第19話 ナギとディーク
ナギが異世界へ転移する日のこと。ディークは眉を潜めナギへ訊ねる。
「今なんと言いました?」
「だから、俺は違う世界に行こうと思う」
「どこか、頭でもぶつけましたか?」
「するわけないだろ」
「じゃあ私をからかっているのですか?」
「からかってもいないし、冗談でもない」
真顔で言うナギに、冗談ではなさそうだとディークは思う。だが、
「すみません、まだ思考がついていけません」
「そうだろうな。普通そんなこと考えたとしても実行するやつはいないからな」
「はい。まずそれをするとなると膨大な魔力が必要です。今までも何人もの者が実行しようとしましたが、計り知れない膨大な魔力を前にして断念してきたものです。ですからそれは現時点では実行不可能だと言われています」
「そう言われているな」
ナギもその通りだと頷くが、にぃっと笑う。
「でも俺はそれを実現した。ついてこい」
ナギは地下の隠し部屋へとまだ半信半疑のディークを連れて行く。その場所は何もない部屋だった。やはりこれはからかわれているに違いない。
「ナギ様、私をからかってますよね?」
「まあそう言って信用しないと思ったから実物を見せる」
ナギは中央に向かって手を翳す。すると何もなかった床に大きな魔法陣が現れた。それを見てディークは目を見開き驚く。
「なんて強い魔法陣……」
ここまで魔力が強い魔法陣は見たことがない。魔法を使う者ならばすべての者が驚き感嘆の声を上げるだろう。
「これをナギ様1人で作られたのですか?」
「ああ。おかげで魔力のほとんどを使ったわ」
大袈裟にため息をついてみせる。
「いや、ナギ様の魔力の量では、この魔法陣を1人で作るのは無理なはず――」
そこまで言ってディークはあることに気付く。
「ナギ様、まさか今まで魔力を隠していらっしゃったのですか?」
ナギはそれには応えずただ笑うだけだ。だがそこで確信する。ディークが言ったことが正しかったことを。
確かに今まで戦場に出向いていたナギの時だけおかしなことが起っていた。こちらの勢力と敵の勢力では何十倍と違った時があった。兵の人数も雲泥の差があったのに、なぜか勝利していた。だいたいが敵の中心部から壊滅していったという報告を受けていたが、原因がよくわからなかったのだ。
「もしかして戦場での不可解な出来事は……」
「ああ。皆には内緒で敵の中心部に移動して俺が壊滅させていた」
「瞬間移動でですか?」
「ああ」
瞬間移動は魔力によって距離が違ってくる。敵の陣までには相当の距離があったはずだ。そして敵陣は侵入されないように魔法で結界も張っていたはずである。それを破って1人で行ったということなのか。
「まあ信じるか信じないかはお前の勝手だがな」
「いえ、この魔法陣を見せられて信じない理由が見つかりません」
目の前にある魔法陣は魔力もそうだが、複雑な方式でディークでは解読できないものだった。
「この魔法陣はいつから……」
ここ最近考えたものでないことは見ても分かる。まずここまで複雑な魔法陣を作るには相当な年月がかかるはずだ。
「作ろうと思ったのは7年前だ」
「!」
7年前と言えばナギが戦争へと行き始めた頃だ。
「本格的に考えるようなったのはこの地に来てからだ。そして半年で完成させた」
ディークは驚き目を見開く。たった半年でこれを作ったというのか。そこで気付く。
「この地に来てすぐですか?」
「ああ」
――それほどこの地が嫌だったのか……。
目を眇めて目の前の主人を呆れるように見る。確かにナギはいつも「俺にはこの土地は向いていない」と口癖のように冗談めいて言っていたが、本気だったようだ。
そこでディークはある思いを口にする。
「これほどの魔力があれば王位はナギ様になっていたのでは!」
この国では基本魔力が強い者が王位を継ぐことになっていた。ナギの兄弟は兄が2人。その中で一番魔力があると言われていたのが一番上の兄のアベルだった。確かにアベルの魔力はディークが見ても強かった。だがこの魔法陣を見て、ナギの魔力は兄アベルよりもはるかに強い。ならばナギは国王の座を手に出来たはずだ。
「元々王位にはまったく興味がなかったからなー」
そうなのだ。この男、まったく興味がなかったのだ。
「もしかして王の座に付くのが嫌で魔力を隠していたのですか?」
「ああ」
なんと欲がないお方なのだろうかとディークは思う。
兄2人と母が違うからか、それとも一番末っ子だからなのか、まったく欲がない。別に頭が悪いわけでもない。周りもよく見ていて先見の明もある。そして慧眼の持ち主でもある。王の素質は十分あるのだ。なのに本人にまったくその気がない。
「国王になってもいいことがないからな」
ナギがなりたくない一番の理由が、欲望にまみれた損得勘定でしか動かない上流階級の者達だった。
ナギが戦場に身を置くようになった理由もそれだ。亡くなった前国王で父親の死が一番の理由だったが、元々白黒はっきりしているナギにとって、嫌いな上流階級の者とうまくやっていくことが出来るとは到底思えなかったのだ。
その後戦争も終わり平和になってからは、戦争中ということで先延ばしになっていた王位継承問題が浮上し、巻き込まれたくなかったナギは王家から一番離れた辺鄙な場所のツイランの領主を自ら志願して移り住んだ。
だがナギの予想以上にツイランは酷かった。あまりにも田舎でインフラ整備もまったく進んでおらず、スラム化した場所もあり、荒れた土地だらけの場所だったのだ。そのため最初の1年は土地の改良から始め、比較的簡単な豆類や芋類の栽培から始め、民にも栽培の仕方などを一から教えた。今2年経ち、どうにか栽培が出来るようになってきたところだった。
「ここにいても俺のすることはほとんどないからな」
「いいえ。やることはまだまだ山積みです。何を言っているのですか」
すぐに突っ込む。
「いや、自分で体を動かすことがないという意味だ」
戦争に身を置いていたナギは、インフラ整備などは管轄外だ。そのため土地改良などは部下の者がすべて提案、計画実行をしていた。ナギはただ最終許可を出し、問題が起れば指示を出していただけだ。だがそれは執務室の一角でのデスクワークで
それがナギにとっては一番辛かった。
「ここに来て一段落したからな。タイミングとしては今しかないと思ったわけだ」
「ぜんぜん一段落しておりませんが? どうせまた面倒な(婚約者が訪ねてくる)ことが増えるからでしょう」
「……」
不満爆発寸前の顔をしてナギの本心を指摘するディークに、ナギは罰が割るそうに視線を逸らす。そんな主人に、これ以上不満を言っても意味がないとディークは大きく深呼吸して、一旦気持ちを落ち着かせる。
「まあいいでしょう。だからこの転移魔法陣を作ったと?」
「そうだ」
ナギの言いたいことは分かった。だが問題が残る。
「もしあなたが違う世界に行ったらこの領地は、私達はどうなるのですか?」
ナギがいなくなれば、何も知らない従者達は途方にくれ、否応にもいつかは王家にばれる。そうなればナギがいなくなった責任を取らされ打ち首にされるかもしれないのだ。
「そこは大丈夫だ。これを」
ナギは2冊のノートをディークに渡す。
「これは?」
「一冊はディーク用。もう一冊は俺の代わりに来るやつ用だ」
「ナギ様の代わりに来る者?」
「ああ。俺がこの魔法陣で違う世界に行った場合、俺と同じ心境のやつ、今居る世界から抜け出したいと思っているやつが俺の代わりにやってくるようにしてある」
「何をおっしゃっているのですか! 代わりに来てもあなたの代理が務まるわけがないじゃないですか!」
声を荒らげながら言うディークにナギは宥める。
「落ち着けディーク。そこは大丈夫だ」
「? 大丈夫と言いますと?」
「俺と入れ替わった時点で、俺に関わった者すべての者の記憶が書き換えられるようにしてある」
「そんなことが――」
出来るのかと言おうとして言い
ならば、何の問題もない。問題ないのなら「わかりました」と返事をするだけだ。だが、その一言がなかなか言えない。
今までナギが望むことはすべて叶えてきた。それが自分の従者としての役割だと十分解っている。だけど今回だけは違う。
気付けばディークは、苦渋の表情を見せ、自分の気持ちを口にしていた。
「私は、ナギ様を慕って一生あなたに仕える覚悟でここまでついてきました。それをいとも簡単に見捨てるのですね……」
ナギも目を細める。その気持ちは痛いほど分かっていた。
「それに関してはすまないと思っている。今までこんな俺についてきてくれて感謝しかない」
どんな時もディークはナギを裏切ることはなく、ナギを信じてついてきてくれた。ナギが一番気にしていたのがディークのことだった。
「だが、」
「わかっております!」
ディークはナギの言葉を遮るように、そして自分に言い聞かせるように声を張り上げて言う。
「ディーク……」
「ナギ様が私を思って今まで言えなかったのですよね」
「……」
「ここに来て2年も経っているのです。あなたが不満を持ったのはすぐでした。それなのに2年も我慢していらしたのは私のことを考えてですよね」
この魔法陣を見れば分かる。今出来たものではない。ナギの話からして1年半前には出来ていたことになる。それをすぐに実行しなかったのは、ディークを思ってのナギの優しさからだ。
「そして私にこのことを教えてくれたのも私を思ってのこと。黙って行くことも出来たのに、あえて私に教えてくれたのも私を思ってのこと」
「……ああ」
やはりとディークは微笑む。
――本当にどこまでお優しい方なのだ。
「ならば分かってますよね。私の記憶は消さないでほしいという願いも」
「ああ。だからそのノートをお前に渡した。俺が一番信頼するお前に」
「ナギ様……」
「だから俺のこの願い、引き受けてもらえないだろうか」
真剣な眼差しで見つめるナギの視線を、ディークは凝然として受け止める。もうこれが自分が愛した主人を見るのが最後だと分かって――。
――あなたが王になったらどれほどこの国はよかっただろうか。
だが今そんなことを思っても詮無いことだ。ディークはナギをこの目に焼き尽くすように見る。そして微笑む。
「お任せください。ナギ様からの最後の命令、しかと私がお受けいたしました。ですからご心配なさらずにいってらっしゃいませ」
もう迷いはないという双眸にナギは、ふっと笑う。
「お前のその目が俺は大好きだった。いつも俺の背中を押してくれるいい目だ」
「ナギ様……」
ナギは魔法陣の中心にたつ。
「では行ってくる。後のことは頼む。元気でな。今までありがとう」
すると魔法陣が光り出す。それを見てディークは笑顔を見せて言う。
「いってらっっしゃいませ。私の永久無二の
そしてナギが消えるまで深々と頭を下げ続けた。
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