第7話 兼六園

 すぐ近くにいるには違いないのだが、さて、どこから入るのだろうか。地図を見て、あちこちにある看板を見て、それからガイドブックも見て、あれこれ見比べながら進む。因みに、地図もガイドブックもスマートフォンに入っている物を見ているのである。さて、それじゃあ地図で経路検索をしようじゃないか。と思って検索をすると、現在地から目的地までの矢印が地図上に現れた。ナビゲートしてくれるのだ。

 先ほど上がってきた石の階段を下り、ナビに従って坂を上り、カーブを曲がったら……また階段の上に出た!何をやっているのだ。無駄な労力を使ってしまったではないか。なんだこのナビは。

 冷静に考えようとしても、一人だとなかなか発想の転換が出来ない。誰かが一緒なら、きっと違っただろう。方向音痴な私が一人で旅をするという事は、こういう事なのだ。

 で、やっと分かった。私は兼六園が博物館の後ろ側だと思っていたのだが、実は手前、つまり博物館を出た時に、目の前がもう兼六園だったのだ。それっぽい入り口があるなぁとは思っていたのだが、方向が逆だと思っているからそれ以上考えなかったのだ。

 やれやれ、やっとこさ兼六園の入り口へと足を踏み入れる。入り口はいくつかあるようで、ここから入る人は少ない。小さな古めかしい小屋があって、そこにおばあさんが一人座っていた。入場券売り場と書いてある。ここで320円の入園料を払う。払う所にペイペイマークがあったので、ペイペイで払う事にした。

「ペイペイ!」

とスマホが元気な声を出す。この重厚な、古めかしい門の前で、そして昭和以前の雰囲気の小さな小屋の中で、その似つかわしくない感じが笑える。こんな所にまでスマホ決済が浸透しているというのが面白い。確かに、320円を小銭でジャラジャラ支払われるよりも、スマホ決済など、キャッシュレスでやり取りした方がいい。感染症対策にもなるし。

 雨はほぼ止んでいるが、地面がぐちゃぐちゃしているのが玉に瑕だった。靴が汚れる。それにしても喉が渇いた。かなり蒸し暑い。時刻は午後3時。持っていたお茶もそろそろ無くなる。ミュージアムカフェに入ってジュースなんぞを飲む、というちょっとした夢があったのだが、今し方回ったどの博物館にもカフェがなかった。その上、この辺りには喫茶店が一つもなかった。普段は勿体ないと思って、一人でカフェに入る事など考えられないのだが、旅行中なら是非入ろう、と思っていたのに。案外、いつでもお茶する事が出来るものではないのだ。

 兼六園の門をくぐり、中へ入って少し歩くと、古めかしい自動販売機を見つけた。ちゃんとペットボトルのお茶が売っている。これを買おうと思ってお金を出そうとして、ふと顔を上げるとそこには茶屋があった。土産物屋でもあるのだが、飲み物のメニューが貼ってある。やっとお茶出来る店を見つけた。よし、ここで一休みだ。

 店に入り、椅子に座る。昭和時代のような椅子とテーブルだ。メニューにはコーヒー、紅茶、そしてジュースが3種類。柚子ジュースという珍しい物があったので、それを注文した。

 グラスにストローが差してある、黄色いグラデーションの飲み物が運ばれて来た。飲んでみると、甘くて冷たくて、とても美味しい。一気に飲みたいのを我慢する。底に柚子ジャムが沈んでいるので、かき混ぜながら飲むのだが、たまにストローに柚子が詰まる。ずずっと強く吸うと食べられる。美味しい。

 初めは老夫婦のみがいた店内。私が入った後に3組ほどの客が入って来た。近くに家族連れが座ったが、高校生くらいの男の子がジュースを飲んだようで、

「ズズー」

と音がしたかと思うと、父親と思われる男性が一言、

「はやっ!」

と言った。男の子の気持ちはよーく分かる。私も一気に飲みたかった。でもお父さん、もっとゆっくり飲めとか、途中までは速くてもいいれど、少し残しておけと教えなくてはね。私も子供の頃、父親に教えてもらった。全部飲んでしまうと食器を片付けられてしまって店を出ないといけないから、飲み物は少し残しておけと。まあ、老婆心だが。

 雨は降ったり止んだりしていた。疲れもまあまあ癒えたので、柚子ジュースを飲み干し、支払いをして茶屋を出た。そして、店の前の自動販売機で十六茶を買った。


 改めて、兼六園だー!やっと来られた。中学生の頃から漠然と憧れていた、兼六園に。かれこれ30年、いやもうちょっと経っている。そして、やっぱり観光客が多い。人がゾロゾロとあちこちにいて、流れに乗って歩いている。

 兼六園には大きな木があり、水があり、その水がとても綺麗で透明で、魚もいた。丸太橋もあって、渡ったりした。茶屋の近くには「展望台」という看板の立っている場所があった。そこからは雲と山の壮麗な景色が見え、思わず写真を撮った。低い雲が山の中腹に掛かっている。兼六園は全てが緑色だった。もちろん木の幹は焦げ茶色で、地面は黄土色なのだが、圧倒的に木の葉や水、下草などの緑が多いのだ。

 それにしても、兼六園の中もまた迷路だ。地図はあるのだが、現在地が分からないし。高低差も地図には書いてないし。本当に、兼六園が山だったなんて、知らなかったな。

 まずは平らな所を全て見て回ろうとして、入場した際にもらった地図を見ながら進んで行った。だが、ぐるぐる回った挙げ句、またさっきの茶屋の前に出てしまった。もう平らな部分は全て見たのだろうか?見た事にして、次は階段を上ってみた。疲れたけれども、上って良かった。山の上にも池があって、それがまた美しかった。

 また階段を下り、出たい出口を探して彷徨い、またかなり無駄に歩いたような気がするが、何とか兼六園を出られた。もう、憧れの……なんていう気持ちはどこかへ置き忘れた。何せ迷ってヘトヘトで。

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