第2話
翌木曜日。
事態は好転しない。アイドルは発見されないし、私たちは粛々と仕込みを続ける。どうするんですか、やるんですかやらないんですか、という声が他の出演者からも上がるようになっていた。演出家は私を舞台に立たせようとしている。舞台監督は反対している。他のスタッフは静観している。
幽霊氏は血を流している。
そして金曜日。正午ちょうどにアイドルの失踪をSNSと舞台のホームページで報告した。案の定、苦情が殺到した。報告が遅い。もう東京行きの新幹線に乗ってしまった、或いは空港にいる。チケットの払い戻しはどうなるんだ。凄まじい量のクレームを、制作兼舞台監督の男性が淡々と処理している。このまま初日の幕は上がる。私は出演しない。演出家は台本を書き換えた。そもそも台本自体が演出家のオリジナル作品ではなく、古典として親しまれている作品を現代風にアレンジしたものだった。設定は現代のままでストーリー展開を元に戻し、アイドルではなく、共演の、女性ベテラン舞台俳優が主演の物語に変更することになった。台詞はほとんど同じ。ただアイドルが舞台上から姿を消すだけ。
15時。
アイドルが戻ってきた。
「なんかすみません!」
と楽屋で深々と頭を下げる彼女には、反省の色はまったく見えなかった。「なんかすみません」という言葉のチョイスからしてそうだ。なんかって。
「SNS見てたら怖くなっちゃって……それで……」
それで。それでなんだというのだろう。
「でもお仕事はきちんとやらなきゃって思って……」
舞台監督がスマホとタブレットを片手に楽屋を出て行く。アイドルの帰還をサイトとSNSに掲載するためだ。
「じゃあ……予定通り初日を開けるということで……」
演出家が弱々しく笑う。
ポタリ。
音がした。
常に宙空に浮いている幽霊氏のつま先から、血が滴った音だった。
彼女の顔を見上げる。青褪めた顔。引き攣った口元。艶やかな真っ黒い髪。
きれいな顔をした女性だと思った。
やっぱり許せないですか。
「──あんたが」
声。
「あんたがなんでこの舞台の主演に抜擢されるの全然納得いかなかった納得いかないから一旦成仏してたのに戻ってきちゃった10年だよ10年私が死んで10年あんた一度でも私のこと思い出したことあるないよねだってあんたにとっては今まで踏み付けてきた大勢のうちのひとりでしかないもんねでもこっちは違うんだよあんたのせいで私のお父さんもお母さんもお兄ちゃんも人生めちゃくちゃになって10年経ってようやく弁護士を立ててあんたと争おうとしてるんだよねえちゃんと聞けよしおらしく反省してる振りなんかしてるんじゃねえよ10年前のあのとき私スカウトされてたんだよねあんたたちにはいじめられてたけど演劇部には居場所があったからそこで一生懸命やってたら学祭見に来てくれた小さい劇団の演出家からスカウトされて高校に行きながら演技の勉強もするってことになっててあんたいったいどこでそれを聞きつけたの? 私の初舞台はこの戯曲だった、今日あんたが初舞台に立つこの! 戯曲! あんたはひとつも台詞を覚えないけど私は全部覚えてる私が演じる予定だった役以外も全部の台詞を覚えてる! この! 人殺し!!」
アイドルが、私の顔をぶん殴った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます