第10話 ホテルにチェックイン

 店を出ても、まだ5時半過ぎだった。いやはや、店に入ってから30分かそこいらしか経っていないとは。速すぎる。しかし、おでんや治部煮で、お腹はいっぱいだった。

 金沢周遊バスは、午後6時を過ぎると運賃が変わる。というか、バスの種類が変わるというか。だから、昼間買ったフリー乗車券が使えないのだ。ところが、飲み屋を出てもまだ余裕でフリー乗車券の使えるバスに乗れた。

 金沢駅に戻ってくると、ぼちぼち6時だった。そして、やっと外から駅を眺め、あの有名な門を見ることが出来た。フリー乗車券の模様にもなっている、銅色のでっかい門。写真を撮った。まだ日は沈まない。雨もすっかり止んでいて良かった。曇ってはいるが、空は明るい。

 駅前の噴水には、水で文字が浮かび上がるようになっていて「ようこそ金沢へ」と「いいね金沢」が交互に現れた。そういえば、今まで自分の写真を撮っていなかったので、あの有名な門をバックに自撮りをした。マスクで旅行するのは今回が初めてだ。マスクは夏用の不織布で、涼感タイプだとかいうやつ。少し大きめなので、私の顔を半分以上覆い隠している。撮った写真を見てみると、顔のほとんどが白いマスクだが、気になるのがぐちゃぐちゃな髪の毛。ここまでだいぶ蒸し暑かったからな。

 コインロッカーの場所へ戻り、スーツケースを取り出した。良かった、ロッカーの場所を忘れたりしていなくて。そうして、ここから歩いてホテルへ向かう。

 歩いてすぐのはずだが、ここでもやはりスマートフォンで地図を見ながら進んで、何とか目的のホテルを見つけた。近くにはコンビニや飲み屋もあった。ホテルは思ったよりも小さかった。小さいけれども新しい感じだ。

 「天然温泉、鼓門の湯 スーパーホテルPremier金沢駅東口」というホテル。駅の近くにあるホテルだから、温泉街の旅館とは違う。ホテルの中にレストランはなく、ロビーは朝食時には食堂になるらしく、食堂っぽい感じに椅子とテーブルが配置してある。

 私が入って行くと、家族連れが外に出ていくところだった。けっこう親子連れが多い。そして、若い男性グループも見かける。今から出かける人達は、夕食を食べに行くのだろう。

 受付でチェックインをした。私は「ワクチン接種者応援プラン」で予約をしたので、ワクチン3回目接種の証明書を見せた。接種証明アプリで。このプランはやたらと安かったのだ。そして、ホテルについての簡単な説明を受け、部屋番号と暗証番号が書いてある紙と、お風呂の暗証番号が書いてある紙などをもらった。これらの紙を持っていないと、部屋に入れなかったり大浴場に入れなかったりするらしい。

 部屋に案内してくれる人はいない。簡素化だ。いや、ビジネスホテルなら普通か。一人でエレベーターに乗って部屋へ向かう。エレベーターの前には棚があって、そこにたくさんの枕が置いてあった。そう、このホテルの売りの一つは、枕を選べるという事。ホテルの従業員の女性が、

「部屋の枕は高いので、どうぞ持って行ってください。」

と言う。

「そうですねえ……じゃあ、これを。」

置いてある高さが様々な枕の中で、真ん中くらいの高さの物を一つ選んだ。それを持って、部屋のある6階へ向かった。

 スーツケースに、暗証番号が書かれた紙や朝食券などの書類に、枕まで手に持って、必死になって移動した。部屋の前に来ると、ドアノブの下にテンキーがある。もらった紙に書いてある通りに、まずSTARTを押し、6桁の暗証番号を押すとカチっと音がした。そして、ドアノブを回してぐっと押すと、ドアが開いた。

 ダブルルームという話だったが、確かに大きいベッドが一つ置いてある。ダブルベッドなのだろう。それ以外にあるスペースは、人が1人歩ける幅しかない。ベッドの他には、テーブルと小さいソファー、そして小さい冷蔵庫があった。ベッドに寝た時の頭の上には窓があり、足の下の方の壁には、大きなモニター画面がある。このモニターは、テレビももちろん見られるのだが、大浴場や朝食会場の混雑具合なども見ることが出来た。

 窓は小さく、外を見るとマンションなどのビルが見えるだけなので、ブラインドを閉めた。流石に外は暗くなっていた。もうすぐ午後7時だ。

 さてさて、大浴場へ行くべし。モニターのリモコンを操作してみると、今は混雑していないそうだ。男の子だと、タオルと着替えだけ持ってさっと行けるからいいが、化粧をしている生き物はそうはいかない。それに、私はお風呂の前に差さなければならない目薬がある。実は緑内障の目薬だ。ド近眼だから、早くから緑内障の気があって、何種類もの目薬を毎日点眼しなければならないのだ。目薬を差し、クレンジングとか、化粧水なども小さいバッグに入れ、タオルと着替えを持って出かけた。

 大浴場は広いし、薄暗い事が多い。私は昔から目が悪い。少し前まではいつも服を脱ぐ前に、メガネを掛けたまま浴室内を覗いてみて、どこに何があるかを把握したものだ。それからメガネを外し、服を脱いで浴室に入った。

 しかし、最近はもう、メガネを掛けた状態で浴室に入る事にしている。湯気もあるし、よく見えない状態で歩くのは危ない。年と共に気を付けなくてはならない。洗う所に腰かけたら、メガネを外して近くに置いておく。洗い終わって湯船に浸かりに行く時には、メガネを掛けてお湯に入る。入ったら外して近くに置く。そうしないと、湯船に入る時にも危ないから。メガネもびしょびしょになるから、あまり見えやすくはないのだが。因みに、メガネは当然曇るので、曇りを取るためには石けんとお湯でレンズを洗うのだ。そうすると曇りにくくはなるのだが、びしょびしょなので水の中を覗いているような視界になる。

 さて、ここの浴槽はけっこう広くて、空いているのでゆったりと入れた。けれども、いつもゆっくり浸かる事が難しい。長湯が苦手なのである。それでも、せっかくの温泉だから、一度上半身をお湯から出して座り、少し経ってからもう一度肩まで浸かってみたりした。

 大浴場は、脱衣所の床がびしょびしょなのが玉に瑕。お風呂から出て来て、着替える時に服を濡らしてしまわないかと心配になる。それと、隣のロッカーに入れた人とかち合うと、気まずい。今回は隣ではなかったが、近くでおばあさんと幼い女の子が着替えをしていて、時間がかかっている様子だった。待っていたら、いつになるか分からない感じだったので、体はよけて、手だけでロッカーから服などを取り出し、女の子にジロジロ見られながら、さっさと着替えた。

 脱衣所にドライヤーは2つしかなく、自室にあるからここでは使わなかった。私はショートヘアなので、肩が濡れるなどの心配もない。

 部屋に戻って髪を乾かした後、1階のロビーに降りて行った。このホテルのもう一つの売りである、ウエルカムドリンクをもらう為だ。

 ジュースにカクテル、ワイン、日本酒と、色々あって、自由に飲めるらしい。ホームページで見て、あれを飲もうかこれを飲もうかと考えていたのだ。

 ロビーに行くと、テーブルがいくつもあって、その上に「使用中」とか「消毒済み」という紙が乗っていた。消毒済みのテーブルの所に行けばいいのだな。

私はまず、赤ワインを飲むことにした。置いてあるのは紙コップ。小さい紙コップ。え……ワインを紙コップで?ちょっと、いや、かなり残念。これではまるで試飲ではないか。それに、赤ワインは大きいグラスに少量注いで、クルクルと回して、空気と混ぜ合わせて飲む方が美味しい。そうではないワインもたまにはあるが、大抵その方が美味しいのだ。全然違うのだ。それなのに、こんなに小さい紙コップで飲めと?

だが、仕方がない。無料だし。それに、そんなにかしこまって飲むような高級なワインではないのだろう。いや、安いワインこそ、ちゃんと美味しい方法で飲まないと……。まあいい。とにかくその小さい紙コップに赤ワインを注いで、「消毒済み」のテーブルの所に持って行って座った。そして、飲んでみた。が、甘い。なるほど。そういう事か。確かに、クルクルするというレベルでは……失礼。あまり好みの味の赤ワインではなかったという事だ。

 それならば、白ワインを飲んでみようと思った。私はワインが好きなのだ。日本酒もいいけれど、やはり一番好きなのはワインなのだ。赤、白の順に好きなのだ。だが、白ワインをもらいに行ってみると、何と白ワインの瓶は空っぽだった。一応逆さにしてみると、一滴だけ出た。その一滴は美味しい気がした。キョロキョロして従業員を探したが、見当たらない。ワインが無いなら他のお酒にしようかどうしようかと迷った。だが、おつまみもないし、一人、ここでゆっくり飲む気にもなれなかった。明るいし、子連れが騒がしいし、私すっぴんだし。

 もういいやと思って、自動販売機を探した。自動販売機でビールが売っているはずだった。それもホームページで見たので。それを買って部屋で飲もうと思った。

 うろうろするも、コーヒーメーカーなどがあるだけで、自動販売機が見当たらない。そして、やっと従業員を発見。早速、

「白ワインが無くなっていましたよ。」

と言ってあげた。しかし、その女性従業員は、

「わかりました。ありがとうございます。」

と明るく言っただけで、すぐに補充しようとしない。ウソでしょ、なぜ?普通、無くなったと言われたら、すぐに取りに行くでしょ。だが、全然取りに行く気配がなく、そのまま何かの補充などの作業をしているので、

「あと、自動販売機はどこですか?」

と、聞いてみた。すると、

「3階にあります。」

と言われた。白ワインにはちょっとだけ未練があったが、諦めて3階へ向かう事にした。そして、さっき座った席の「消毒済み」の札、あれを裏返して「使用中」にすべきか否か迷った。どう考えても汚していないし、ちょこっと座ってクイッと一杯赤ワインを飲んだだけだ。でもまあ、使用したわけだし。一応裏返して「使用中」にしてきた。

 チラチラと白ワインの方を見ながら歩いたが、一向に補充される気配がなく、とうとうエレベーターの前まで来てしまった。もう諦めるしかない。本当に、何故補充しないのだ。

 エレベーターの前では、また別の従業員の女性が、アメニティを並べていた。

「良かったらどうぞ。」

と、にこやかに言われた。試供品風の、シャンプーや化粧水やらが色々とある。お茶のパックもあったか。自分が使う化粧品は持って来たし、シャンプーなどはお風呂場に置いてあったし、と思って要らないと思っていたのだが、何だか気になる「ローズガーデンの香り」という表示に誘われ、いくつかもらった。確か、お一人6つまでとか、書いてあったと思うが、シャンプーなど、3つだけもらった。

 それから、気になっている事があったので、聞いてみた。

「あの、連泊プランなので、お部屋のお掃除などは無しですよね。その場合、タオルは補充していただけるのですか?」

すると、

「はい、袋に入れて、ドアノブに掛けさせていただきます。」

という回答だった。なるほど。それなら良かった。それにしても、そういう事をチェックインした時に説明してくれないと困るじゃないか。説明が足りないわ、と思った。


 さて、3階で降りて廊下を進むと、自動販売機がいくつも置いてある部屋があった。誰もいない。ビールにするかハイボールにするか、レモンサワーのようなものにするか迷ったが、第三のビールにした。クリアアサヒだ。安いから。それから、おつまみの自動販売機があったのには驚いた。容器がビールの缶のような形をしているもので、柿ピーとミックスナッツの2種類があった。ミックスナッツの方を買ってみた。出てきたら、缶ではなくプラスティックの入れ物だった。蓋が付いていて便利だ。330円だったけれど、けっこうたくさん入っている。ナッツと共にあられやクラッカーも入っているようだ。

 部屋に戻り、クリアアサヒを飲みながら日記を書いた。クリアアサヒってこんなに美味しかったっけ。ただ、残念ながら部屋にグラスはなくて、陶器のマグカップに注いで飲んだ。それでも、美味しかった。おつまみの容器の蓋は、小皿にもなっていい。取り安くなる。

 それから、やっと部屋に置いてあった書類を見た。あらら、自動販売機は3階と書いてある。しかも、タオルの補充の方法もここにちゃんと書いてあった。見ていなくてごめん。でも、聞いただけだからいいよね。これが、

「説明が足りないのよ!」

なんて悪態付いたりしたら、非常にダメなおばさんだったけれど。やはり自分を過信してはいけない。歳を取ったらもう、我を張ったらダメだな。

 ビールが無くなってしまい、もう1缶ビールを買いに行くか、今度はハイボールにするかと迷った。だが、辞めた。お腹もいっぱい、と言うより、パジャマのズボンがキツいのだ。このズボンは自分で持って来たもので、キツいはずがないのだが。辞めておけという事だと思い、お酒のお代わりは我慢した。

 日記が終わると午後10時。寝るには早いのだが、体が疲れていて何もする気にならなかった。SNSに投稿するなら今なのに、それもやる気になれず、寝てしまった。

 そうそう、低い枕を持って来たのだが、元々置いてあった枕は長い枕で、試しに頭を乗せてみたらすごく良かった。高いと言われたけれど、家で使っている枕と同じくらいに思えた。せっかく長い枕があるのに、一人用の枕に替えるなんてナンセンス、と思った私は、元々置いてあった枕で寝たのだった。

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