ゆーくん、美ノ梨のこと置いてったじゃん」

「置いていった……?」


 なんの話をしているかわからず、困惑する。だが話は後だ、まずは美ノ梨を保健室に送り届けよう。


「とりあえず保健室に行きましょう。肩、貸しますから」

「ぃやだぁー!」


 なぜか手足をばたつかせ、激しく抵抗する。


「言うこと聞いてください、保健医は土曜日も来てますからっ!」

「うるさいっ! こらっ、さわるなーっ!」


 肩を組もうと美ノ梨の腕を取ろうとしたが、頭にポカポカと拳が飛んでくる。


「落ち着いてくださいっ、なんでそんなイヤがるんですかっ!?」

「イヤがったのはゆーくんでしょっ、美ノ梨のことなんて嫌いなくせにーっ!」

「嫌いじゃありませんよ、なに言ってるんですか」

「ウソつけー! じゃあキスしろー!」

「するわけないでしょ!?」


 見ていた生徒たちがクスクスと笑い始める。知り合いである遊星が来たことで、任せて大丈夫とでも思われたのか。少しずつ人が離れていく。


 それからも美ノ梨は抵抗を続けたが、次第にその力も弱くなっていった。


「はぁ、はぁ、疲れた」

「あ、当たり前でしょう? 体調崩しやすいんだから、無理に動かないでくださいよ」

「なんで心配なんて、するのよぉっ……」

「み、美ノ梨さん!?」


 頬を膨らませた美ノ梨の瞳には、涙が浮かんでいた。突然、涙を見せられたことに驚いてしまい、遊星は一瞬どうしていいかわからなくなる。


「……美ノ梨のこと嫌いなくせに、心配とかするなっ」

「ど、どうして嫌いだって思うんですか?」

「だって美ノ梨のこと、置いてったじゃん」


 先ほどから美ノ梨は何度も、置いていったをくり返している。


 最近、美ノ梨と顔を合わせたのは遊星のクラスだ。その時にどんなことを話していたかをゆっくり思い出してみる。



『だからー、今度は美ノ梨を好きになってみない?』

『美ノ梨さん、ごめんなさいっ!』



「……あっ」

「いま思い出してるし」


 濡れた膨れっ面が遊星をにらみつけている。どうやら美ノ梨はあの日ことを根に持っていたようだ。


 遊星はあの日、美ノ梨に謝罪をして遊星は別の女の子を追いかけた。

 それは、つまり――


(あれ? もしかしなくてもあの時、美ノ梨さんをフったってことになるのか?)


 陽花を追いかけるのに必死で気が回らなかった。だが状況だけ見れば、告白の返事としては最悪の態度を取ったことになる。


「え、えっと、美ノ梨さん。念のため確認なんですけど、あの時の話って本気で……?」

「本気じゃないもん!」

「えぇ……?」


 告白(?)の返事をあしらわれたことにはガチ怒りし、本気と受け止めようとしても怒られる。


「ゆーくんのことなんか、遊びだもん! でも美ノ梨を置いて行ったってことは、どーでもよかったってことでしょ!」

「どうでもいいなんてことは……でも、その、すみませんでした」


 とりあえず美ノ梨がそれなりに怒り、傷ついていることは理解した。遊びと断言されてる以上、どこまで真摯に向き合えばいいのかわからないが。


「……ひとまず保健室に移動しましょ? 床、冷えますよね?」


 春になったとはいえ、この通路は陽も当たらずひんやりとしている。体調不良の女の子が長時間いる場所ではない。


 遊星が肩を貸そうとその場にかがむと、美ノ梨は怒った表情のままバッと両手を広げた。


「ん!」

「えっと、美ノ梨さん?」

「抱っこ!」


 涙目に眉をつり上げて、そんなことを言い出した。


「前に文化祭でやってくれたやつ!」

「それって横抱きにしろってことですか……?」

「お姫様抱っこって言って!」


 文化祭の時、確かにそうやって美ノ梨を運んだことがあった。


 あの時は準備段階から遅くまで残る日が多く、連日の疲れで美ノ梨は腰でも抜かしたように座り込んでしまったのだ。なにか重い病気なんじゃないかと深刻にとらえた遊星は、美ノ梨を抱いて保険室に駆け込んだことがある。


「は~や~く~!」

「で、でもっ」

「……あー寒いなぁ。ゆーくんには捨てられるし、このままだと死んぢゃうかも」

「~っ、もう!」


 美ノ梨に体を寄せると背中に腕を回される。そのまま膝下に腕をくぐらせて、美ノ梨を抱え上げた。


(あれっ、美ノ梨さんの体……)


「へへ、ゆーくんにまた抱っこされちゃったぁ」

「……歩きますよ」

「少しくらい照れてよー?」

「あまり喋らないで」

「むーっ、なんでそういうこと言うの?」

「……体、冷えちゃってるじゃないですか」


 油断した。

 割と元気そうに話すから大丈夫かと思ってたが、だいぶ体を冷やしてしまっている。遊星は美ノ梨を抱く手に少し力を籠める。


「美ノ梨のこと、心配?」

「当たり前じゃないですか」

「……そっかあ」


 美ノ梨は弱々しく零すと、嬉しそうな表情で体から力を抜いた。それから保健室に着くまでの間、遊星の腕の中で大人しく丸まっていた。

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