第61話 毒蝶の症状③



 サクラが学校に行くとスズナがサクラの元にやってきた。


「サクラ、もう大丈夫?」

「う、うん」


 嫌な予感しかない。教室に入ってからクラスの生徒のサクラを見る目が痛いのだ。


「スズナ、私きのう何かした?」


 大体が想像がつくが、恐る恐る訊ねる。


「覚えてないの? サクラ、ケント達に抱きつき始めたんだよ」


 やっぱりと天を仰ぐ。穴があったら入りたい気分だ。


 するとちょうどケントが教室に入ってきた。ケントはサクラに気付くと頭ごなしにため息をついた。


「おまえなー、気を付けろー。あれは詐欺だぞ」


 ――なに? 詐欺って?


「まだ被害者が少なかったからいいが、あれは誤解を招く」

「確かにそうだよねー」

「河辺かわいそうに、サクラの餌食になって放心状態だったからな」

「え? 私、河辺君に何をしたの?」

「抱きついて首に」


 ケントは自分の頬を人差し指でツンツンする。


「えー! も、もしかして!」


 キスをしてしまったのかと焦っていると、スズナが笑いながら言う。


「ケント、嘘は言わない。大丈夫、キスはしてないよ。すぐに三條君が剥がしたから何もなかったから」

「はー、よかったー」

「でもおまえ、思いっきり首に抱きついてたからな」


 サクラの顔が一気に熱を帯びる。


 ――なんてことを私はしているのよ。


 すぐに河辺を探す。するとちょうど教室にやってきたところだった。


「河辺君!」


 すると驚いた顔をサクラに向ける。これは警戒されていると思ったサクラは、すぐに河辺の元へ謝りに行く。それを見ていたスズナがケントに呟く。


「河辺君からしたら願ったりだったんじゃないの?」

「え? なんでだ?」


 ケントが首を傾げる。


「だって河辺君、サクラのこと好きでしょ」

「ええ! そうなのか?」


 ケントが驚く。


「うん。きのうだって、河辺君からサクラに近づいてきた感じだったし」



 きのうサクラは帰りのホームルームが終わるとまず近くに座っていたケントの首に抱きついた。驚いたのはケントだ。


「く、九條?」 

「ケントー」


 酔っ払った状態に見えるサクラを見て、すぐに『毒蝶』の初期症状だと分かった。


「おまえ、発症したのか!」


 すぐにサクラの腕を掴み、首に巻かれた腕を剥がす。するといつの間にか隣りに河辺が立っていた。


「河辺?」


 どうしたのかと怪訝な顔を向けると、河辺がサクラに笑顔で話しかけた。


「サクラさんどうしたの? 大丈夫?」


 河辺は腰をかがめ、覗き込むようにサクラを見る。すると案の定サクラは、


「あ、川辺君だー」


 と今度は河辺の首に飛び着くように抱きついた。河辺は驚き顔を赤くする。


「サクラさん、あの……」


 だがなぜか嬉しそうだとケントは思う。そしてサクラが河辺の頬に顔を近づけた時だ。サクラがいきなり河辺から離れた。見ればソラがサクラを強引に河辺から剥がしたのだ。


「サクラ、何してる」


 その声はどう見ても不機嫌だ。今まで見たことがないソラに、そこにいたケント達はみな動けなくなる。十家門の者は妖力が強いため、怒ればそれだけで妖力を感じ、妖の者はみな本能的に恐怖を感じてしまうのだ。


「河辺。こいつ『毒蝶』の毒にやられてこの状態だから、深い意味はないから」

「あ、いや、別に僕は大丈――」


 そこで河辺は言い止す。ソラが敵を射る目を向けていたからだ。河辺は恐怖で生唾を飲む。


「あーソラだー。ソラー」


 サクラはそんなソラにもおかまいなしに笑顔でぎゅっと抱きついた。


「サクラ、だめだってー」


 スズナはソラの異様な雰囲気に恐怖し、サクラを剥がそうと腕を持とうとすると、ソラが止める。


「このままにしておけばいいよ」

「え、でも」

「今からちょうど『ウエスト』の部屋に行く。そこにナギがいるから、ナギに渡すよ」

「で、でも……」


 この状態はよくないのではとスズナは思うが、ソラはまったくお構いなしだ。


「奥村さん、サクラの鞄取ってくれる?」

「あ、うん」


 スズナはサクラの鞄を取るとソラに渡す。


「じゃあ」


 ソラは抱きつくサクラをささえるようにサクラの腰に手を添え、そのまま教室を出て行った。クラスにいた生徒はただ呆然としてその光景を見ていた。その思いを代表してスズナとケントは、不安を口にする。


「あの抱き合ったままの状態で一條君の前に行くのかな?」

「だろ。流れ的にそうなるよな」

「一條君怒らないかな……」

「理由が理由だ。大丈夫だろ」


「チッ!」


 すると舌打ちがした。スズナがその方向を見れば、河辺だった。


 ――今舌打ちしたの河辺君?


「河辺君もごめんね。サクラが絡んで」

「あ、いいよ。状況が状況だったから。それにサクラさんなら僕は嫌じゃないし」


 河辺の危険な言葉にスズナは目を眇める。


 ――こいつ、分かってる? 


「あれは、サクラの意思じゃないから、勘違いしないでね」


 一応釘を刺しておく。サクラには許嫁がいるのだ。


「ああ。分かってるよ」


 そう笑顔で河辺は言い、教室を出て行った。



 スズナはその時のことを思い出す。


「絶対河辺君、サクラのこと好きよ。そうじゃないとあのタイミングでサクラのところに来ないでしょ」

「確かにそうだな。それに嬉しそうだったしな」


 ケントもあの時の河辺の顔を思い出す。


「それにしても河辺ってああいうやつだったんだな。初めて知ったわ」


 もうすぐ2ヶ月になるというのに、今まで一度も話したことがなかったケントだ。


「あいつ、クラスで目立たないよな。大人しいし。いつも1人で本読んでるし。よくあれで軍事学校に入れたよな」


 どうみても運動神経が良さそうには見えないし、妖力も強くない。普通なら受験で落とされているタイプだ。


「河辺君は、軍の中枢機関に事前内定してるからよ。だから別に強くなくてもいいのよ」

「へえ。そうだったんだ」

「軍に入るには軍事学校に行かないといけないからね。推薦枠で入って来たエリートっていうやつ。特待生だから授業料も免除みたいよ」

「そうなんだ。すげえな」

「軍での仕事はデスクワークだから、野外実習の時はいないでしょ?」


 河辺のような者は、実習の時は別の授業――パソコン関係の授業を受けていた。


「そうだったか? 気付かなかったわ」


 あまりにも存在感が薄いため、実習の時にいなかったことすら知らなかったケントだ。

 しかし、ケントのように河辺を気にしていないクラスの者はけっこう多い。だから河辺のような者に話しかける者はほとんどいない。だがサクラだけがそういう者には率先して話しかけていた。サクラ的にはユウリのような存在を放っておけなかったのだろう。


「でもまさか許嫁がいる九條を好きになるとはねー。物好きだな」


 さもあり得ないと言いたげに皮肉を言うケントにスズナは笑う。


「よくサクラは河辺君に話しかけてるからねー。そりゃあ好きになるわよ」

「あいつ、確かにそういうところあるよな。決まって1人のやつに話しかけているイメージだな。三條もそうだしな」


 ケントとスズナはサクラと河辺を改めて見る。サクラと話している河辺は本当に嬉しそうだ。疎いケントでも河辺のサクラに対しての好意的な態度はすぐに分かった。


「俺でも分かるわ。ありゃあ、九條のこと好きだわ」

「でしょー」


 

 2人がそんな会話をしているともつゆ知らず、サクラは河辺に謝っていた。


「河辺君、きのうはごめんなさい。迷惑かけちゃったみたいで」


 頭を下げ謝ると、河辺は首を振り笑う。


「あ、ぜんぜん迷惑じゃないから気にしなくていいよ」

「なんか抱きついたみたいで……。でもまったく変な意味はないから!」


 サクラは少し顔を赤くしながら言う。それがまた河辺を笑顔にさせた。


「ぜんぜん大丈夫だよ。僕は大歓迎だから」

「? 大歓迎?」

「あ、気にしないでいいよ。まああれはしょうがないよ。だからサクラさんも気にしないで」

「ありがとう。河辺君優しいね」

「そんなことないよ」


 河辺は少し顔を赤らめ下を向く。


「いいや、優しいよ。普通怒ると思うもの」


 朝のナギの態度を思い出す。結局ずっと視線を合わせてもらえなかったのだ。来る時もいつもより会話が少なかった。


 ――あれって絶対怒ってるからだよね。


 急に目線を外し考え事をし始めたサクラに、首を傾げながら河辺は言う。


「サクラさん?」

「あ、ごめん。なに?」

「きのうあれから大丈夫だった?」

「……」


 考えてもまったく記憶がない。


「覚えがないんだよね。ただナギが、酒飲めるようになっても飲むなって怒って言ってたから、相当酷かったんだと思う……」


 すると、隣りから声が聞こえてきた。


「ほんと、ナギの言うとおりサクラはお酒はやめたほうがいいよ」


 驚き見れば、ソラだ。


「ソラ、おはよう」

「おはよ。サクラ、俺にもずっと抱きついていたぞ」


 サクラは驚き目を見開き声を張り上げる。


「ソラにも?」

「ああ。他の者が見たら勘違いされるから気をつけて。許嫁がいるのに浮気してるって言われるよ」


 そう言いながらソラは自分の席に向かう。


「ちょ、ちょっとソラ! ねえ! どんな感じだったの?」


 サクラは慌ててソラを追いかけて河辺から離れていく。それを見て河辺はギッとソラを睨むのだった。

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