数学研究部と出題


 「問題です!!」


 立て付けの悪い引き戸を開けた俺は、元気いっぱいの音波を身に受けた。


 部室には誰もいないかと思っていた俺は少し驚く。


 そしてその瞬間、ほぼ同時に俺は3つのことを考えた。


 まず、挨拶がわりに問題を出題するなんて、やっぱり数学研究部員は変わっているなあ、ということである。


 全ての数学研究部員は変人である。

 

 残念ながら、この命題は俺という反例があって成り立たない。そう、俺は数学研究部の部長なのだ。しかし修正された次の定理が成り立つ。いま、この章では数学研究部という言葉はこの高校の部活のみを指しているとする。


 定理3.1 任意の数学研究部員Aについて以下の二つのうち、いずれか一方が、そしていずれか一方のみが成り立つ.


 (a) Aは変人である. (3.1.1)

 (b) Aは部長である. (3.1.2)


 証明: 自明なので省略する.


 証明を自分で試みようとする読者に向けて。俺は数学の熱狂的ファンではないが、俺以外の4人の部員は数学崇拝者であるという補題を証明してみよ。


 ……冗談だ。


 二つ目は、さすが、掛布さんはいつも元気だなあ、ということだ。


 数学研究部員:掛布零音は満面の笑みを浮かべて、部室に入ろうとした俺に立ちはだかるように移動する。


 変わった形の緑色のヘアピンをつけている。最初にそれを見た時はてっきりト音記号だと思ったが、あとで花文字のAだと知った。

 

 実のところ正確に覚えているかどうかは疑問なのだが、確か彼女の名は掛布零音だ。


 平常時の安藤や俺、砺波が基本的に無口であるのに対して、掛布さんはその釣り合いをとるかのように明るい。


 俺は静寂と調和を何より愛する人間だが、流石に部員が俺や安藤や砺波のような寡黙な生徒ばかりだと気詰まりなので、掛布さんの存在はありがたい。


 そして、そう3つ目だ。


 申し訳ない。確かにこの時俺は3つの印象を受けた筈だ。しかし、どうやっても三つ目を思い出せない。まあ、忘れてしまうほどどうでも良いことだったのだろう。こういうことはふとした時に思い出すものだから、とりあえず先に進もう。


「部長、問題ですっ!!」

 

「こんにちは。……掛布さん、問題って?」


「ええと、お入り下さい。」


 そう言って掛布零音は部室の黒板へ駆け寄る。


 てっきり問題が解けるまで部室に入れないという試練かと身構えていたので少し拍子抜けだ。もしそうだったらありがたく帰らせてもらうのだが。


 部室へ入り、引き戸を閉めるのに若干苦労しているうちに、掛布さんは黒板に以下のようなことを書いた。


 1,-1,1,-1,1,-1,1,-1,……


 1,0,-1,0,1,0,-1,0,……


 1,0,-1,1,0,-1,1,0,-1,……


 絶対値が1以下の整数が並んでいる。よく見ると同じかたまりが繰り返されているようだ。


「これが問題?」


 正確に聞くと、これが問題のテーマなのか?


「はい!例えば1番上の、1114番目の数は何になると思いますか?」


「うーん……黒板には8つまでしか書いていないけど、その先があるとして、ということ?」


「はい。1と-1が交互に繰り返すものとして考えてください。」


「あと、1番最初の1は1番目としていいの?」

「と、言うと?」

「実は黒板に書かれていない数字があるかもしれない。」


 掛布さんは目を丸くして、それでもすぐにデフォルトの笑顔に戻る。


「ありませんよ〜。随分細かいことを気にするんですね。」


「だとしたら、……-1、でいいのかな?」

「はい!」


 1番上の行は「1.-1」が、そして二行目と三行目はそれぞれ「1,0,-1,0」と「1,0,-1」が繰り返されているようである。


 あまりに簡単な質問だったのでつい何かが仕込まれているのかと疑ってしまったが、要するに俺がこの3つの数列の周期性を理解しているかを確認する意図があったのだろう。

 

「問題はこれからですよ。」

「そうか。」


 えへん、と間を取って、掛布さんは輝いた目でこちらを見る。


 

「この3つの数列の一般項を求めてください。」


 なるほど一般項か……。


「一般項って何?」 

「ええっ!知らないんですか?」


 掛布さん、俺はまだ高校一年生なんですが。そりゃ数学研究部の部長ではあるけど、まだ三角関数や微積分も知りませんよ。


「部長……三角関数も知らないんですか?」

「うん。」

「……そう……ですか……。」


 先ほどとは打って変わって、露骨に困った表情になる掛布零音。


「ええと……一般項というのはですね。」


 掛布さんは再び黒板に数字の列を書き入れる。


 1,3,6,10,15,21,28,36,45,55,……


 そうしてその隣に数式を書き込む。


 n(n+1)/2


 さらに、もう一列。

 

 1,1,2,3,5,8,13,21,34,55,89,144,233,……


 そしてその下に√5が3回出てくる複雑な式が一つ。ここには省略する。


「一般項っていうのは、数列の代表者のようなもので……ええと、数列のn番目の数と考えてもらって大丈夫です。それで……一般項を求める、というのは数列のn番目の数をnを用いた式で表すことと捉えてください。」


「この最初の例でいくと、n番目の数はn(n+1)/2ということだね。」


「その下の数列の一般項はこの式なんですが……これは代入して確かめるものでは無いので悪い例でしたね。」


 確かに最初の二つまでは代入して成り立っていることが分かるが、その先は分からない。二次方程式を解かなければお目にかからないような数が2つ、n乗されている。いったい掛布さんがどうしてこの例を出したのかは謎である。数列を覚えていたみたいにスラスラと黒板に書いていたのも不思議だ。それに……


「だとしたら、簡単じゃないかな。例えば最初の列の一般項はnが奇数のとき1、nが偶数のとき-1。これじゃ駄目なのかい?」


 駄目だろうな、とは思っていたが一応聞いてみる。


「駄目です!一般的にはそれでOKですが、今回は一つの式で表してください。場合分けや、新しい関数を定義したりするのも駄目です。」


「うーん、分かった。」


 俺に解けるだろうか?解き方が全く見当つかない。


 そんな会話をしているうちに砺波が部室に入ってきた。


 砺波とは、俺と同じ一年四組の数学研究部員である。周りには読書が趣味の寡黙な女子高生と思われているが、実は読んでいるのは数学書である。果たしてこれを読書といっていいのだろうか。まあ本を読んでいることに違いはないが。


「砺波さん、こんにちは。……問題です!」

「……?」


 砺波は俺の隣の席だが、彼女はいわゆる無口キャラであり、簡単な会話をしたことがあるくらいだ。

 

 掛布さんが先ほどと同じように砺波へ説明しているのを聞き流しながら、少し考えてみた。


 最初の列は簡単に答えがわかる。


 -(-1)^n


 正負が交互に代わっていることから、-1が順番に掛けられているということに気づいた。つまり次の数は前の数に-1を掛けたものであるということだ。最初は(-1)^nだと思ったがそれだと最初の数が-1となってしまう。よって-1を掛けることで最初の数が1になるようにする。それが上述のものだ。


 しかし、2列目以降となると状況は変わる。0が登場するためだ。どうしようか。


 俺が考え込んでいると安藤が部室に入ってきた。


「こんにちは!」

「……。」


 安藤は会釈だけだ。こいつは数学以外のことは一言も喋らないのである。


 掛布零音が今度は安藤に説明している。


 俺は説明が終わるのを待ってから、掛布さんに質問をしようとした。しかし、掛布さんの方が先にこんな提案をしたのである。


「せっかくですから、3人で競争ということにしましょう!」


「ちょっと待った。これ、俺はちょっと考えただけじゃ分かりそうもないんだが、砺波や安藤ならすぐ解けるんじゃないか?はっきりいって勝負にならないだろう。」


「ええと、じゃあこれはどうでしょう?この問題、実は答えは一通りではありません!私は三通り思いつきました。思いついた人から順番に、今までに出なかった答えを出していって、今日の部活が終わるまでに解けなかった人の負けとしましょう!」


 つまりこういうことだ。


 この数列には複数の異なる形をした一般項があり、そのうちまだ誰も答えていないものを俺が答えることができれば負けることは無いということだ。

 

 それでも俺が解けなさそうというのは変わらないんだが……。


「さっき『3人で』って言わなかったか?」


 数学研究部員は5人いる筈なのだ。出題者の掛布零音を入れても4人。


「ユキは今日は来ないそうです。」

「なるほど。」


 数学研究部は基本的に自由参加なのである。俺は部長なので毎日来させられているし、砺波は毎日来ている気がするが。


「負けた人は一週間部長をやってもらいます。」


 おい、それだと部長が損な役職のようじゃないか?俺は積極的に肯定するが。というか、1人だけ解けない前提で話してるだろう。


「そういうのは気にしないで下さい。ここは数学研究部なんですからこういうイベントがあって然るべきですよ!全員が解けたら私が一週間部長になります!」


「周期数列だから一般項は無数に得られる。例えば、真ん中の数列の一般項の式にn+3を代入したものも一般項となりうるけれど、それは大丈夫?」


 珍しく砺波が発言をする。安藤にも当てはまるが、数学は数学好きを饒舌にするのか?


「ああ、そうですね……。」


 掛布さんは困ったようにヘアピンに手を当てる。それにしても何で花文字のAの形を選んだのか。


「こうしましょう。」


 掛布さんは数秒考えた後、以下のルールを追加した。


 一般項はすでに出されたものと異なるアイデアで構成すること!!



「3列同時に解答して下さいね!」

 

 さて、こうしてさっぱり俺に勝ち目がない勝負が始まった。


 聡明な読者の方々は既に答えをお分かりなのではないか。


 実のところこの数列の一般項を求めるための道具はすでに登場していたのである。


 ここはどうか3つ以上解答を見つけて、それを教えてくれ。


 一週間でいいから俺を部長の職から解放してほしい。


 頼んだ!!


 




 

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