第8話 21世紀美術館
兼六園を出ると午後4時だった。この辺りにある飲み屋に行く計画があるのだが、その店の開店時間は5時。飲み屋までの地図を検索したら、ここから徒歩4分だそうだ。困った。1時間くらい時間を費やさなければならない。
すっかり雨が止んで、時折日も差す。だが、地面はびちょびちょだった。兼六園の出口のすぐ目の前には、21世紀美術館があった。外にも展示作品があり、ベンチのようなものもあるが、濡れていて座りたくない。さて、どうしたものか。それにしても、靴の中に小石が入り込んでいる。兼六園の地面は、小石が敷き詰めてある感じだったので、歩いているうちに靴の中に少し入り込んだようだ。濡れている石のモニュメントに捕まって、片足ずつ靴を脱いでトントンと地面にかかと部分を打ち付け、小石を出した。靴下で地面に付くと濡れてしまう。かなり厄介だった。
21世紀美術館は新しく、とても人気があるそうだ。そのように、ガイドブックに書いてある。なぜそんなに人気かと言うと、体験型ミュージアムだからだ。ただ客観的に作品を眺めるだけでなく、作品の中に入ったり、通ったりして遊びながら体感するアートがあるとか。
うん、そういうのはパス。子連れとかカップルには持って来いだと思うが、大人一人で体験するなんて、この上なくつまらない気がする。いや、本当は楽しいのかもしれないが、酒を飲む以上に寂しい、痛い感じになってしまわないか。
というわけで、私はこの有名で人気のある21世紀美術館には入らないつもりでいた。だが、今目の前にあり、1時間の空き時間があり、他にほぼ選択肢がない。ここに入るしかないではないか。
そこで、一つのポスターに目が行った。特別展がいくつかやっているが、その中の一つに「藤井フミヤ展」というのがあったのだ。こういうのはガイドブックには載っていない。期間限定だから。
藤井フミヤは歌手で、元チェッカーズのボーカルで、今は画家でもある。私はチェッカーズ時代にファンだった。それは私が小学校の高学年の頃の話なのだが。この金沢の地でわざわざ観るべきものなのか、とも思うが、ここでしか展示しないものもあると書いてある。これもご縁だし、入ってみようと思った。
円形の、大きな建物に入る。藤井フミヤ展のチケット売り場はすぐに分かった。たまたま私が入った入り口のすぐ近くだったのだ。そこで1枚チケットを買った。受付には一人の女性が座っていて、
「こちらへどうぞ。」
と、左手で左方向を指し示した。対面している私からすると右側だ。私は右へ歩き出した。
目の前にちょうど若い男女が歩いていて、その後に付いていった。建物は丸いので、ずーっとカーブしながら細い通路を通っていった。だんだん人の気配がなくなり、こんなに歩くのか、私一人だったら不安になって引き返しちゃいそうだな、さすが21世紀美術館だ、入り口がこんなに遠いなんて斬新だな、と思いながら男女の後に付いていった。
すると、開けている場所に行き着いた。とても賑やかだ。そこにはチケットを買い求める列が出来ている。私はもうチケットを買ったのだから、そこに並ぶ必要はないよな、と思って、キョロキョロと辺りを見渡す。
入り口らしいところを見つけたので、そこに入ろうとすると、そこに立っていた係の人が私のチケットを見て、
「そのチケットは違います。」
と言って、手でバッテンを作った。
「これはどこですか?」
と、私は聞いた。その係の人は、
「まっすぐ行って左に曲がって行って、階段の近くです。」
と教えてくれた。なので、私は教えてもらった通りにまっすぐ行って、左に曲がった。すると、何とチケットを買った場所に戻ってきた。私がチケットを買った場所は、下へ降りる階段の所にあったのだ。ああ、なんだ。階段の下だったのか。それだと受付の女性は右を指すべきだったのに、左を指し示したのは何故だろう。
まあいいや。きっと間違えたのだろう。もしくは私が勘違いしたのか?この年になると、時々全く信じられない思い違いをしていたり、記憶違いをしていたりする事がある。20代の頃にはなかったのに。だから、あまり自分を信じられないのだ。きっと自分が間違えているのだろうと思い、強く言えない。たまに、自分が間違えているのに、絶対に違うと言い張る年配者がいる。若い頃には学校の先生などにそういう人がいて、そういう大人の事が大嫌いだった。私は絶対にそういう大人にはならないぞ、と思っていたものだ。だから、あまり自分を過信しないで、強く言い張らないようにしている。
ということもあり、階段を降りた。一つ下の階に降りたら、そこに看板があって、「藤井フミヤ展↖」と、矢印で斜め上を指し示していた。何?やっぱり上だと?降りて損した。そこにはエレベーターがあって、乗ろうかと思ったのだが、車いすの人がいたので、やっぱり辞めて階段を上った。
さて、どうにも分からなくなった。藤井フミヤ展はどこなんだ?仕方なく、チケットを買った場所で聞いてみることにした。
「あの、これどこですか?」
すると、受付の女性はまた、
「こちらです。」
と、先ほどと同じように左手で左方向を指し示す。だからさ、そっちに行ってもなかったから聞いてるのよ!と思ったが、流石にこの女性が間違えているのではないと思い、冷静になろうと努める。そう、私が間違えているはず。よくよく注意して見ると、本当にその女性のすぐ左側に、真っ白なカーテンがあった。
「あ、ここ?」
ずいぶん近いところだな。通り過ぎた時に言ってくれよ。でも、先にトイレにでも行くのかと思ったのかも。いやさっきはいいけどさ、今はさ、もう一度聞いたのだから、もっと分かりやすく振り返って入り口を見るとか、指でちゃんと指し示すとか、してくれよ。と、突っ込みたい気持ちを抑え、とにかくその白いカーテンを開けて中に入った。
カーテンを見た時には、ずいぶん狭いところでやるのだな、と思ったが、中に入ってみたら意外と広かった。絵画の点数も思ったよりも多い。絵の他に、藤井フミヤの言葉があちこちに書かれていて、また分かりやすい英語の題名が作品に付けられていて、面白い。藤井フミヤが、絵を描く事がすごく好きなのだという事も分かった。すごく夢中になって描いているらしく、その姿勢は天性の画家だと思った。ただ、今のところ独自性が感じられない。ルネサンス期の画家のようであったり、クリムトのようでもあったり。つまりは有名画家たちの模倣のような気もしたし、作風がいくつもあるように感じられた。そのうちに一本化して、彼らしい絵というものが生まれるのではないか、その時が楽しみだな、そんな風に思った。
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