第18話:愛のスカイライン

「「うああああああああん」」


 〝ドライバー〟とメリージェーンがナイラグル・ニイガタ州から帰った四日後、クーラーの利いたワインディングロードのボックス席を、芽里とミストラル・ジェーンが占領していた。だが、芽里とジェーンはテーブルに突っ伏したまま、泣いているのか嗚咽を漏らしているのか判らないような声を上げてうずくまったままだ。


「いい加減になさい、二人とも。他のお客様に迷惑でしてよ?」


 上品にコーヒーを嗜みながらミストラルが二人をたしなめるが、二人はさらに勢いを増して号泣する。


「だって……だって……」

「もうダメだ……死ぬしか……死ぬしかない……」

「「うああああああああん」」


   ◇


 ナイラグル・ニイガタ州から帰って来た〝ドライバー〟とメリージェーンは、まずムニャオ親方に詫びを入れて借り入れた銃の代金を支払うべく、アラモ・マシン・アンド・ツールスに立ち寄った。ムニャオ親方はたいそう上機嫌で二人を迎えた。メアーズレッグの修理代と、ルガーカービンの代金はしっかり取られたが、LWMMGは弾代だけで許してくれた。今回の騒動でLWMMGの有用性が実証されて製作依頼の注文が殺到、親方はウハウハの上機嫌だった。


 その後、元の二人に戻った芽里とジェーンは腹痛を起こして三日間布団の中でうなされていた。『食あたり』だったらしい。何とか回復しワインディングロードを訪れた二人が知ったのは、自分たちが思わぬ形で有名人になっていたことだった。


   ◇


 ミストラルはジェーンが握りしめている、まだ活版印刷のインクのにおいが残るクシャクシャの新聞を取り上げ、三面記事を開く。


「ええと、なになに? 『悪の華は美しく咲く』? 『堅物ジェーン・ランダルの妹、メリージェーン・ランダル、力にモノを言わせて〝ドライバー〟を警察署から強奪! ついでにキスまでも強奪』?」


 三面記事に載った写真には、メリージェーンがドライバーの襟首を捕まえてキスを奪う瞬間がデカデカと乗っていた。しかも新聞だけではなくテレビでもその瞬間は放送され、さらに生写真が裏ルートでばらまかれて、〝メリージェーン・ファンクラブ〟などという謎の団体まで立ち上がっていた。


「まあ、ロマンチックじゃない?」

「うああああああああん! あたしの、あたしのファーストキスがぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

「私だって……私だってファーストキスを……おまけに……おまけに……こんな不名誉なことで注目を集めてしまうなんてぇぇぇぇぇぇ」

「「うああああああああん」」

「まあ、若い時は勢いに乗ってコトをしでかした後、自己嫌悪に陥るなんていうのはよくあることだ。気にするな」

「マスターは女の子から奪ってばかりだから、気にならないんです! 奪われる方の身になってくださいよ!」

「そうだそうだ!」

「……だって、そのメリージェーンって娘が、奪ったんだろう?」

「え? あ、そうか? そうなんですケド……あれ?」

「しっかりしろ、芽里! 我々は〝ドライバー〟に乗せられたのだ!」

「そ、そうです! 乗せられて……勢いで……ファーストキスを?」

「あれ? 乗せられた私たちが悪いのか?」

「「うああああああああん」」


 再び二人は、頭を抱えて七転八倒する。芽里が涙で濡れた恨みがましい顔をあげ、マスターを睨む。


「……責任、取ってくださいね」

「? なぜマスターに? ワケが判らないぞ、芽里」


 二人のやり取りを、呆れて聞いていたミストラルが呟く。


「たかがキスの一回、そんなに大層なことかしら?」

「そりゃあ、ミストラルさんみたいに経験豊富な女性なら、キスの一回ぐらいなんてことないんでしょうけど……」

「あら? 私、ファーストキスはまだでしてよ?」

「「「ええええええええええ?」」」


 さすがにこの発言には、マスターを含め店内の誰もが驚いた。


「ま、まさか!」

「ありえない、ありえん!」


 芽里とジェーンは驚愕を通り越し、思わずミストラルから一メートル引いた。


「殿方にファーストキスを捧げるなら……そうですわねえ……夜、港を見下ろす高台にドライブに行って、美しい夜景を見下ろしながら……やがて二人の顔は徐々に近づいて……ああ、なんてロマンチックな瞬間!」

「お嬢、いつの時代の情報だよ、それ?」

「いつだっていいじゃありませんか、マスター。私は〝ドライバー〟の乗るあのGTRの、後部座席に放り込まれるのではなく助手席にきちんとエスコートされて、ロマンチックなドライブをしたいんです!」

「ミ・ミストラルさん……おぢさん趣味だったんですね……」

「残念ながら、あのGTRの助手席に乗るには、ある条件を満たしてないといけないんだそうだ」

「「「ええ?」」」


 マスターの言葉に、芽里とジェーンとミストラルは三人揃って聞き返す。


「つまり、それを満たしていないから、わたくしは助手席に乗せてもらえないと?」

「まあ……そう云う事だ」


 ミストラルはスクッと立ち上がり、ドンと床を踏み鳴らして仁王立ちになる。


「ヒッ!」


 マスターは、ミストラルの勢いに気圧される。


「面白いではないですか、マスター! 聞かせてもらいましょうか? あの車に乗るのに、どんな条件が必要なのかを!」


 芽里・ジェーン・ミストラルが固唾を飲んでマスターを見つめる中、マスターはニヤッと笑って口を開いた。


「あの車が販売された時、洒落たキャッチコピーが付いてたんだ」

「「「キャッチコピー?」」」


 真剣に耳を傾けていた三人だったが、マスターのセリフに思わず聞き返す。


「なんてキャッチコピーだったんですか?」


 芽里の問いに、マスターは一瞬照れくさそうな顔をして、おずおずと答えた。


「〝ケンとメリーのスカイライン〟って言うのさ」


 それを聞いた三人は、あまりに直球なその言い草に一瞬唖然として固まったが、すぐに我を取り戻した。


「マァ~スタ~」

「? ヒッ!」


 声を押し殺したミストラルの方を向いたマスターの目に映ったのは、怒りに任せて解放されそうな魔力を、顔をヒクつかせながら最後の理性で必死に抑えているミストラルの姿だった。だが膨れ上がった魔力は既に頭上に黒雲を呼び、どろどろと渦巻いている。ミストラルがおどろどろしい声を上げて、マスターを睨む。


「ま~さか、本当にそぉぉぉんな理由で、私が助手席に乗れないわけじゃないでしょうねぇぇぇぇぇ」

「イヤ、冗談です、冗談だって!」


 そんなミストラルを差し置いて、芽里は小躍りして喜んでいた。


「やったぁ! あたしは大丈夫ですね!」

「ちょっと芽里、あなた自慢げじゃないこと? いいですわ! 私も改名します! 〝流希富・メリー・ミストラル〟と名を改めます!」

「そ・そこまでするのかよ、お嬢……」


 やり合う芽里とミストラルをよそに、なぜかジェーンは思案気に黙り込んでいる。


「ちょっと、どうなさったの? ジェーン?」

「いや……私も大丈夫だなぁ……と思ってだな……」

「そんなわけないでしょう、ジェーン? あなたの名前はジェーン・ランダルであって、メリーではないでしょう?」

「その名前は、バウンティハンターの師匠からもらった名前だ」

「「エエッ!」」

「私の本当の名前は……」


 そこまで言って、ジェーンは大いに照れくさそうな顔で言いよどむ。


「ジェーンさん、どうしたんですが?」

「ジェーン、もったいぶらずに早く教えなさい!」


 ジェーンは頬を真っ赤にして恥ずかしがっていたが、意を決したようだ。


「わ・私の本名は……メリーゴウランド……ジェーン・メリーゴウランド……なのだ……」

「「「…………」」」


 場の空気は一瞬凍りつき、刻が止まったかのように思えた後、訪れたのは笑撃だった。


「きゃ・きゃはははははは!」

「メ・メリーゴウランドですって!? は、あははははははは!」

「マ、マジか! わははははははは!」


 三人の笑いが響く中、ジェーンはグリズリーを抜く。


「……皆さま……先立つ不孝をお許しください……」


 思いつめて自分に銃口を向けようとしたジェーンに、三人が笑いながら抱きつき止める。


「や、やめろジェーン! わは・わははははは!」

「そ・そうですよ、ジェーンさん! きゃははははは!」

「ぜ・絶望には早すぎましてよ、ジェーン? あは・あははははは!」

「は・放せ! 放してくれ! 武士の情けだ!」


  ◇


 〝ワィンディング・ロード〟から少し離れたところに停車したリムジンの中、スモークガラスで隠された後部座席で、〝コーディネーター〟が背広を脱いで着替えている。〝ワィンディング・ロードの様子を見ていた運転手が声をかけた。〟


「何か、騒がしいようですな、〝コーディネーター〟」

「この格好の時に、その呼び名はよせ。誰が聞いているか判らないだろう」

「失礼しました」


 〝コーディネーター〟は既に背広からセーラー服に着替え、整えられた髪の毛をグシャグシャとかき乱した。そこに居るのは既に〝コーディネーター〟ではなく、女子高生・金子周子……カネカネだ。


「いつもの場所で待機していろ。いいな」

「いってらっしゃいませ」


   ◇


 四人がドタバタと騒いでいる中、入り口のドアがババーンと開かれ、両手にプリントされた写真を抱えたカネカネが飛び込んできた。


「あー暑い暑い! 死んじまうよ! マスター、代用アイスコーヒーひとつ!」


 カネカネはズカズカとワインディングロードに入ってくると、マスターの前のカウンター席にドカッと座り込む。


「マスター、生写真買わねえ?」

「生写真? カネカネ、何の写真だよ?」

「これだよ、これ」


 そう言ってカネカネは持っていた写真の一枚をかざす。


「あっ!」「それは!」


 芽里とジェーンが同時に声を上げる。カネカネが持ってきたのは新聞に載っていたメリージェーンと〝ドライバー〟のキスシーンの写真だ。


「いや~売れて売れてたまらないね! 新聞・週刊誌・漫画雑誌に売り込んで、さらにはブロマイドにして一般販売! さらには〝メリージェーン・ファンクラブ〟立ち 上げて、他の写真も独占販売! まさにメリージェーン様様だぜ!」


 カネカネはアイスコーヒーにシロップとクリームを注ぎ、ガチャガチャかき回す。


「マスター、これどうだい? 〝警察署で暴れるメリージェーン〟! こんなデカいマシンガン背負って殴り込みなんざ、マジ信じらんねえ! こっちは〝GTRの助手席に乗り込むメリージェーン〟、彼女の躍動感あふれるしぐさに痺れるヤツらが続出だぜ!」

「カネカネあなた、どうやってこの写真を手に入れたの?」


 訝しげに写真を眺めるミストラルに、ストローも使わずアイスコーヒーを一口すすってカネカネが応えた。


「『買い付けた』に決まってんじゃん! 騒動の後にデクマダウン・トオカマチ警察署に行って、署内を監視していた使い魔買い取って、記憶をネガに念写させたのさ! 買い取るのに結構な金が掛かったけど、あとは普通にバンバン印画紙に焼いていくだけのぼろい商売だぜ!」

「カネカネ、誰から買った?」

「? デクマダウン・トオカマチ警察署にいた、〝アイリーン〟っていう女だったけど……それが何か? うわ!」


 カネカネがマスターに応え終えるかどうかの刹那、突然ジェーンのサーベルがカネカネを胴薙ぎに襲う。腰を引いたカネカネの胴は無事だったが、持っていたアイスコーヒーのグラスは綺麗に真っ二つになっていた。


「あっぶねぇなぁ! あ、あれ? ジェーン?」

「…………」


 ジェーンはサーベルを横薙ぎに払ったあと、下を向いたまま動かない。


「ど、どうした? ジェーン?」

「……お前か……」

「な、何が?」

「お前が写真をバラ撒いたのかぁぁぁぁぁ」


 顔を上げたのはいつもの正義と秩序の維持に燃えるジェーンではなく、自分の恥をバラ撒いた者への妄執に燃える狂人だった。


「死を以って、罪を贖えぇぇぇぇぇ!」


 振り降ろされるサーベルを真剣白刃取りで受け止めて、カネカネが喚く。


「やめろ、ジェーン! 危ねぇだろ!」

「おやめなさい、ジェーン!」

「止めてください、ジェーンさん!」


 四人がバタバタと騒いでいるのを眺めていたマスターは、電話のベルの音に気付いて受話器を取る。


「はい、ワインディングロード」

『お久しぶりね、マスター』

「ようアイリーン、元気か? お前の嫌がらせはスゴイ効いてるぜ」

『あらそう、それは良かったわ。あたしに恥をかかせたんだもの、そのぐらい当然よね』

「お前さん、本当にイイ性格してるよな。バロンズに同情するぜ」

『そのバロンズに、恨みを持つ女が一人増えたわよ』

「なに? どういうことだよ?」

『変わるわね』

『マスター!』

「ポ、ポイズン? どうした?」

『あ・あんな女からキスを奪っちゃうなんて、バ・バロンズさんは本当にスケベなんですね!』

「……いやポイズン、あれは奪ったんじゃなくて、奪われたんだよ」

『いいえ違います! アイリーンさんが言ってました! あいつはウフフな女の子を乗せるのがうまいんだって!』

『ポイズン、ウフフじゃなくてウブよ』

『伝えてください! 今度会ったら刺します! あたしのトゲでくし刺しです! フーッ!』


 マスターの脳裏に、怒りに任せ背中のトゲを逆立てて怒る、ポイズンの姿が目に浮かぶ。


『という事だから、近々ご挨拶に行くわ。あなたの料理も食べたくてしょうがないし。じゃね♡ カチャ……ツーツー』

「……はあ」


 マスターは、ため息をついて受話器を置く。店内の騒ぎはまだ続いていた。


「やってらんねぇよな、バロンズ」


 そう言いながらも、マスターの口元は微かにニヤけている。マスターの前のカウンターに、芽里が騒ぎから避難してきた。


「アイリーンさんてば、なんてコトしてくれるんですか! もう!」


 マスターは苦笑いするしかない。


「でも……変ですよね? マスターの言う通り〝ケンとメリー〟があの車に乗る条件だって言うなら、〝ドライバー〟はなんでいいんですか?」

「何言ってるんだ、解らないのか? 芽里」

「え? 解りません、教えてくださいよ、マスター」


 マスターは口ひげの端を軽く上げてニヤッと笑うと、こう言った。


「アイツは……タウロスだろ?」


 芽里は一瞬ポカンと口を開いて唖然とした表情をしたが、マスターの一言は確実に芽里の笑いのツボにヒットし、その破壊力は.500S&W並みの破壊力だった。


「プッ」


 次に炸裂したのは、先程のジェーンの本名が明かされた時以上の爆笑だった。


「あははははははははは! やめて、やめてください、マスター! オヤジギャグ! オヤジギャグだ! あははははははは!」

「ど、どうしたのだ? 芽里?」

「おいおい、一人で笑ってないで、教えてくれよ! 金なら払う!」

「そうですわよ芽里、私たちにも教えてくださいな!」


 三人の戸惑いをよそに腹を抱えて笑いまくる芽里に、がっかりしたマスターはこぼす。


「……やってらんねぇ」

「これだからおぢさんはキライです」


 芽里はマスターを見上げて、微笑む。


 マスターも芽里に微笑みを返した。それは芽里のような屈託のない微笑みからは程遠い、思わせぶりな『ニヤリ』とした〝おぢさん〟の微笑みではあったが。


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