第9話 あまつぼ~一人飲み

 藤井フミヤ展を見終わってロビーへ出ると、午後4時40分だった。椅子に腰かけて、改めてこれから行くお店の場所を、地図で調べた。

 予めガイドブックを見て、行くお店は決めておいた。前にも書いたが、決めておかないと迷った挙げ句、どこにも入れずじまいになりそうだから。店の場所が分かったので、4時55分までそこに腰かけていて、それから歩き出した。

 目印があまりなさそうなので、スマートフォンのナビを見ながら歩いた。徒歩4分というのだからすぐだ。まだ外は明るい。曇ってはいるが、夏の日はまだまだ高い。

21世紀美術館の前には金沢市役所があり、その縁をぐるりと回るような形で進んで行った。道の横に川が流れる。街中なので、もちろん柵がちゃんとあるのだが、それでも何となく風情がある。この辺だろうと思った場所で、注意深く店の看板を探すが、なかなか出て来ない。そのうち、ガイドブックで見かけた別の店を発見した。お目当ての店を見つけられなかったらここにしよう、などと思ったが、もう少し頑張って探そう。

 やはり、自分が嫌になる。ナビがここだと示しているのに無い。ちょっと行き過ぎてしまったので戻る。もしかして、一本向こうの通り沿いなのかと思ってそっちにも行ってみたが、無い。もう一度戻る。そして、見つけた。「旬味鮮彩・おでん・旨酒・あまつぼ」という店を。

 何だかなあ、どうしてさっきは見落としたのだろう。これだから自分を信じられない。特に自分の目は信じられない。さて、午後5時1分だ。店の中に入る。当然今日のお客第一号だろう。

 新しそうな、綺麗な床のお店だった。靴を脱いで上がり、お店の人に案内されて座ったところは、掘りごたつ式になった二人掛けのテーブル。隣のテーブルとは布のパーテーションで区切られていた。

 店にはカウンターがあった。その中で料理人が一人、作業をしている。私は独りなのだから、カウンター席でもよかったのだが、まあ、半個室のような部分はたくさん空いているわけだし、そっちで静かにどうぞという事なのだろう。

 私はちょっと迷って、奥の側に座った。つまり、少し遠いけれども、カウンターの中の料理人の姿が見えるような位置に座ったのだ。カウンターと半個室とを隔てる通路を、店員が時々通るわけだが、その人達の姿も見える。ということは、逆にこちらも見られるという事。見られるのが嫌ならば、そちらに背を向けても良いのだ。けれども、背中を見られるのも落ち着かない。一人だけれども上座に座った。

 さて、何故私がこの「あまつぼ」に来ようと思ったかと言えば、金沢名物をまんべんなく味わえそうだったからだ。金沢の郷土料理の他に、新鮮なお刺身や地酒も。

 メニューを見ていると、男性の店員がやってきた。用意周到な私は、頼むメニューさえも大体決めてある。日本酒とお刺身と、おでんと治部煮だ。そこで、店員さんにお勧めの日本酒と、おでん種を聞いてみる事にした。金沢では、夏でもおでんがよく食べられるらしい。そして、おでん種も、金沢ならではの物がたくさんあるという話だ。もちろんガイドブックで調べた。メニューには、確かにおでん種が色々と書いてあるが、名前だけではよく分からない。全部注文出来るわけでもないし、お勧めを聞いてしまうのが得策だろう。日本酒も、たくさんあって自分ではなかなか選べない。聞いてしまうのが早そうだ。

「あの、観光で来たんですけど、金沢らしい、お勧めのお酒はどれですか?」

すると、店員さんは、

「そう……ですね。(メニューをじっと見て)日本酒でしたら、辛口ですとこちらか、こちらなどがお勧めです。」

と、二つのお酒を示してくれた。ちょっと間があったが、お勧めを聞かれるとは思っていなかったのだろうか。日本酒のメニューには、甘いから辛いまでのレベルが棒グラフのようなもので示してあり、お勧めと言われたお酒は、やや辛口と思いっきり辛口の二つだった。「甘口なら」という選択肢が出るのかと思ったら、出なかった。一人で飲み屋に来て、いきなり日本酒を頼むような人は、絶対に辛口が好みだという統計的あれなのか。私は、思いっきり辛口の日本酒はそれほど好まないので、

「じゃあ、これを。」

と、やや辛口の方の「加賀鳶 極寒純米酒」を注文した。そして、

「お料理は、お刺身の盛り合わせと、治部煮と……。」

などとお料理を注文していき、

「おでん……おでん種も、関東ではあまり食べないような、金沢らしい物がいいんですけど。」

と、言ってみた。が、店員が黙っているので、

「車麩とか、あとこれ、カニ面ですか?それから……うーん。どれがいいかな。」

と更に言ってみた。すると、店員さんはまたメニューを見て、

「梅貝(ばいがい)などはいかがですか?」

と、言った。大きい巻き貝だ。よく分からないけれど、せっかくお勧めしてくれたから、それも注文する事にした。

「じゃあ、それで。」

一つしかお勧めしてくれなかったので、それで終わりになった。あと一つ二つ教えてくれても良かったのだが。

 まず、日本酒とお通しが出てきた。日本酒は半透明なガラスで出来た徳利に入っており、お猪口も同じく半透明なガラス。お猪口は口が大きく広がった形をしていて、少し厚みがある。こんなお猪口で飲むのは初めてだ。一口飲むと、なるほど美味しい。お猪口の口当たりが涼しくて優しく、しかも見た目がとっても綺麗だ。綺麗な器で飲むと、それだけでもテンションが上がる。より美味しく感じる。実際、冷たく冷えたお酒はほどよく辛口で、しかし少々の甘みも感じて、とても美味しかった。お通しは、白くて薄くてコリコリしたものと、赤い棒状のものだった。赤いのは新生姜の梅酢漬けかな。

 そして、お刺身の盛り合わせが出てきた。ブリと甘エビと鯛。わかめやキュウリ、水菜、大葉、ラディッシュ、そして白い海藻類。キュウリの薄切りはなぜか真ん中に穴があいている。お刺身はもちろん美味しい。お刺身と日本酒を合わせるのが大好物なのだ。お刺身を食べ、日本酒を一口。どんどん進む。

 あっという間に食べてしまうのが私の悪い癖。人と一緒でも、まずはバクバクと食べるものをやっつけてしまい、それからしゃべり出す。コース料理などは、次が出てくるまでに暇を持て余してしまうのだ。しかし、今日は一人だからしゃべっている時間があるわけがなく、より速い。海藻の最後の一本まで、綺麗に平らげる。野菜は大事だしね。だが、店が空いているので料理はすぐに出てくる。待っている間があったら持て余してしまうところだったが、その心配はなかった。というか、食べている最中に運んでこられると、ちょっとだけ気まずい気がした。あーんと口を開けている所へ人がいきなり現れるから。こういうの、一人で居酒屋に行くならば、慣れないといけないのだろうな。

 で、次に出てきたのが治部煮だった。本当はおでんが先の方がよかったが。だって、おでんはまさに日本酒のお供だが、治部煮はどちらかというと〆ではないのか。と思ったら、ほぼ同時におでんもやってきた。よかった。おでんを先に食べよう。

 おでんは思ったよりも薄味だった。関東よりも北陸の方が薄味好みなのだろうか。飲み屋のメニューでこの薄さ、関東だったらあり得ないのではないか、と思うレベルである。こういう発見が旅の醍醐味だ。面白い。

 梅貝は歯ごたえがあった。関東でも、おでん屋に良く行くわけではないので、貝があるのかどうか分からないが、自宅では貝を入れない。実家や親戚の家で食べたおでんにも、貝が入っていた事はないと思う。珍しい。日本酒には合う。車麩は、味が薄い。からしを付けたら辛すぎた!鼻がつーんとしてしまった。涙がちょっと出る。カニ面は、橙色と白の渦巻きな感じのかまぼこで、それが一本の串に二つ刺してある。かまぼこの味だが、カニで出来ているのだろう。だから、より豪華な味がする。

 一方、治部煮は甘かった。びっくりした。味噌汁のようなものかと思ったら、かなりねっとりというか、重い汁物で、鶏肉や椎茸、里芋、麩などが入っていて、ほうれん草が添えてある。更には里芋の上にわさびが乗っかっていた。このわさびをどうするのか、正しい食べ方が分からないが、とにかく甘いから、具を食べる時に少しわさびを添えながら食べてみた。美味しいとは思うが、やっぱり甘い。甘いのは酒には合わないなあ。私個人の感想ではあるが。

 しかしこの加賀鳶という日本酒、おでんによく合う。このお酒は美味しいから、是非ともお土産に買って帰ろうと思った。今も、本当ならばもっと飲みたいところだが、この後スーツケースを回収してホテルにチェックインしなければならない。それを考えると、あまり酔っ払ってもいられないので、これで辞めておいた。1合だろうか。それとも1合半だろうか。

 お会計をしようと、半個室のスペースを出ると、お勧めのお酒やお料理を教えてくれたお兄さんが、レジへ来てくれた。お金を払った時に、

「よかったら、こちらどうぞ。」

と、シャンプーのような、少量の液体が入ったパウチをくれた。「陸」と書いてある。キリンが出した国産ウイスキーだとか。最近ウイスキーは品薄だと聞くが、つまりは人気があるという事。新商品が出たのか。

 最後に、

「ありがとうございました!」

と、挨拶してくれたお兄さんは、とても愛想の良い、イケメンな店員さんだった。にこやかに送り出してくれた。また来る事はなさそうだけれど、このお店はなかなか良かった。もし、今後誰かを連れて金沢に来る事があったら、きっとこのお店に連れてこよう。一人だったら、また別の店に冒険に行くと思うが。このお店は、誰を連れて行っても安心な、良いお店だった。

 お一人様で初の飲み屋だったが、特に問題はなかった。お店に入って座った辺りは、ちょっと所在なげな感じもしたが、その後は一人で存分に味わって、写真を撮ったりして、とくに寂しいとも感じなかった。途中から隣のスペースにお客が入って、店内にも徐々にお客が入り始めていたが、平日のまだ5時台だから、静かなものだった。そして、ちょっとだけ期待していた交流というか、まあラブロマンスとは言わないまでも、一日限りの友情みたいなものもあるかな、と思っていたのだが、全くなかった。

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