1-21 後輩ちゃんの手はあたたかい
先日の雨で校庭の桜も残花となり、寒い日も遠く感じる四月末。そしていよいよ近づくゴールデンウィーク、デートの日まであと少し。
だが浮かれるのは早いと、立ちはだかる競歩大会。帰途につく二人も必然とその話題になり、陽花は憂鬱そうにため息をついた。
「……三十キロなんて無理に決まってます、足がちぎれてしまいます」
「村咲さん、運動は苦手なんだっけ?」
「そう、ですね。中学の時も授業態度で少し上の評価をいただけたくらいです」
客観的に見ても、運動が得意そうには見えない。手足がほっそりしてると言えば聞こえはいいが、その分だけ筋肉もないということだ。
「無理に最後まで歩き切る必要はないよ? 熱中症になる危険もあるし、救護所で休憩やリタイアもできるから」
生徒たちの歩く道には教師やPTA、そして有志の方が立っている。もし体調が悪くなっても、車で送り迎えができるよう準備は整えてある。
「……でも最後まで歩いてみたいです、入学して初めてのイベントですから」
「そうだね。競歩大会を誰と歩くかで、その後のグループが決まることも多いし」
去年は亮介も含めた四人で三十キロを歩き切った。残り二人は別のクラスになったが、亮介との仲が続いているのも競歩大会のおかげかもしれない。
「それなら尚更がんばりたいです。みんなで完走を目指してる中、一人だけ脱落なんて空気読めないですし……」
「気負わなくても大丈夫だよ。歩けない一人のために空気を読んで、全員で脱落を選ぶグループもいるから」
「そ、そんなことしていいんですか?」
「学校も強制はできないからね。無理して倒れられたほうが大変だから」
陽花が口にしたような不安を持つ生徒は多い。みんなで歩いているのに、自分だけリタイアしたせいで孤立するかもしれない。
その一心で無理をさせては本末転倒だ。そのためリタイア申告は理由なく受け入れることになっている。明らかにサボりであろうと、めんどくさくなっただけであろうと、運営側に強制権はない。
「先輩、それがOKならもう競歩大会を廃止してしまいましょう!」
「……意見箱は生徒会室前にありますので、どうぞご利用ください」
天球高校は生徒の意見と自主性を重んじる、素晴らしい学校なのである。
「ちなみに、先輩は運動得意なんですか?」
「僕もそんなには得意じゃないかな。中学の時も読書部だったし」
中学の時は遊星も立派な陰キャだった。読書部と聞こえはいいが、みんなでラノベを回し読みしていただけだ。
あの頃は新旧多数の名作を読み漁り、自分も作家になりたいなんて思っていた。だが高校に入って桐子に出会い生活は一変した、人生なにがあるかわからない。
「意外です。先輩は背も高いし、バスケでもやっていたのかと思ってました」
「球技は全然ダメなんだ、妹はバリバリの運動部だけど」
「テニス部のキャプテンですもんね」
「…………?」
「どうかされましたか?」
「いや、妹がテニス部って……言ったっけ?」
ぎくり、と陽花が肩を震わせる。
「な、なに言ってるんですかっ、聞きましたよっ」
「そうだっけ?」
「はいっ。この耳でしっかりと、聞きましたっ!」
陽花がいつもより声を張り上げる。情報源は遊星しかいないだろうし、嘘をつく理由もない。きっと自分が忘れているだけなのだろう。
「そっか、つい忘れてたみたいだ」
「せ、先輩でもそんなことあるんですねえっ」
陽花の笑顔が引きつって見える。もしかすると最近した話を忘れられて、ショックを受けたのかもしれない。
なにか楽しい話題に切り替えよう。そう考えた遊星は、競歩大会の後に控えた予定を思い出す。
「村咲さんの自宅って確か、最近できたショッピングモールの近くだったよね?」
「はい、私はその隣駅に住んでます」
「じゃあゴールデンウィークの最終日、そこに行ってみない?」
陽花はデートの話をされていることに気付き、表情をぱっと輝かせた。
「いいですっ、行きたいですっ! ……でも、いいんですか?」
「なにか気になることでもあった?」
「先輩のご自宅からだと、少々遠いのではないかと思いまして」
陽花の家は天球高の最寄駅から、片道でも一時間。その隣駅にショッピングモールはあるので、当然近いとは言えない。
だが陽花はその時間をかけて毎日通学してくれている。それならデートの時くらい遊星が時間をかけるのは当然のことだ。
「遠くないよ。それに筋肉痛も治ってないかもしれないし、近いほうがいいでしょ?」
「……あっ」
競歩大会の後には三日間の休みが待っている。デートはその三日目になるが、足の痛め具合によっては治ってない可能性もある。だったらなるべく近いほうがいい、それも踏まえての提案だった。
「ショッピングモールに行くって言っても歩きまわるのも大変だから、映画でも観に行こうか? フードコートに行ってクレープとかたこ焼きとか、ジャンクなものも食べてみたいよね」
やりたいことを片っ端から口にしていく。事前にショッピングモールのことは調べてあったが、大きい建物なので一日で回り切ることは無理かもしれない。
遊星も女の子とのデートは初めてである。みっともないところは見せられないと思って下調べを始めたが、調べていくうちに楽しくなってしまい、気づけば行きたいところだらけになっていた。
陽花の反応を見て候補を絞り込む予定だったが、気づけば遊星ばかりがしゃべり続けていた。
「あっ、ごめんね。僕ばっかりしゃべっちゃって」
思わぬ失態に気付いて謝ると、なにを思ったか。陽花に服の
「……村咲さん?」
「先輩は、ずるいです」
陽花はなぜか、むすっとした表情をしていた。
「体のこと気遣ってくれるだけでも嬉しいのに。どうしてデートを楽しみとか言うんですかっ」
「だって普通に楽しみだし……」
「楽しみとか言わないでください!」
「なんで!?」
摘ままれた服の裾を、やんわりと振り回して抗議する。
「先輩も楽しみにしてくれてる、なんて思ったら……嬉しくなるじゃないですか」
言葉にしているうちに恥ずかしくなってきたのか、声はどんどん尻すぼみになっていく。そんな陽花の照れた表情を見ていると、遊星までつられて顔が熱くなってくる。
「……村咲さんのほうこそ、ずるじゃん」
「私はずるくないですっ」
「ずるいよ。だってそんな可愛い反応されたら、もっと喜ばせてみたいって思うし……」
「こ、これ以上は困りますっ」
陽花は握っている服の裾を、先ほどより強く振り回す。じゃれつかれるような触れ合いが、こそばゆい。可愛らしく甘えてくる陽花に、やり返したい。
そう考えた遊星は服の裾を摘まむイタズラな手を――強く、握りしめていた。
「ひゃっ!?」
陽花の口から小さな叫びが漏れる。どういうつもりかと遊星の顔を見上げたが、視線を重ねる恥ずかしさにまた顔を背けられる。
陽花は抵抗しようと手をぐにぐにと動かしている。だが遊星はそのイタズラな手をがっちりと掴み、離さない。
「しぇ、しぇんぱい……」
思わず涙目になった陽花が、舌ったらずな声を出す。
「……制服をシワにしようとする悪いコは、こう」
遊星は照れ隠しに、一言だけそう答える。だが、内心は――
(や、やってしまった、思いきって握ってしまった! どうしよう、すごくやわらかくて小さいんだけどっ!)
と、心臓が体内でピンボールのように跳ねまわっていた。
「す、すみませんでした。もう、イタズラしませんからっ……!」
そう言って陽花は手のひらをもぞもぞと動かす。が、遊星は逃がさないとばかりに、ますますその手に力を籠める。
すると陽花は「あぅ……」と力ない声を出し、手の中で大人しくなる。
「またイタズラするかもしれないし、今日はもう離さない」
「そ、そんなっ。私の心臓っ、持ちませんよぉっ!?」
(こっちだって持ちそうにないよっ!?)
とは思いつつ、離すつもりはない。陽花の小さな手は甘やかなほど柔らかく、指に吸いついてしまって離したくても離せない。まるで離れていかないよう、陽花の手に誘惑されているようだった。
それでも陽花は時折、抜け出そうと試みる。その度に手を握り直すと、わずかにぴくりと震わせた後、あきらめたように力を抜く。
何度かそのやり取りをくり返していると、陽花が切なそうな表情で聞いてくる。
「いい、んですかっ? 周りの人っ、見てますよ……?」
「気にしないよ。それとも村咲さん、こうされるのイヤだった?」
「……ずるいです、そんな聞き方」
陽花は弱々しく言い返すと、ようやく遊星の手を握り返してきた。しがみつくような、心細くなるほど小さな力で。
「今日はまだ……先輩に捕まっていたいです」
「っ!?」
(その言い方は、もっとずるいだろっ……!)
まだ春だというのに、額から汗でも流れそうなほど暑い。明らかに注目されている気配も感じている。だが手を離す寂しさにも耐えられず、触れる手の温度にだけ集中する。
駅に着くまでもう少し。陽花が歩幅を小さくしたのに合わせ、遊星もより歩幅を狭める。
(……村咲さんと一緒にいると、毎日が新しいことの連続だ)
一週間後のデートも、待ち遠しい。遊星はいつしかどんどん陽花と過ごす時間に夢中になっていくのだった。
―――――
明日から1章も後半戦です!
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